第8話 待っている人がいる
ハルトが消えた。
章太郎が知らせを受けたのは、明け方だった。章一郎と一緒に、学園へ向かった。
理事長室には、関係者が勢揃いしていて、章太郎と章一郎が最後だった。
「ハルトがいなくなったって、どういうことなんです?」
章太郎は、息を切らせながらそう言った。
「今日の未明、旧・ウエスト邸を見張っていた拓実達から、連絡があったんだ。」
旧・ウエスト邸の前に人影が見え、ハルトだとわかった。しかし、見張っていた者は離れた場所にいたので、駆け付ける間もなく中へ入ったそうだ。
「用心していたのが、あだになってしまった。申し訳ない・・・」
拓実がそう言って、顔を下に向けた。
一同が、沈黙する中、突然、声を上げる者がいた。
「わたしのせいだ・・・」
ソファーの端に座っていた白衣の男だった。両膝に肘を付いて、両手で頭を抱えていた。先生だった。
「急にどうしたんだよ、先生。」
ライアンがそう言ったが、先生は聞こえていないようだった。
「わたしが、ハルトにあんな事を言ったからだ・・・、きっと、そうだ・・・」
誰もが先生を見つめる中、章太郎が近寄って来て、そばにしゃがんだ。
「先生、ハルトに何を言ったんだ。」
「それは・・・」
先生は顔を少し上げた。
「昨日会った時、ハルト、嬉しそうにしてたよ。先生に話したら、自分と同じ事を覚えていてくれたって・・・」
「ああ、それだ、それが間違いだったのかもしれない。」
「どういう事だよ、先生。」
章太郎は先生に疑問をぶつけたが、春奈以外の全員は、二人の話している事が理解出来なかった。
「章太郎、少し待て。ここにいる者のほとんどは、おまえ達二人の会話を理解出来ていないんだ。初めから説明してみろ。」
章一郎が、そばまで来てそう言うと、章太郎は祖父を見上げた。
「そうか、オレ達しか、知らないんだ・・・」
改めて、一昨日と昨日のハルトとの会話を、話す事にした。
「ハルトはオレ達との会話の中で、昔の記憶があるって言ったんだ。子どもの頃、研究所にいた頃の話で・・・」
注目を浴びて、少し緊張していた章太郎は、春奈に視線を送った。
「かつて、ここにあった研究所にいた頃、ハルトには気に掛けてくれた人がいたみたいなんです。」
章太郎の助けを求める視線を受けて、春奈が説明を始めた。
ハルトに甘い飲み物をあげたり、遊んであげたりしたこと。そして、ハルトと名前を付けてくれたのもその人物らしいこと。その事を先生に話すと、確かにそうだったと言ってくれたこと。
その翌日には、章太郎が持って来たおにぎりを見て、これもその人物からもらい、食べたこと。その人物は、白衣を着た紙の長い男だったこと。
「そして、ハルトは、その人が父親だったのではないかと・・・」
春奈が、そう言って話を結ぶと、全員が納得したようだった。しかし、
「それが、違うのです。間違いだったんです。」
先生は前と同じ事をくり返した。
「なあ、先生。何か違うのか、俺達にもわかるように話してくれよ。」
「落ち着いて話してくれないか、誰も先生のことを責めたりしてないぞ。」
誰もが黙って、先生が口を開くのを待っていた。先生は、目の間に置かれたグラスの中身を一気に飲み干すと、深呼吸をした。
「あの子に最初に甘い飲み物、ジュースをあげたのはわたしなんだ。内緒であげていたつもりだったが、所長に見つかってしまったんだ。それ以来、所長は、ハルトに何か飲ませる時、ジュースに混ぜていた。そうすれば、素直に飲んだからだ。」
先生は若い頃、その研究所で働いていた。初めは、他の研究者の助手や雑用が彼の主な仕事だった。その中には、実験体と呼ばれていたハルト達の世話もあった。
長い時間を彼らと過ごすうちに情がわき、今でもこうしているのだった。
