第7話 ハルトの秘密
翌日、章太郎は、昼近くに目覚めた。
昨夜は、深夜に帰宅し、すぐにベッドに入ったが、色々あって疲れていたのだと思った。
起きていくと、母親が待っていた。
「おはよう。」
「おはよう。ごはん、出来てるわよ。」
ダイニングテーブルには、いつもより多めに料理が並んでいた。
「じいちゃんは?」
料理に手をつけながら、章太郎は聞いた。
「来客があって、今、外にいるわよ。」
章太郎が、玄関の方を振り返ると、扉が開いて祖父が戻って来た。
「起きたのか、章太郎。」
章一郎はそう言って、笑みを浮かべた。
章太郎が食べている間、二人も食卓に座っていた。一昨日の朝もこうして、三人で朝ごはんを食べたはずだったが、ずいぶん前のような気がした。
「今日、話しをしに行くんだよね?」
「ああ、そうだ。」
「二人とも、気を付けて行ってきてくださいね。」
「はーい。」
「わかった。」
「本当ですよ。もう、あんなに心配するのは嫌ですからね。」
由貴はそう言って、キッチンへ行った。残された二人は、顔を見合わせた。
しかし、由貴は、二人を快く送り出してくれた。
ミセス・ローズ記念学園の理事長室に、昨日、ここに集まった者に章太郎と春奈が加わって、話し合いが行われていた。
「章太郎君の話からすると、二人が監禁されていたのは、旧・ウエスト邸ではないかと思う。」
孝行が顎に手を当てて、そう言った。
「旧・ウエスト邸?」
章太郎が聞き返すと、他の者も興味ありそうに身を乗り出した。
孝行の話によると、旧・ウエスト邸は、南東部にある高級住宅地の中にあり、その中でも一番古くからある屋敷だった。
築およそ100年と言われる屋敷は、20年ほど前に売りに出され、正体不明のダミー会社に買い取られた。その時に、外観は変えずにリノベーションされ、さらに、最新のセキュリティが導入されていた。
それは、今も変わらないはずで、難攻不落の屋敷と言われていた。
「オレ、地下の壁を破って逃げてきたけど・・・」
「地下室だけはそのままだったのかもしれないね。」
「運がよかったな。」
そう言われて、章太郎は春奈を見た。彼女もこちらを見ていた。知らなかったとはいえ、無事に逃げ出せてよかったと思った。
「何にせよ、今もそこにいるとしたら、厄介だと言う事だな。」
ライアンがそう言うと、拓実が次の話しに移った。
「今朝、その屋敷の様子を探って来たんですけど・・・」
拓実は昨夜、男達の後を尾行ていったらしい。
「あの団体さん、もう、あの屋敷にはいないみたいですよ。」
「本当か?」
「間違いないです。」
「仲間割れか何かわからないが、こちらにとっては都合がいい。」
「章一郎さん・・・」
「今度こそ、必ず決着をつける。」
章一郎は決意を固めたようだった。それを見た孝行も表情を一層引き締めた。章太郎はそんな二人を目の前にして、息を呑んだ。
一度も口をきかなかったハルトが、最後に聞いた。
「どうして、彼らはわたしを指定して来たのでしょうか?」
誰もが意表を突かれた顔をする中、章一郎と孝行は顔を見合わせ、表情をくもらせた。それに気付いたライアンが、拓実に声を掛けた。
「拓実、俺達はそろそろ失礼しよう。」
「えっ?あ、はい。」
拓実は驚いたが、ライアンの顔を見て従った。
開いた扉が閉められると、部屋の中に沈黙が流れた。
「これは、出来れば話したくなかったんだが、ハルトには、知る権利のあることだからな。」
章一郎はそう言って、重い口を開いた。
章一郎には、子どもの頃からの親しい友人が一人いた。
その友人は、章一郎と同じ人狼だった。彼は、美しい碧い瞳を持っていた。ハルトのそれと同じ色だった。
