第4話 花壇のユーレイ
小林ユウトには、親友がいた。
放課後の中庭。ユウトは、色とりどりの花が咲く花壇の前に座り込み、夢中で話していた。
「それでね、タッくん。この前図鑑で見たんだけど、宇宙の果てには、ダイヤモンドでできた星があるんだって! すごくない?」
『へえ、すごい! 見てみたいな、ダイヤモンドの星!』
隣に座っているタッくんが、目をキラキラさせて相槌(あいづち)を打つ。タッくんは、ユウトと同じくらいの背丈で、いつもニコニコしている、最高の友達だ。
「ユウトー、また一人で喋ってんの?」
通りかかった上級生が、面白そうにユウトを指さす。
「あいつ、ちょっと変だよな」
ひそひそ話す声が聞こえてくる。ユウトは、ぐっと唇を噛んだ。みんなには、タッくんが見えない。どうしてなのか分からないけど、ユウトにしか見えないのだ。
でも、いいんだ。みんなに分かってもらえなくても、タッくんがここにいてくれれば、ユウトは一人じゃなかった。
その考えが、少しずつ揺らぎ始めたのは、図工の時間の後だった。
『ぼくとタッくん』
ユウトは、クレヨンで描いた一枚の絵を、誇らしい気持ちで眺めていた。花壇の前で、ユウトとタッくんが、二人で肩を組んで笑っている。自分でも、なかなかの傑作だと思った。
「あれ? ユウトしか描いてないじゃん。タッくんって誰?」
後ろの席の子が、絵をのぞき込んで言った。
「いるよ! ここに!」
ユウトは、タッくんが描かれている場所を力強く指さした。でも、周りの子たちは、きょとんとした顔で首をかしげるだけ。
「ユウトくん、疲れてるんじゃない?」
「ユーレイでも見えてんのー?」
からかうような笑い声が、教室に響く。
その瞬間、ユウトの心に、冷たくて鋭いトゲが刺さった。
(もしかして、タッくんは、本当にいないの……?)
信じていた世界が、足元からガラガラと音を立てて崩れていくような気がした。タッくんは、僕の頭がおかしくなって見えている、ただの幻なんだろうか?
不安で、怖くて、たまらなくなった。気づけば、あの北階段を駆け上がっていた。扉に浮かんでいたのは、泣いているようにも、助けを求めているようにも見える、歪んだキツネの模様だった。
屋上で待っていたコンは、やって来た小柄な少年の顔を見て、少しだけ眉をひそめた。
これまでの子たちとは、少し様子が違う。悲しみや苦しみの中に、奇妙な『空白』が混じっている。まるで、ジグソーパズルの大事なピースが、ごっそり抜き取られたような、不自然な空っぽさ。
(この匂い……間違いない。カゲロウのやつだ)
コンは、面の奥で目を細めた。あいつは、人の記憶に寄生する。甘い幻を見せて心を弱らせ、一番おいしいところを喰らう、ハイエナのようなあやかしだ。
目の前の少年は、おずおずと口を開いた。
「あの……僕、ユーレイが見えるんです」
「ほう。ユーレイ、ね」
コンは、知らんぷりをして相槌を打った。
「タッくんっていう、親友なんです!」
ユウトは、必死に訴えた。その純粋な瞳は、コンに「信じてほしい」と強く語りかけていた。コンは、その瞳をまっすぐ見返す。この子の純粋さを、カゲロウの玩具(おもちゃ)にさせてたまるか。
「そいつは、お前にとって、それだけ大事なやつなんだな?」
「うん!」
ユウトは、力強くうなずいた。その答えを聞いて、コンは静かに言った。
「だったら、確かめてみろよ」
「え……?」
「そいつが本当にいるなら、ただお前の隣にいるだけじゃなくて、お前の世界に関わってくるはずだ。そうだろ?」
コンは、具体的な提案をした。
「明日、いつもの場所で、そいつの名前を大きな声で呼んでみろ。それから、一緒に遊ぼうと誘ってみろ。『鬼ごっこしようぜ』ってな。本当に友達なら、お前が本気で誘えば、一緒に走ってくれるはずだ」
次の日、ユウトはコンに言われた通り、中庭の花壇の前で、大きく息を吸った。
「タッくん! 聞こえる!? 聞こえたら返事して!」
シーン、と風が草を揺らす音だけが響く。タッくんは、いつものようにユウトの隣でニコニコしている。でも、声は聞こえない。
「タッくん! 鬼ごっこしようぜ! お前が鬼な!」
ユウトは叫ぶと同時に、思い切り地面を蹴って走り出した。ドッドッドッ、と自分の足音だけが追いかけてくる。
お願い、追いかけてきて!
心の中で叫びながら、何度も後ろを振り返る。でも、そこには誰もいない。タッくんは、花壇の前で、ただニコニコと笑ったまま、動かない。
ユウトの呼びかけに、決して応えない。
ユウトが話しかければ、相槌を打つだけ。
まるで、ユウトの心を映すだけの、ただの鏡みたいだった。
悲しくて、胸が張り裂けそうになって、ユウトは走るのをやめた。教室に逃げ帰り、自分の机に突っ伏す。そして、せめてもの救いを求めるように、昨日描いた絵に目をやった。
『ぼくとタッくん』
その絵を見て、ユウトは息をのんだ。
「あ……」
声にならない声が出た。
絵の中の、タッくんがいるはずだった場所が。
まるで、真っ黒な絵の具をぶちまけたみたいに、ぐちゃぐちゃに塗りつぶされて、消えていた。
笑っていたはずの親友が、得体の知れない黒いシミに変わっていた。
「う……あ……あ……」
恐怖と、悲しみと、大きな喪失感が、一度にユウトを襲う。タッくんは、いなくなってしまった。いや、最初から、あんな不気味なものだったのかもしれない。僕の大切な親友は、黒い影に喰われてしまったんだ。
ユウトは、その場に崩れるように座り込んだ。
その瞬間、屋上にいたコンは、禍々(まがまが)しい気配がユウトの思い出を喰らうのを、はっきりと感じ取っていた。
コンは、ギリ、と強く拳を握りしめた。
「やはり、カゲロウか……!」
子どもの純粋な心に寄生し、甘い幻で骨抜きにして、最後には大切な思い出ごと魂を喰らう。あいつのやり方は、昔から何一つ変わっていなかった。
そして、何よりコンが許せなかったのは、カゲロウが喰らったのが、ユウトが「作り出した」幻ではなかったことだ。
(あいつが喰ったのは、ユウトが『忘れていた』、本物の親友の記憶だ)
コンには分かっていた。タッくんは、実在したのだ。おそらく、引っ越しか何かで会えなくなり、その寂しさにつけ込んだカゲロウが、記憶を喰らい、代わりに都合のいい「幻」を貼り付けていたのだ。ユウトは、本当の親友の顔も声も、カゲロウに奪われてしまったのだ。
「これは、ただの迷子の手助けじゃ、済まねぇな」
コンの面の奥で、静かで、しかし消えることのない怒りの炎が、赤々と燃え上がった。
これは、戦いだ。
子どもたちの心と、そのかけがえのない思い出を、あの卑劣な影から守るための。
コンは、カゲロウとの避けられない対決を確信し、静かに闘志を固める。物語は、子どもたちの小さな成長ドラマから、失われたものを取り戻すための、大きな戦いへと、今、確かに舵(かじ)を切った。
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