第3話 大忙しの夏休み

 翌日、章太郎は、再び補習を受けるために登校した。その日は、春奈に会うこともなく、綾錦先生からも何も言われなかった。

 補習を終えると、早々と学校を後にした。

 その帰り道、昼食を食べるために、章太郎は繁華街へ向かった。飲食店や服飾店、娯楽施設などの大小様々な店が、所狭しと並んでいた。

 夏休みということもあって、普段より人通りが多かった。人と人の間を足早に通り抜けると、通りの角にある古ぼけた店に入った。

 消えかかった看板には、「壱番館」

「いらっしゃい。」

 低い声が響いた。店内も外観に負けず劣らず、年季が入っていた。

「お、章太郎じゃないか、珍しいな。」

 章太郎がカウンターにすわると、口ひげを生やした白髪混じりの男がそう言った。

「夏休みだから、どの店も混んでてさ。ここなら、空いてるかなと思って・・・」

「うちだって、ランチ時は満員なんだぞ。」

 店内の時計は、11時を少し回っていた。

「オムライスでいいのか?」

「うん。お願い。」

 店主の問いに、章太郎は短く答えた。

 章太郎はまだ物心つく前から、両親に連れられて、よくこの店を訪れていた。元々は、祖父母が通っていた店である。

 この都市が出来た当初からここにあり、何軒かある100年続く店の1つである。

 章太郎は、幼い頃からこの店のオムライスが、お気に入りだった。最近は、あまり足を運ばなくなっていたが、久し振りに訪れた。

「お待たせ。」

 章太郎の前に、湯気の立つオムライスが置かれた。鮮やかな黄色い卵焼きの上に、特製のデミグラスソースがたっぷりとかけられていた。

「いただきます。」

 章太郎はそう言うと、スプーンを手にした。何も言わず、一心不乱に食べる章太郎の姿に、店主は目を細めた。

 数分後、満足そうな章太郎の前に、店主はグラスを置いた。鮮やかな青いソーダ水の上に、アイスクリームの丸い山が載せられていた。これもまた、章太郎のお気に入りだった。

 章太郎が、クリームソーダを堪能していると、入り口の扉に付けられたベルが鳴った。数人の客が入って来た。

「いらっしゃい。」

 店主は、お盆に水の入ったグラスを載せ、注文を聞きにいった。戻って来ると、再び、扉のベルが鳴った。

 時計の針は12時15分前を指していた。店内は客で一杯だった。

「章太郎、今日はバイトの子が来られないんだ。手伝えってくれ」

 店主はそう言うと、カウンターの上にエプロンを置いた。章太郎は、客のあふれた店内を見渡した。

「しょうがないなぁ・・・」

 章太郎は、独り言のように言うと、エプロンを着けた。

「いらっしゃいませ、ご注文は?」

「ランチ2つとナポリタン2つ、カレーライス1つ!」

「はい、上がったよ!」

「お待たせしました!本日のランチとナポリタンです。」

「ありがとうございました。また、どうぞ!」


 あっという間に、嵐のような2時間が過ぎた。章太郎は、カウンターにへたり込むと、ため息をついた。

「はあ、終わった・・・」

 すると、また扉のベルが鳴った。章太郎は、反射的に立ち上がった。

「いらっしゃいませ。」

「お店、大丈夫だった?おじいちゃん。あれ?章太郎君じゃない。」

 店主の孫娘、咲希が目を丸くして立っていた。

「じゃあ、章太郎君がお店を手伝ってくれたの?」

「うん、ちょうど、悪い時に来たみたいだったよ・・・」

「それは、ありがとう。忙しかったでしょう?ごめんね。」

 咲希とは、子どもの頃からこの店で、数え切れないほど顔を合わせていた。お互いの誕生日や年中行事など、ことあるごとに家族同然のつき合いをしていた。

 いってみれば、幼なじみである。

「でも、久し振りだね。前に、会ったのはいつだっけ?」

「そうだな、父さんが帰って来た時だったから・・・今年の始めかな?」

「そんなに経つのか・・・子どもの頃は、毎月のように会ってたのにね。」

 咲希は思い出すように、遠くを見る目をした。

 章太郎より2歳年上の咲希は、今年、大学生になった。ミセス・ローズ記念大学である。章太郎が通う高等部と同じ敷地内にあるが、広すぎて、会える事はなかった。