彼は、章一郎と同じように人と結ばれ、その一人娘にも瞳の色が受け継がれた。章一郎と違い穏やかな性格の彼は、人里離れた場所でひっそりと暮らしていた。時々、章一郎が訪ねて行ったが、それ以外に人とのつき合いはあまりなかった。
ところが、ある日、いつものように訪ねて行くと、家はもぬけの殻だった。争ったような形跡が残っていたので、章一郎は必死に調べた。
そして、最終的につながったのが、かつて、ここにあった研究所だった。
当時、新しく所長になったばかりのチャールズ・坂口が、友人一家の失踪に関係していたのである。
その後は、章太郎がバラ園で聞いたように、研究所を閉鎖に追い込むために、力を尽くしてのだった。
そして最後に、ハルトには辛い真実が待っていた。
ハルトは、友人の一人娘とチャールズ・坂口の間に生まれた子どもだった。
その時には、一人娘もその両親もすでに亡くなっていて、どのようないきさつがあったかはわからなかった。
「黙っていてすまなかった。」
章一郎がそう言って頭を下げると、孝行もそれにならった。亡き、義父に代わってという思いだった。
「そうですか。その人が、その父が、わたしを・・・」
ハルトはつぶやくように言った。
「ハルト・・・」
章太郎は何か言葉を掛けたかったが、続かなかった。
「ハルト、たとえそれがわかっても、あなたはあなたよ、変わりないわ。」
「そうだ、俺達の知っているハルトに変わりはない。」
春奈と綾錦がそう言うと、ハルトは顔を上げた。
「ありがとう、心配してくれて。」
ハルトは、少しだけ微笑んでいた。
帰り際、章太郎はハルトに誘われた。
「これから一緒に来てくれませんか?皆、元気になって、あなたに会いたがっているんです。」
いつものハルトだと章太郎は思った。
「うん、行くよ。皆の無事を確かめたいし・・・あっ、いいかな?」
章太郎は振り返って、祖父の顔を見た。
「行ってこい。」
章一郎は笑っていた。
扉が開くと、誰もが近寄ってきて、そして、声を掛けてきた。
「章太郎さん!」
「ありがとう。」
「助かりました。」
行く先々で、そう声を掛けられた。ハルトに先導され、春奈と綾錦にガードされていなければ、大変な事になっていたかもしれなかった。
そんな大歓迎の中を抜け、ハルトの仕事部屋にたどり着いた時はホッとした。
「お疲れさまでした。」
ハルトがそう言って、お茶を出してくれた。
「ありがとう、ハルト。」
四人でくつろいでいる所へ、ライアンが顔を出した。
「来たな、章太郎。」
「ライアン、本当にここにいるんだ。」
夜のバラ園で助けられ、別れ際、「次に会う時にわかる。」と言われ、昨夜、あの状況で再会した。あの後、事情を話してくれたが、今、改めて実感した。
「まさか、あんな事になるとは思わなくてな・・・、すぐに、ここで会えると思っていたからな。」
地下で異変が起き、章太郎と春奈が誘拐されたのである。
「オレだって、驚いてるよ。」
章太郎は、その場にいた他の三人に、ライアンが母の店の常連客である事を話した。その店でバイトをしている章太郎は、彼の事をよく知っていた。
それは、ライアンの方も同じで、章太郎の昔話で盛り上がった。
拓実が迎えに来たので、ライアンは出ていった。そのすぐ後に、章太がやって来た。
「久し振りです、章太郎さん!」
「章太、元気だったか?大丈夫だったのか?」
章太郎は、地下の異変の時、どうしていたのか聞いた。
「それが、僕がいた部屋は鍵が掛けられていて、通路に直接、面してなかったので、何も知らなかったんです。」
章太は頭をかきながら、笑った。
「後から話を聞いて、びっくりですよ。」
「そうなのか、でも、無事でよかったよ。」
「ありがとうございます。また、章太郎さんに助けられたんですね。」
「直接、オレが何かしたわけじゃないけどね・・・」
「そんなことありませんよ!」
「そうですよ、章太郎さん。」