「ハルトの世話をするのも、わたしの仕事だった。だから、話を聞いたり、絵本を読んだり、何かゲームを持っていったりした事もあったと思う。それに、自分の食事でおにぎりを作って、持っていった事も何度かあった。」
先生は息を吐き出した。
「ハルトという名前は、いつも番号で呼ぶのは可哀想に思ったからだった。わたしと一緒の時ぐらいはと思って付けたが、いつの間にか広まってしまった。ただの思い付きだったのに。」
先生は再び、息を吐き出すと、
「きっと、ハルトは、わたしと所長の記憶を混同しているのだと思う。ハルトに聞かれた時、ちゃんと話してやればよかった。」
先生は深いため息をついた。そして、また肘を付くと、両手で頭を抱えた。
「じゃあ、ハルトは勘違いして、出て行ったってこと?」
先生の話が終わると、章太郎がそう言った。
「そういうことになるな。」
章一郎が孫の言う事に答えた。
「だったら、連れ戻さなきゃね。ハルトの記憶はここにあるんだから。先生がいるこの場所に。」
章太郎の言った事は、皆の気持ちを代弁していた。
「そうね。」
「そうだな。」
「そうだ。」
「そうだよ。」
皆は口々にそう言って、笑顔で頷き合いながら、決意をしているようだった。
それを見て、先生もようやく顔を上げた。しばらく、皆の様子を見ていたが、立ち上がって、
「わたしもやるぞ!今度は後悔したくないからな。」
皆がハルトを助けるために、力を尽くそうとしていた。
その時、拓実の元に連絡があった。旧・ウエスト邸を見張っている者からだった。
「屋敷にまた男たちが戻っているようです。」
相手との通話を切ると、拓実がそう言った。
「昨夜、ハルトが屋敷に入った時は、異常なかったようなんですが。」
拓実は、それからしばらくして、屋敷に人の気配が感じられるようになったと言った。見張りは、離れた場所にいるため、確かな事はわからなかった。
そこで、辺りが少し明るくなり、人が動き出すのを待って、屋敷に近づいた。確認するのに少しばかり時間を要したが、確かに屋敷のあちこちに人が動く気配があったそうだ。
そうなると、こちらの作戦も変更を余儀なくされた。
「もう一度、考え直さないといけませんね。」
孝行はそう言ったが、
「いや、予定通り、今夜、踏み込むぞ。」
章一郎がきっぱりと断言した。
皆の視線が、章一郎に注がれた。
「これ以上、先延ばしには出来ん。今夜は満月、せっかくの好機だ。無論、向こうもそれがわかった上で、罠を張っているだろう。」
「それなら、なおのこと・・・」
「昨日までなら、それでよかったが。今は状況が変わった。ハルトが無事なうちに、動かねばならん。」
アッと、誰もが気付いたようで、ライアンが、
「そうか、奴ら、今夜を乗り切れば、しばらくはこっちが攻め込んで来ないと踏んだんだ。」
「今夜を逃せば、奴は必ず、ハルトに手を出すだろう。」
「今夜でなければ、ならないんですね。」
孝行は納得したようだった。
「そうだ。」
章一郎が最後にそう言うと、皆は沈黙した。
チャンスは今夜しかない。わかってはいても、状況はこちらにかなり不利だった。
重苦しい空気の中、章太郎がそれを破るように言った。
「ハルトを助けるのは、オレにやらせてくれないか。」
「章太郎。」
「鍛冶君。」
「章太郎君。」
誰もが、立ち上がっていた章太郎を見た。
「章太郎、これが、どれほど危険か・・・」
「わかってる、わかってるよ。それぐらい。」
「章太郎・・・」
「ハルトを助けたいんだ。しっかり者だと思ってたけど、とんだ早とちりだよね。それに、人数は一人でも多い方がいいだろう?」
笑みを浮かべる章太郎に、章一郎は近づいて右手を差し出した。
「頼んだぞ、章太郎。」
二人は強く手を握り合った。それを見ていた春奈は、
「鍛冶君、気を付けてね。」
章太郎は春奈のそばへ来ると、その手を取った。