 昔から、ボーイッシュなショートヘアだったが、メイクとピアスをしている今の彼女は、何だか大人びて見えた。

「章太郎君、ご苦労さま。わたし、サンドイッチ作るから、食べてってよ。」

 咲希はそう言うと、壁際に掛けられていたエプロンを着けた。カウンターの中へ入ると、手際よくサンドイッチを作り始めた。

 店内に客はおらず、ピアノのBGMが静かに流れていた。のんびりとした午後のひとときが、過ぎていった。

「はい、どうぞ。」

 咲希がそう言って、カウンターに皿を置いた。さらに、もう一皿置くと、

「おじいちゃんもどうぞ。」

 カウンターの一番端の席に座って、新聞を読んでいた店主に声を掛けた。咲希は、カップを3つ並べると、コーヒーを注いだ。そして、カウンターの中から出ると、章太郎の隣に座った。

 しばらくすると、また客が入り始めた。3人は見事なチームワークで、夕方の営業を乗り切った。

「少し早いが、今日はおしまいにするか。」

 客がいなくなったところで、店主がそう言った。

「じゃあ、オレも。少し早いけど、母さんの店に行くよ。」

 章太郎がエプロンを外しながら、そう言うと、

「今夜はデートじゃないのか?」店主が言った。

「えっ?」章太郎は驚いて、店主の顔を見た。

「夕べ、店に行ったら、おまえは休みだったろう。皆がそう言ってたぞ。」

「へえ、そうなの?相手は?どんな子?」

 咲希が興味津々に聞いてきた。

「いや、デートじゃないから・・・オレ、もう行くから!」

 2人の視線に耐え切れなくなった章太郎は、荷物を掴むと急いで店を出ていった。


 章太郎は、繁華街を走り抜け、大通りで立ち止まった。信号待ちの間に息を整えると、歩き出した。

 大通りを渡ると、町の様子は一変する。細い通りがいくつも交差し、独特のネオンの明かりが目に入ってくる。

 章太郎は足取りが少し重くなった。

 さっきの店主の話からすると、また、バーの常連客に色々言われそうだと思ったからである。「行きたくないなあ」と思った。

 しかし、昼間、忙しく働いていた時は、余計な事を考えずに済んだ。それだけは、良かったと思えた。

 今夜も一所懸命働けば、何も考えずに済むはずだと思った。

 色々な事が一度に起きて、章太郎は混乱していた。しばらく棚上げして、成り行きに任せたかった。


 翌日、また補習を受けに行った章太郎は、春奈に呼び出された。

「急に、ごめんなさい。ハルトから来て欲しいと連絡がきたの。」

 緊張して生徒会室を訪れた章太郎は、少し胸をなで下ろした。それに気付いた春奈は、気遣うように言った。

「一昨日の夜、わたしが言った事は、夏休み中に考えてくれればいいから。」

「あ、うん、わかった。」

 章太郎は春奈と一緒に、地下駐車場へ向かった。すると、あの扉の前で綾錦先生が待っていた。

 地下道を進む途中、章太郎は春奈に耳打ちするように聞いた。

「ねえ、どうして、綾錦・・・先生はついてくるの?」

 2人の前を歩く綾錦は、ピクリと頭を動かした。春奈は微笑んだ。

「綾錦先生は理事長の代理なのよ。」

「代理?何で?」

「綾錦先生は、理事長のご子息なのよ。」

「え?ええーーーっ!」

 章太郎の声が地下道に響き渡った。綾錦は半分だけ振り返ると、険しい表情を浮かべて舌打ちした。章太郎は、春奈の顔と綾錦の背中を見比べていた。

 しかし、章太郎はその時思い出した。

「あれ?でも、理事長の名前って、綾錦じゃないよね?」

「ご両親は、離婚されたから・・・」

「ああ・・・」

「それ以上は何も言うなよ!」

 綾錦が突然、振り返って言った。その後は3人とも、無言で進んだ。


「お待ちしてました。急にお呼び立てしてしまって・・・」

 ハルトはそう言って、3人を部屋に迎え入れた。ハルトは机の前を離れ、ソファーの方へ来ると、空いている所へ腰を下ろした。

「一体、何があったんですか?」

 春奈は心配そうだったが、ハルトは穏やかそうに笑みを浮かべていた。

「悪い話ではありません。むしろ、良い話です。一昨日、章太郎さんからいただいた血液、先生たちが徹夜で調べてくれました。その結果、あのドラッグの効果を無効にすることがわかりました。」