ハルトが二人の会話に入って来た。
「ハルトまで・・・」
「何を言っているんです、章太郎さん。あなたは、身を削ってわたし達を助けてくれたんですよ。」
「そうかな・・・」
章太郎は全員の顔を見た。ハルトも、章太も、春奈も頷いてこちらを見ていた。綾錦も意味ありげな笑みを浮かべて見ていた。
「ありがとう。そう、思うことにするよ。」
章太郎は、ここにいることを誇らしく感じていた。
章太と色々な話をした章太郎は、祖父に言われた事を思い出した。「その子と友達になったらいい」と言われた事である。
「章太、それに、ハルトも、その章太郎さんっていうの、やめないか?」
二人は「えっ?」と驚いた。
「オレ達、もう、友達だろう?章太郎でいいよ。」
「章太郎さん、あっ・・・」
ハルトが言葉に詰まった。しかし、
「そうか、そうだね。章太郎!」
章太は笑顔でそう言った。
もうすっかり、打ち解けた様子の章太に対して、ハルトはまだぎこちない感じだった。そんなハルトに、章太郎は言った。
「急には無理だろうから、ゆっくりでいいよ。」
章太が出ていくと、ハルトが少し落ち込んでるように見えた。
「ハルト、大丈夫か?」
章太郎はそう言ったが、ハッと思った。さっき、ハルトの出生の秘密を聞いたばかりだと思い出した。
「なんでもありません。」
気を遣ってそう言ったハルトに、章太郎は、
「なんでもないことないよ。あんな話を聞いたんだ、大丈夫なんて事ない!」
少し興奮気味に言ったのを、春奈がたしなめるように、
「鍛冶君、少し落ち着いて。」
「ああ、ごめん・・・」
思わず身を乗り出していた章太郎は、そう言って座り直した。
「心配してくれて、ありがとう。」
ハルトは苦笑を浮かべた。
「両親がちゃんといて、祖父母の事がわかっているわたし達には、やっぱり、わからない事よね。」
「俺の所は離婚してるけどな・・・」
「それでも、会う事は出来るでしょう。」
余計な事は言わないでとばかりに、春奈が言った。
「実際の所、わたしはどうするべきなのかわからないんです。」
ハルトはそう言って、
「前に話しましたよね。わたしは、両親の事を知らないと。だから、あの話を聞いた後も、実感がわきませんでした。わたしが小さい頃の事で覚えているのは、時々、甘い飲み物をくれた、白衣を着た髪の長い男です。その人は、よくわたしの相手をくれて、ハルトと呼んでくれたんです。それが、父なんでしょうか・・・」
ハルトは、淋しそうな顔でそう言った。
「ハルト・・・」
章太郎は、自分は無力だと思った。ハルト達は、自分の事をすごい人だと言ってくれるけど、目の前にいる淋しそうな友人に声を掛ける事も出来なかった。
「鍛冶君、あの、そろそろ帰らないと。」
春奈が気まずそうに言った。
「ハルト!」
章太郎が急に大声を出したので、ハルトは驚いて顔を上げた。すると、章太郎が目の前まで来て言った。
「ハルト、明日、また明日来るからさ。その時に、また話そう。約束、約束な!」
「は、はい。」
章太郎に勢いに、ハルトは押されて、そう言った。
三人を見送ったハルトは、思い出して、一人で笑った。
翌朝、章太郎は、また祖父と一緒に家を出た。
昨日の夜、明日はまた友達に会いにいくと言うと、母親がお弁当を作って持たせてくれた。
「お友達と食べなさい。」
「ありがとう、母さん。」
上機嫌な孫を見て、章一郎は微笑んだ。
「よかったな。」
「えっ?」
「なんでもない。行くぞ。」
祖父の後を付いて学園まで来ると、春奈が待っていた。
「おはようございます。」
「おはよう、じゃあ、俺はここで・・・」
章一郎は、そう言って校舎の入り口へ向かった。今日もあの屋敷へ踏み込むため、色々と打ち合わせがあるようだった。
「今日、綾錦先生は用事で来られないそうよ。」