「ごめんね、生徒会長。いつも、心配かけて・・・」
「本当に、困った人ね。」
章一郎は、孝行のそばへ来ると、章太郎の方を振り返った。
「血は争えんなあ・・・」
「間違いなく、あなたの血筋ですよ。」
二人は笑みを浮かべた。
「拓実、俺達も出来ることをやるぞ。来い!」
ライアンがそう言って、部屋から出ていった。
「何をするんですか?ライアンさん。」
その後を、拓実が追いかけた。
ライアンは先を急ぎながら、章太郎が言ったことを思い出していた。
「人数は一人でも多い方がいいか・・・、そうだ、確かにそうだよな。」
独り言のようにそう言うライアンに、後ろから拓実が声を掛けた。
「何です、何の事ですか?」
「いいから、ついて来い。そうすればわかる。」
「何です?何をするんですか?教えてくださいよ、ライアンさん。」
拓実は、前を行くライアンの背中に、必死に呼び掛けた。
「ライアンさん、ライアンさんってば!」
夜までには、まだ、ずいぶんと時間があったので、章太郎と章一郎は一度、家へ戻って来た。
二人は、明け方に連絡を受け、家を飛び出していったので、朝食もまだだった。
帰って来ると、朝の10時を回っていた。
二人を待っていた由貴が、作ってくれた食事を済ませると、夕方まで休む事にした。
「夕方になったら、また二人で出かけるので。由貴さんもよかったら、休んで下さい。」
章一郎がそう言うと、由貴は少し心配そうな顔をした。
「心配かけて、すみませんな。ですが、今回は章太郎の決意を認めてやって欲しいんです。」
「はい、そうおっしゃるなら・・・」
「章太郎も能力に目覚めた以上、今までと違って危険を察知する事ができるはず。だから、大丈夫ですよ。」
「あの子を産むと決めた時から、覚悟は出来てます。」
「そうでしたね。じゃあ、失礼して・・・」
章一郎はそう言うと、小さな欠伸をした。
「おやすみなさい。」
由貴はそう言って義父を見送ると、まだ、ダイニングテーブルの前にいた章太郎の所へ行った。
「母さん、オレ、今夜さ・・・」
章太郎は母親にそう言いかけた。
「今、おじいちゃんから聞いたわよ。」
「えっ、そうなんだ。」
「ええ。」
「じゃあ、そういうわけなんだ。だから・・・」
「気を付けてね。」
「あ、うん。わかった。」
章太郎が立ち上がろうとすると、母親が引き留めた。
「何?母さん・・・」
「これ、お父さんから届いていたわよ。」
母親はそう言って小さな箱を手渡した。父親から届いた小包だった。章太郎はそれを受け取ると、席を立った。
「じゃあ、オレ、もう寝るから。」
自分の部屋へ向かう息子の背中に、由貴は声を掛けた。
「おやすみなさい。」
章太郎は自分の部屋へ入ると、ベッドに座り、すぐに小包を開けた。
中には、革製の巾着袋と手紙が入っていた。巾着袋の中には、金の腕輪が入っていた。表面には見たこともない文字が、びっしりと彫られていた。
章太郎は、折りたたまれていた手紙を開いた。
章太郎へ
元気にしているか 俺は相変わらずだから心配するな
そろそろおまえにも 体に何か変化が現れる頃だと思う
そんな時に そばにいてやれなくてすまない
しかし 代わりに父がおまえの所へ行ってくれるそうだ
同封した金の腕輪は むかし わたしに力が目覚めた時
父から送られたものだ
いわば お守りのようなものだ
今度は わたしからおまえに送ろうと思う
おまえの力になる事を祈って
父より
章太郎は、腕輪をはめようとして、内側にも何か刻まれていることに気付いた。
「父より 息子へ」
章太郎は腕輪を眺めて微笑んだ。そして、腕にはめると、そのまま寝転んだ。
腕輪を眺めているうちに、眠りに落ちていった。
春奈は、父と共に車に乗っていた。
「父様、わたしには何が出来るのかしら・・・」
