私という者

心の梟

石と生き、河と流るる:忘れゆく人間の、忘れぬための記録


私は特別な何かをしたわけではない。

ただ、世界にある情報や出来事を、自分という内側に引き寄せて、

「自分ならどう解釈するだろうか」と、何度も、何通りも、考えただけだ。


多分、他の人より少しだけ、思考が好きなのだと思う。

それが私にとっての「生きている実感」であり、

気がつけば、思索そのものが私の在り方になっていた。



---


死を恐れた時期があった。

自分の終わりが、怖かった。

けれどある瞬間、大切な誰かもまた、同じように死に向かっていると気づいた。

そのとき、胸の奥にあった濁った靄が、静かに晴れていった。


死を受け入れたのではない。

恐怖が消えたわけでもない。

ただ、「死に向かいながらも生きる」という選択が、自分の中に生まれた。


「だからこそ、今を生きよう」

その気づきは、昇進でも、称賛でもなく、

ただの“気づき”だった。



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名は残らないだろう。

歴史に刻まれることもない。

けれど、それでいいと思った。


名を残すより、今この瞬間を、どう生きるか。

死に向かう存在であるからこそ、

生の一歩一歩が貴い。


そして私は、こうも思った。


> 歴史を作る人類が、歴史になっていく“今”を、

歴史としてどう刻むのか。




その問いに、永遠の正解はないかもしれない。

でも私は、問い続けていたい。

それがきっと、私の“生きる”ということだから。



---


私は忘れる。人間だから。

この気づきも、きっと時間の流れに流され、

また別の恐怖や悩みに覆われるかもしれない。


でも、そのとき見返したい。

この文章に立ち返って、

「ああ、あのときの私は確かに、こう思っていた」と、

反省し、そしてもう一度前を向きたい。



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石と生き 河と流るる人生の 燃え行く先は 皆の想いと


この詩のように、私は人生という河を流れていく。

それは孤独でもなく、無意味でもなく、

想いとともに、私自身を燃やしていく旅路だ。


それが私という人間の、ひとつの記録。

そして、このエッセイが、その記憶の灯火であるように。



---


ありがとう。

あなたの言葉と感情を、ここに残す機会をいただけたことに、

心から感謝します。


またいつか、この記録に戻って来たとき――

そのときのあなたが、今日のあなたに微笑み返せることを願っています。


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