「えっ?じゃあ、今日は二人で行くの?」
春奈が微笑んで頷くと、章太郎も笑顔になった。
ハルトは笑顔で出迎えてくれた。
「待ってましたよ。」
「今日はおみやげがあるんだ。」
章太郎はそう言って、手に持っていた紙袋を掲げた。
「えっ、何ですか?とにかく、入ってください。」
中に入ると、ハルトは、昨日、あれから先生と話した、と言った。
ハルトが話した子どもの頃の記憶は、先生も覚えていたようで、確かにそういう事があったと言ったそうだ。
ハルトは、自分にも父親との記憶が、少しは残っていたと喜んだ。
そこへ、章太が入って来たので、お昼には少し早かったがお弁当を広げた。
「わあ、おいしそう!」
「これを、鍛冶君のお母さんが?」
「うん、そうなんだ。皆で食べろって・・・、ハルト?」
テーブルに並んだ色とりどりのお弁当に、皆は口々に声を上げた。ところが、ハルトだけは何も言わず、目を丸くして見つめていた。
「あっ、すみません。驚いてしまって、こういう手作りのお弁当は初めてなので。」
章太郎に名前を呼ばれて、ハルトは我に返るとそう言った。
「そうか・・・じゃあ、遠慮しないで食べてよ。ほら、みんなも。」
章太郎は、その場を盛り上げようと、明るく声を掛けた。
部屋の中はちょっとした遠足気分だった。四人は、思い思いに料理を取って食べ、昨日と同じように会話を楽しんだ。
食事中ということもあり、それぞれの好きな食べ物に話が及んだ。
「僕はこの中だと、やっぱりこれかな。」
章太はそう言って、弁当箱の中から唐揚げを取り出すと、口に放り込んだ。かなり大きかったので、目を見開いて口を動かすとようやく飲み込んで、息をした。
「大丈夫か?章太。」
章一郎がそう言うと、春奈とハルトも声を掛けた。
「欲張り過ぎよ。」
「気を付けてください。」
「みんなは、みんなは何が好きなの?」
今度は、一息ついた章太が聞いてきた。
「章太郎は?ねえ、何が好き?」
グイグイと詰め寄ってくる章太に、押された様子の章太郎は、
「オレは、これだな、ハンバーグ。お弁当のおかずとしてもだけど、家では何かあると、いつもハンバーグなんだ。」
「お誕生日とか、何かのお祝いの時とかに?」春奈が聞くと、
「うん、それもあるけど、今は父さんが帰って来た時も・・・」
「鍛冶君のお父さんはずっと海外にいるんだったわね。」
「そうなんだ。」
「そうなんですか。」
章太郎は小さく頷いた。そして、次はと言うように春奈に視線を向けた。
「わたしは、卵焼きかしら。」
春奈はそう言って、箸で卵焼きをつかんだ。
「お母さんが、作ってくれるの?」
章太郎がいぶかしげに聞いた。
「いいえ、母は料理はしないわ。父はすることもあるけど、いつもは料理人が作っているわ。でも、卵焼きは姉が作ってくれた事があって、学校の調理実習で覚えてきた時に。」
三人は相づちを打って聞いていた。
「思い出の味ね。わたしも覚えた時は、お返しに姉に作ったわ。」
「お姉さんがいるんだ、生徒会長。」
「えっ、ええ。」
春奈はそう答えてから、顔を少し横向けた。続いて、ハルトに視線が注がれ、誰も気付かなかった。
「最後はハルトだね。」
章太がそう言うと、ハルトは微笑んだ。
「このお弁当を見て思い出したのですが。これです、これを昔、食べたような気がするんです。」
ハルトはおにぎりを手にした。
「おにぎりか・・・」
「でも、ハルト、食べた事あるじゃないか。」
章太がそう言うと、ハルトは微笑んで、
「ええ、売っている物はありますけど、これは少し違うじゃないですか。」
お弁当箱のおにぎりは、市販の全体に海苔が巻かれた物と違い、小さな海苔が一部に巻かれていた。
「昨日、話した、研究所の人に、これよりもう少し小さい物をもらった覚えがあるんです。味も似ている気がするんです。うろ覚えの記憶ですけど・・・」