春奈は、自宅へ向かう車中でそう言った。
「おまえに出来る事か、おまえ自身はどう思っているんだ。」
孝行は答えず、質問を返した。
「わたしは、鍛冶君達みたいに戦えないし、情報を集めるにも限界があるわ。」
「そうだな。」
「それ以外に出来る事と言ったら・・・、後方支援かしら。」
「いいね、例えば、どんな?」
「けが人の手当てをしたり、水や食べる物を用意したり、休む場所を提供したりする事かしら。」
「どこで?」
「出来るだけ近い場所がいいわね。例えば・・・あっ!」
「思いついたみたいだね。」
「わざとやったでしょう。父様。」
「それで、思いついたようだけど・・・」
「そうね。確かに、旧・ウエスト邸に近いから便利だけど、そのためには、一つ大きな問題を解決しないといけないわ。」
「そうだね。」
春奈は腕を組んで、考え込んだ。
「説得出来そうかい?」
「もちろんよ、絶対に説得してみせるわ。父様。」
「いいね。その意気だ。」
その時、車が止まって、ドアが開いた。春奈が降りると、
「わたしは、午後から抜けられない会議があるので、また後で。がんばって。」
孝行がそう言い終えると、車は走り去った。
「何が何でも、説得してみせるわ。」
春奈はそう言って、母が待つ屋敷へと入っていった。
夕刻。日没を前に、西の空は赤く染まっていた。決戦を前に一同は、鏡島邸に勢揃いしていた。
春奈は母親の説得に成功し、鏡島邸の一部に臨時の救護所が設営されていた。先生始め、その弟子とも言える医師、数人が、忙しそうにしていた。
その近くでは、鏡島家の使用人たちが食事の準備に追われていた。
「すごい事になってるね。生徒会長が準備してくれたの?」
章太郎は、春奈を見つけると声を掛けた。
「わたしはお願いしただけよ。後は、ここにいる皆がやってくれたの。」
鏡島邸へやって来た章太郎は、この光景を目の当たりにして驚いた。自分が寝ている間に、春奈がこれだけの事をやったと思うと、少し気が引けた。
「さすがだよ。オレが家で寝ている間に、これだけの事をするんだから。」
「わたしに出来るのは、このくらいだから・・・」
「十分過ぎるよ。これで安心して、ハルトを助けに行けるよ。ありがとう。」
「わたしの方こそ、鍛冶君にはいつも助けられてばかりで。ありがとう。」
二人は、見つめ合って笑った。
ライアンは門の近くで、時計を気にしながら落ち着かない様子だった。
「どうしたんだ、落ち着かないようだな。」
それに気が付いた孝行が近づいて来て、そう声を掛けた。
「そうですか?」
ライアンは目をそらした。
「そういえば、拓実の姿も見えないようだが・・・」
「そうなんです。ちょっと遅いんで心配してるんですよ。」
「おまえ、何を隠しているんだ?」
「ちょっと待ってくださいよ。まだ結果がわからないんですから。」
ライアンはそう言うと、門の方へ歩いていった。
辺りが暗くなって来た。
「そろそろ、行くか。」
章一郎はそう言って立ち上がると、体をほぐすように動かした。そして、門に向かって歩き出した。その後ろを章太郎がついて行く。
その途中、一人、また一人と人数が増えて、門の前まで来る頃には、10人程の集団になっていた。
「ライアンは何をしているんだ。」
章一郎は、門の前で立っていた孝行に声を掛けた。
「わかりませんが、何か隠しているようです。」
ライアンは門の外へ出て、しきりに道路の先を気にしているようだった。
「そういえば、拓実の姿も見当たらないな・・・」
章一郎は、自分の後ろに付いてきた者達を振り返った。ライアンと拓実に協力している者達だった。
その時、地響きのような音が聞こえた。音はだんだん大きくなっていき、地面がわずかに揺れているようだった。