 ハルトは嬉しそうだった。そして、話を続けた。

「その後も、様々な検証を繰り返しました。それで、ついに、あの2人に投与することにしたんです。」

 章太郎も、春奈も、綾錦も一様に驚きの表情を見せ、身を乗り出した。

「それで、いつ?いつ投与するんです?」

 春奈が、章太郎と綾錦を代弁するように聞いた。

「実は、もう、今朝、投与をしました。」

「えっ?もう?それで?」

「どうなんだ?」

「どうなったんだ?」

 ハルトに詰め寄る3人、ハルトは一瞬、圧倒されたが、笑顔を取り戻し、

「今も先生達が、結果を見守っていますが、状態は良好のようです。」

 その言葉に胸をなで下ろし、笑顔を浮かべて喜び合う3人に、ハルトは言った。

「じゃあ、様子を見に行きますか?」

 すぐさま立ち上がった3人が案内されたのは、一昨日も入ったモニターが並んだ部屋だった。

 画面には、別々の部屋に置かれた、ベッドの上に横たわる2人の男だった。周りは鉄格子に囲まれていたが、当初とは別の広い部屋だった。

 2人は、ドラッグを摂取してからの日数が長かったので、万全を期すための方法が取られた。さらに、この場所なら、医師たちが目の前で監視できる場所を、確保出来るからでもあった。

 画面には映っていないが、反対側には医師の他、数人が待機していた。そして、会話が出来るようにしてあった。

 1人は、頬がこけた青白い顔をした男だった。一昨日は、目の周りがくぼんで、黒いクマが囲っていたが、今は顔色が悪いだけに見えた。骨と皮だけという印象だった腕も、いくらか肉付きが良くなっているようだった。