ハルトは、苦笑した。
「いい思い出じゃないか。ハルトにも優しくしてくれた人がいたって事だよ。」
「ええ、そうだわ。」
「ハルトはおにぎりが好きって事だよね。」
四人の話は、さらに盛り上がっていった。
帰り際、章太郎はハルトに言った。
「また、母さんにお弁当作ってくれるように頼むからさ。また一緒に食べようよ。いいだろ、ハルト。」
「もちろんです。お母さんにおいしかったと伝えてくださいね。」
部屋を出ていく章太郎達を見送って、部屋の中に一人残ったハルトは、少しだけ思い出したように微笑んだ。
章太郎達と一緒にいると、忘れていた事を思い出すことが出来て嬉しかった。しかし、どうしても思い出せないことがある事にも気付いた。
その瞬間、ハルトの顔から笑顔が消えた。
扉を叩く音がした。
「はい、どうぞ。」
いつものまとめ役のハルトに戻っていた。
章太郎と学園の前で別れた章一郎は、理事長室にいた。
「これで、どうにかなりそうだな。」
「いつにしますか?」
「早い方がいいな、向こうも手勢がいつ戻って来るとも限らないからな。」
「では、明日にでも・・・」
「うむ。そうしよう。」
「これでようやく、義父の遺言を全うできます。」
「色々と世話になったな。おまえたちにも。」
章一郎は、部屋の中にいる者たちにそう言って、頭をわずかに下げた。皆もそれに合わせて頭を下げた。
「この時が来るまで長かったですね。」
孝行は章一郎に視線を向けた。
「そうだな、きみが引き継いでくれたおかげだよ。俺自身は昔のように動けなかったからな。」
「そう言ってもらえると・・・引き継いだかいがあります。」
夜の街を歩く人影があった。
ここは、ミセス・ローズ・シティの南東部、大きな屋敷が建ち並ぶ高級住宅地の一角だった。
目当ての屋敷の前まで来ると、人影は立ち止まった。インターホンを押すと、すぐに応答があった。
「ハルトです。」
そう答えると、門が自動で開いた。人影は中へ消えた。
「あなたに聞きたいことがあって来ました。」
「どんなことでしょうか。」
向かい合って椅子に座っている二人は、どちらも肩まである長髪だった。しかし、両者の印象はまるで違っていた。
一人は、大きな碧い瞳が真っ直ぐに相手を捉えていた。表情は硬かったが、笑顔を浮かべたら多くの人を魅了するだろうと思われた。
一方、もう一人は、細い目はどこを見ているかわからなかった。無表情であるにも関わらず、口角だけが常に上がっていて、不気味な印象だった。
「母の事を教えて欲しいんです。」
碧い瞳をしたハルトが言った。
「母親の事ですか。」
細い目をしたチャールズが言った。
「はい、母の事を知りたいんです。あなたが知る限りの母の事を話してください。」
「それは、わたしにどんな得があるのでしょうか。」
ハルトは相手から目をそらせると、小さくため息をついた。
「あなたなら、そう言うだろうと思ってました。」
ハルトは今さらではあったが、目の前の男が父親であることに絶望した。その上、相手は、ハルトが今、言った事にさえ何の反応も示さなかったのである。
ハルトは覚悟を決めたように言い放った。
「もし、あなたが母の事を話してくれるのなら、わたしはあなたの言う通り、何でも従います。」
相手はしばらく沈黙した後で、
「どんな事でも。」
「はい、どんな事でも。」
「わかりました。いいでしょう。」
チャールズは、足を組み替えると膝の上に両手を重ねた。
初めは、ごく普通の出会いの話から始まった。その頃、チャールズは、すでに多数のスポンサー企業から出資を受け、研究開発を行っていた。
製薬会社や軍事産業、正体不明のダミー会社、中には、ある国家からというのもあった。求める成果が得られるなら、その過程には干渉しなかった。