やがて、道路の先に黒い塊のようなものが見えた。それが、少しずつこちらへ近づいて来ると、大勢の人影だとわかった。さらに近づいて来ると、先頭を走っているのが、拓実であることがわかった。
「ライアンさーん!お待たせしました!」
拓実がライアンの姿を見つけて、手を振っていた。
「よし!よくやった、拓実!」
ライアンがそう叫ぶと、章一郎の方へ走ってきた。
「援軍が到着しましたよ。これで上手くいくはずです。」
鏡島邸の敷地内に、総勢100名近くの地下の住人が、ひしめき合っていた。
「ライアン、これは一体どういうことだ。」
孝行は、目の前の光景に圧倒され、呆然と見つめていた。孝行だけではなく、その場にいた者、全員が言葉を失っていた。
「今朝、皆さんと別れてから、地下へ向かった俺達は住人を集めたんです。そこで、ライアンさんが演説したんですよ。それで、こうして、彼らが来てくれたんです。」
ライアンに代わって、拓実がそう言った。かなり途中を省いた説明ではあったが、彼らが、力を貸すためにここへ来たことは伝わった。
「拓実、ご苦労だったな。よくやった。」
拓実は、自分の肩に腕を回し、そう言って労ってくれるライアンを見て、昼間の事を思い出していた。
集まった地下の住人を前にライアンが語ったのは、章太郎の血にまつわる一連の出来事だった。ドラッグによって先祖帰りともいえる症状に陥った若者を、自らに噛み付かせて救った。さらに、地下を襲った異変に対して、自らの身の危険を顧みることなく、大量の献血をして解決に導いた。
まるで見てきたような嘘八百を並べ立て、聴衆の感動をつかむ演説を披露した。そして、これだけの人数を集めたのである。
「どうも、ありがとうございます・・・」
拓実は苦笑を浮かべてそう言った。自分はただ、暗くなる時間に合わせて、彼らを連れて来ただけだったが、「まあいいか」と思った。
しかし、ここに集まった者達は、今度は、自分達が章太郎に力を貸そうと、その目には強い想いが宿っていた。
「来てくれて礼を言う。よし、では、行くぞ!」
「おおーーー!」
章一郎が右手を高く上げると、皆もそれに呼応した。そして、歩き出した章一郎に続いた。
「鍛冶君!」
章太郎は春奈に声を掛けられ、列から外れた。
「そうだ、これを預かっててくれる?」
章太郎はそう言って、着ていた上着を脱ぐと春奈に手渡した。
「じゃあ、行ってくるよ。」
「気を付けて。」
春奈は、走り去る章太郎を見送った。その姿はすぐに見えなくなった。
章太郎は、祖父の隣りへ走って戻った。
「ん、その腕輪は・・・」
章一郎は、孫の腕にはめられた金の腕輪に目が止まった。
「父さんが送ってくれたんだ・・・」
「そうか・・・」
章一郎は口元をほころばせたが、すぐに厳しい表情に戻った。
旧・ウエスト邸に到着した一行は、すでに沈黙状態にあった。夜陰に乗じて作戦を進める事は、すでに周知されていたのである。
章一郎は、ここへ来る前に孝行に言われたことを思い出した。
「屋敷と土地の権利は手に入れましたので、思う存分やってください。後の事は何とかなりますので、ご心配なく。」
章一郎は孝行に感謝した。
手はず通りに門扉を開けると、一気に突入した。再び、門扉を閉めると、見張りを数名置いた。周りを取り囲む塀は2メートル以上あり、外からでは中の様子はわからなかった。入り口から入られなければ問題はなかった。
元々、いわく付きで、ほぼ空き家状態、近寄る者などいなかった。
「連中の事は気にせず、進んでください!」
入り口の扉を開けた途端、現れた男達を前に拓実の声がした。
「では、な、章太郎。」
そう言って章一郎は走り出した。その後を、何人かが付いて行った。
章太郎は、祖父とは別の方へ走り出した。その後を拓実と何人かが追いかけた。
「そこだ!章太郎!」