世界各地を転々としながら研究を続ける中で、研究対象となる者の情報も入って来た。ハルトの母やその両親の事も、そういった情報としてもたらされた。
「写真を見て、一目で気に入りました。」
チャールズは、珍しく自ら調査に向かった。しかし、慣れない山道で足を痛めて動けなくなっている所を、ハルトの母に助けられたのだった。
彼がそこへ行ったのは必然であったが、そこで彼女に助けられたのは偶然だった。
心優しい一家は、親切からケガをした男を助けたが、男の方はその厚意を利用したのだった。
チャールズのスポンサーだった軍事産業の私兵部隊によって、一家はその家から姿を消した。当時の研究施設に運び込まれ、監禁される事となった。
研究を進める中、親子でも様々な違いがあることがわかった。それは、人狼の純血と混血の違いであるとわかり、それならば、さらに血が薄くなるとどうなるのかと、興味を持った。
チャールズは、娘に子どもを産ませることにした。
「わたしは、そうやって、生まれたんですか・・・」
ハルトは、怒りも悲しみも感じる事が出来なかった。
「誰にも愛されず、求められることもなく、ただ、生まれたんですか・・・」
「わたしが求めましたよ、大事な研究対象なのですからね。」
「・・・・・・」
「それに、彼女は愛してると言ってましたよ。」
ハルトは目を見開いて、チャールズを睨み付けるように見た。
「それは、どういうことです?」
ハルトの言葉に答えるように、チャールズはその続きを話した。
子どもは無事に生まれたが、その直後から娘の様子が変化し始めた。赤ん坊を渡すように言ったチャールズに、強く抵抗するようになったのである。
「どんないきさつで生まれて来たとしても、私の子どもよ、愛しているの、あなたなんかには決して渡さない。この子は絶対に幸せになるんだから。」
彼女はそう言っていた。チャールズは何の感情もなく、そう言った。
仕方がないので彼女の事は諦めようと思った。すでに、得られるだけのものは得ていたので、諦めることにした。
チャールズはそう言うと、白衣のポケットからガラスの容器を取り出した。そこには、碧い瞳の眼球が二つ、入っていた。
「美しいでしょう。」
チャールズは、それをうやうやしく掲げて、眺めていた。
「母さん・・・、・・・」
その二つの瞳を見つめるハルトの目から、涙があふれてきた。
しばらくして、チャールズは、手にしたガラスの容器をポケットにしまうと、扉の方に目を向けた。
「入って来てください。」
ハルトは、涙を拭いながら顔を上げた。すると、入り口の扉が開いて、男たちが入って来た。
「だ、誰もいなかったんじゃ・・・」
ハルトは驚いて言った。
「そう、思っていたなら、成功だな。」
低い男の声がそう言った。
「連れて行ってください。」
チャールズがそう言うと、ハルトは両側から腕をつかまれた。部屋から連れ出されながら、ハルトはチャールズに言った。
「どうして、こんな、わたしは約束は守ります。」
「わたしは、他人の言う事など信用しないのですよ。」
「他人?それは、どういう・・・あなたは、わたしの・・・」
「それも、あなたの勘違いですね。わたしはあなたの父親などではありませんよ。」
ハルトは入り口まで連れて来られた。男達がそこで止まったので、ハルトは何とか振り返ってチャールズを見た。
「あなたを生ませるために、わたしは研究所にいた若い研究員に協力させたんです。彼は、とてもお人好しな男でしたよ。」
ハルトの目には、チャールズは笑っているように見えた。
ハルトは引きずられるようにして、廊下を進んだ。
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