しばらく行った所で、拓実が叫んだ。扉の前には、見張りの男が数人いた。その声を聞いて、奥からもう数人が駆けつけて来た。
拓実が扉の鍵を開ける間、章太郎と他の者は男達の相手をした。
「開いたぞ、行け!」
拓実がそう言うと、章太郎は扉の方へ後ずさりした。そして、扉の隙間から体を滑り込ませた。拓実は扉を閉めると、章太郎に代わって男達の前に立ち塞がった。
「ハルト・・・」
「章太郎さん・・・」
ハルトは、薄暗い部屋のベッドの端に座っていた。
「助けに来たんだ、ハルト。」
「いいえ、わたしはもう、帰れません・・・」
「そんなことないって、皆、待ってるよ。」
章太郎は窓の方へ歩いていくと、カーテンを開けた。そこからは、庭の中で戦っている皆の姿が見えた。
「ハルト、こっちに来て、見てみてよ。」
章太郎にそう言われ、ハルトは窓辺に近づいた。窓の下を見下ろすと、見覚えのある顔があった。彼らは慣れないながらも、何人かで1人を取り囲んで戦っていた。
「皆さ、おまえを助けるために来てくれたんだよ。」
「そんな、こんなわたしのために・・・皆が・・・」
「ハルトがいつも、皆のために頑張っているからだよ。」
「・・・・・・」
「だから、勘違いした事なんて気にしないで、帰って来いよ。」
「勘違い・・・そうです、よりによって、あんな男を父親だと勘違いするなんて!」
「えっ?どういうこと?」
章太郎は思いも寄らぬ事を聞いて、気が動転していた。
「ハルト、それ、どういうこと・・・」
ハルトは、章太郎を見て少し顔をそむけた。しかし、昨夜、チャールズから聞かされた話をした。
「それじゃあ、ハルトの父親は別の人なの?」
「はい・・・勝手に勘違いして、こんな所まで来るなんて、わたしは・・・」
ハルトはうなだれていたが、章太郎はその顔に笑みが浮かんでいた。
「だったら、何の問題もないよ!その話が本当なら、ハルトの父親は先生かもしれない!」
「章太郎さん、それは・・・一体・・・」
「だから、ハルトの勘違いだったんだよ。いや、その話じゃなくて・・・」
章太郎は少し落ち着くために、深呼吸をした。ハルトは訳がわからず、章太郎を見つめていた。
章太郎は、今朝、先生から聞いた事を、ハルトに話した。次第に、ハルトの顔から陰りが消えて、驚きと喜びの色が見え始めた。
「章太郎さん、本当ですか?」
「本当だよ、ハルト。」
「先生が、わたしの・・・」
「そうだよ、先生が待ってる。帰ろう、ハルト。」
ハルトの碧い瞳から、涙がこぼれ落ちた。部屋の中に、鳴き声が響いた。
章太郎が扉を開けると、拓実達が待っていた。男たちは縛られて座っていた。
「上手くいったようだな。」
拓実が、章太郎の後ろから現れたハルトを見て言った。
「章太郎、おまえはハルトを連れて戻れ。」
章太郎は黙って頷くと、狼の姿に変身した。
「ハルト、乗って。」
ハルトは章太郎の上にまたがると、手を首の方へ動かした。その手触りは、とても柔らかく、なめらかだった。ハルトは何だか嬉しくなって、微笑んだ。
「しっかりつかまって、ハルト。行くよ。」
ハルトは自分の体を預けるように、しがみついた。
章太郎は、廊下を一気に駆け抜けると、階段を跳んで下り、入り口を走り抜けた。そして、閉じられたままの門扉を飛び越えると、鏡島邸へ向かった。
一方、章一郎は、チャールズと対面していた。
「変わらないなその姿。」
章一郎は、目の前に座っている、表情一つ動かさない男を見て言った。
「あなたは少し老けたようですね。」
「そうしないと、人の中では暮らしていけないからな。」
「不便な事ですね。」
「不便とは思ってない。楽しんでいるからな。」
章一郎は、初めてこの男を見た時の事を思い出した。ざっと30年前、潜入した研究所で見かけたあの日から、気に食わない奴だと思った。
友人一家を破滅させた張本人、しかし、それ以上に、自分にとっては敵だと感じたのである。
「そうまでして、研究を続けたいのか。」
「そうですよ。わたしにとって人の時間は短すぎるのですよ。」
「そのために何人の者を犠牲にした。」
「数えていませんので、わかりませんね。」
「そうだろうな・・・」
「わたしは、依頼があるからしていることですよ。そのついでに、自分のために利用しているだけです。」
「何を言っても、平行線だ。もう、終わらせよう。」
「そうですね。」
章一郎の姿が消えたと思ったら、チャールズの目の前に現れた。しかし、チャールズの左腕が突然、巨大化して、その攻撃をはねのけた。その腕は、金色の体毛に覆われていた。
章一郎は眉間にシワを寄せた。それは、かつての友人と同じ色の体毛だった。
章一郎は、連続で攻撃した。攻撃をくり返すうちに、いつの間にか、狼へと姿を変え、チャールズの死角を狙って、高速で攻撃を続けた。
気が付くと、チャールズの体のあちこちから、血が流れていた。一度目を閉じて、再び見開いたその目は、赤く光っていた。今度は、チャールズが高速の攻撃をくり返した。
章一郎は、何度も壁に体をぶつけて、最後に窓枠に飛ばされた。その時、体が人に戻り、思わずカーテンをつかみ、カーテンと一緒に落下した。
その瞬間、窓から月光が降り注いだ。今宵は満月だった。
章一郎は、もう一方のカーテンに手を伸ばすと、一気に引っ張った。部屋の中が、月明かりに照らされた。
月の光を浴びた章一郎は、攻撃のスピードがさらに増した。チャールズは、その場に膝をついた。
「満月とは、やっかいですね。しかし、それはわたしにとっても有利なはずです。」
チャールズは白衣のポケットから、試験官を取り出した。赤い液体が半分ほど入っていた。蓋を開けると、一気に飲み干した。
「あなたとあなたの孫では、どちらが強いでしょうね。」
「おまえ、それは、章太郎の・・・」
チャールズの口角が、いつもより歪んで上がっていた。
章一郎の視覚から、チャールズが急に消えたと思ったら、次の瞬間、右の脇腹に衝撃が走った。痛みに体を屈めると、続いて背中に、左の脇腹に、再び背中にと何度も攻撃がくり返された。
章一郎は膝をついて、肩で息をしていた。口から血を吐き捨てると、その視線の先にチャールズがいた。
「あなたの血筋は素晴らしいですね。」
チャールズは自分の全身を眺めて、恍惚としているようだった。
「いや、すごいのは、あなたの孫の方でしょうか。」
章一郎はチャールズと目が合うと、立ち上がった。窓から差し込む月の光が、2人の全身を照らしていた。
2人の姿がフッと消え、部屋の中に打撃音だけがくり返し響いた。2人の姿が現れると、どちらの体にも攻撃の傷痕が見て取れた。再び、二人の姿が消えた。
何度もそんなことがくり返された後、章一郎が右手を挙げて言った。
「少し待て、いいかげん疲れてきた・・・」
「もう限界ですか。わたしはまだ大丈夫ですよ。」
「本当にそうか?」
「何を言っている・・・!」
チャールズが口から血を吐いた。右手で胸を押さえると、また、血を吐き出した。
「そろそろ、時間切れのようだな。」
章一郎が手で顎をさすりながら言った。
「おまえは欲張り過ぎたんだ。」
チャールズは再び姿を消すと、章一郎に拳を突き出した。章一郎は視線を拳の方へ動かすと、フワリと体を動かしてかわした。
拳は空を切り、チャールズはバランスを崩して、床に倒れた。その体に、窓から月光が降り注いだ。
しかし、それはもう、彼を助けてはくれなかった。
チャールズは月の光に手を伸ばした。その指先が灰のように崩れ落ち、それが手のひらへ、手首へ、腕へと広がっていった。
「おまえ、一体どれだけの能力をを取り込んだんだ。」
「そんなこと、覚えていませんよ・・・」
残された灰が、月明かりに照らし出されていた。
章一郎は、その灰の中に光るものを見つけた。灰をかき分けると、ガラスの容器が出てきた。中には、碧い瞳の眼球が二つ、入っていた。
「まだ、これを持っていたのか・・・」
章一郎は、灰を見下ろした。
しばらくして、扉が開いた。
「終わったんですか?」
部屋の中から音が聞こえなくなったので、外で見張りをしていた者が確認するために入って来たのである。
「この灰が、あの男ですか?」
「そうだ。」
「ついに、やったんですね。」
「いや、俺が手を出すまでもなく、この男はいずれ自滅しただろうな・・・」
見張りの男は、章一郎の言った事に首をかしげたが、何も言わず部屋を出た。廊下から、結果を報告する声が聞こえてきた。
章太郎は、鏡島邸の前でハルトを降ろすと、すぐに引き返してきた。屋敷の入り口で待っていると、廊下を歩いてくる祖父の姿が見えた。
「じいちゃん!」
「章太郎、そっちも終わったのか?」
「うん、ハルトはもう送り届けてきたよ。」
「そうか、よくやった。」
「じいちゃんの方は・・・」
「ああ、全て終わった。帰ろう。」
二人は肩を抱き合いながら、鏡島邸への帰路に着いた。
「鍛冶君!」
春奈が門の外で手を振っていた。
「生徒会長!」
章太郎は祖父の肩から腕を離すと、走り出した。章一郎は、二人が話している横を通り過ぎ、鏡島邸の敷地に入った。
孝行が待っていた。二人は肩を並べて歩き出した。
そこには、旧・ウエスト邸から戻って来た者達が大勢いた。傷の手当てをされたり、何かを飲んだり、食べたりし、そばにいる者と話したり、笑ったりしている者もいた。
章一郎と孝行は、その中を通り抜け、屋敷へと入った。
章太郎と春奈も、話をしながら同じように屋敷へ入った。救護所へ行くと、ハルトが先生を手伝っていた。
ハルトは章太郎に気付くと、笑顔で手を振った。それは、今までハルトが見せたことがないような笑顔だった。章太郎も笑顔で手を振った。
地下の住人たちが帰った後、救護所だった場所に、章太郎と春奈がやって来た。ハルトと先生は、まだそこに残っていた。
章太郎に送り届けられ、ハルトが救護所へ来ると、大勢のけが人がいた。先生たちはとても忙しそうだったので、手伝うことにした。
そして、二人だけになった今、ようやく話せるようになった。
章太郎と春奈に気付いて、ハルトが立ち上がった。
「ハルト、先生とは話せた?」
「はい、章太郎さん。」
ハルトの笑顔は輝いているようだった。反対に先生は、少し落ち込んでいるように見えた。章太郎が尋ねると、
「いや、ずっと知らずにいたのが、申し訳なくて・・・」
ハルトの父親が、先生かもしれないと聞いて、困惑しているようだった。
「でも、オレは、前から、二人はいいコンビだと思っていたけどね。」
章太郎がそう言うと、
「いいことを言うじゃないか、章太郎。」
章一郎がそう言って、近づいて来た。
「じいちゃん。」
「章一郎さん・・・」
「これを君に渡そうと思ってな。」
章一郎は、碧い瞳の眼球が入ったガラスの容器を差し出した。ハルトは驚いて、体を強張らせた。
「嫌な記憶を思い出すかもしれないが、母親の遺骨代わりに埋葬してあげなさい。」
そう言われて、ハルトは大事そうに受け取った。
「それから、今度、俺の家に来るといい。元々、君の祖父母が暮らしていた所だ。二人遺品もたくさん残っている。」
「じいちゃん、もう行くの?」
章太郎は、祖父の背中にそう言った。
「俺たちにも、待っている人がいるだろう。」
「あっ、そうか。じゃあ、また!」
章太郎は別れを告げると、祖父の後を追いかけた。
Midnight Blue Rose @akihazuki71
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