 もう1人は、本当にただ眠っているだけのように見えた。血走って大きく見開いた目も落ち着きのない動きも、まるでなかった事のようだった。

 2人とも、穏やかな寝息を立てて、眠っていた。

「驚いたわ、あの時もだけど・・・」

「一体、どういう仕組みになってるんだ、お前の血は。」 

 綾錦が、章太郎の顔を見て言った。

「オレに言われても、困るよ・・・」

 章太郎は困惑していた。

「困る必要なんてありませんよ。あなたはわたしたちにとって、救世主も同然です。」

 話を聞いていたハルトが、横からそう言った。

「こいつが救世主?そんなガラじゃないだろ?」

「いいえ、そんなことありませんよ。」

「そうかあ?」

「そうですよ。」

 綾錦とハルトの正反対のやり取りを、章太郎は頭をかきながら聞いていた。


 ハルトは、引き続き2人の監視を続け、何かあったら知らせると言ったので、その日は、それで帰る事になった。

 帰り際、章太郎は通路で声を掛けられた。

「章太郎さん!」

 聞き覚えのある声に、章太郎が振り返ると、笑顔を浮かべた若い男が立っていた。

「あっ、この間の、もういいのか?」

「はい。まだ、1人では出歩けないんですけど・・・」

 彼はそう言って、チラッと後ろを振り向いた。後ろには、体の大きな男が立っていた。

「そうか、でも、出られるようになったんだ。よかったな。」

「はい、ありがとうございます。」

 彼は、章太郎に噛み付いた事で、一番最初に回復した男だった。章太郎は、彼のそばに歩み寄った。

「髪、切ったんだな・・・」

 この間は、肩まであった髪が、短く切りそろえられていた。

「気が付いたら、あんなになってたんですよ。」

 どうやら、ドラッグの影響で髪が伸びたようだった。彼は、自分の頭に手を伸ばすと、照れくさそうに笑った。

「そういえば・・・名前は、何ていうんだ。この前、聞き忘れて・・・」

章太郎がそう言うと、彼はまた照れくさそうにした。

「僕の名前は、しょうた・・・、章太と言います。」

「えっ?しょうた、それって、まさか・・・」

「はい、章太郎さんのお祖父様に助けられた両親が、一字いただいて、僕に付けたんです。」

 章太は頭をかきながら、そう言った。

「そうなんだ。何か、不思議な感じだなあ・・・」

「いやあ、何か、申し訳ないなあ・・・」

 2人はどちらからともなく、笑い出した。とても、楽しそうな2人の様子に、周りにいた人々も、笑顔になっていた。

 和やかな雰囲気の中、2人は別れた。

 帰り道、とても嬉しそうな章太郎に、春奈が声を掛けた。

「よかったわね、鍛冶君。」

「えっ、何?生徒会長・・・」

 章太郎は、何でもない振りをして、とぼけた。

「ううん、何でもないわ。」

 春奈はそう言うと、章太郎とは反対の方を向いて笑った。2人の前を歩く綾錦も、笑いをこらえていた。

 地上へ戻ると、章太郎は春奈たちと別れ、上機嫌で下校した。


 帰り道、今日は、母親の店の定休日だと気付いた。

 どうしようかと思った章太郎は、少し考えると、再び、歩き出した。

 章太郎には、この街で気に入っている場所が、いくつかあった。誰もが知っている場所もあれば、章太郎しか知らないような場所もあった。

 公共交通を乗り継いでやって来たこの場所も、そんな1つだった。

 都市の南側にあるミセス・ローズ・パークは、市民憩いの公園だった。ミセス・ローズのバラ園があった場所が拡張され、現在の公園の形になった。

 芝生の広場やカフェ・レストラン、周囲を回るジョギング・コースなど、思い思いの時間を過ごす人々であふれていた。

 そんな中に、今もひっそりと残るバラ園は、知る人ぞ知る場所だった。バラの季節には、多くの見物客で賑わうが、それ以外はあまり訪れる者はいなかった。

 バラ園には、ドーム状の東屋があった。生徒会室の温室にあったものと形がよく似ていた。このバラ園の東屋が原型モデルとなっているのだろう。

 章太郎にとってここは、子どもの頃、父に連れて来られた思い出の場所だった。東屋の中は、夏でも心地良い風が吹き抜け、快適に過ごせた。

 章太郎は東屋のベンチに腰を下ろすと、壁にもたれかかった。風を体で感じ、深呼吸をした。バラの季節も終わり、むせ返るような香りもなく、わずかに残る花の香りは心地良かった。バラ園は手入れと清掃が行き届いており、快適そのものだった。

 章太郎は鞄から、ここへ来る前に買ったハンバーガーの袋を取り出した。ガサガサと音をさせて、中身を手にするとかぶりついた。

 お腹も満たされ、快適な場所でのんびりと過ごすうち、章太郎はいつしか、眠りに落ちていった。

 気が付くと、辺りは暗くなり始めていた。時間を確認すると、まもなく19時になろうとしていた。章太郎は、出しっ放しの紙袋を鞄に入れた。まだ、判別出来るくらいの明るさは残っていた。

 東屋を出ようとした時、声がした。

「遅いじゃないか!何してたんだ。」

 低い男の声だった。

「時間通りだろう・・・」

 若い男の声のようだった。

「まあ、いい。それで、手に入ったのか?」

「ああ、何とかね・・・」

 章太郎は、東屋の柱の陰に隠れていた。声はすぐ近くから聞こえるようだが、東屋の中で反響して、どこからかはわからなかった。

「これだけかっ!運び込んだのは3人だろう、あと1人はどうした?」

「すぐに元に戻ったから、取れなかったんだよ。」

「何?どういうことだ!」

 若い男の短い悲鳴が聞こえた。

「しっ、知らないけど、誰かが襲われて、それで、その後、元に戻ったって・・・」

「元に戻っただと・・・そんなわけあるか!」

「ほっ、ほっ、本当だよ、本当に戻ったんだよ!」

「本当だろうな!」

「間違いないって、歩き回ってる所を見たんだから。」

 何かが地面にドサッと落ちる音がした。

「その事をもっと詳しく調べてこい。それから、そいつのサンプルもだ。いいな!」

「わかったよ・・・」

「おい。」

 硬い物を置いたような音が響いた。

「今回は、多めに入ってるからな。上手くやれよ。」

「待って、待ってよ。彼女は、彼女は無事なの?」

 若い男がすがりつくように言った。

「ああ、忘れるところだった。ほら、お前の大事なモンだ!」

 カサッという小さな音がして、安堵したようなため息が洩れた。

「じゃあな、忘れるなよ。いくぞ。」

 章太郎はその瞬間、ホッとして体の力が抜けた。すると、章太郎の足下でガサッと音がして、その後もカサ、カサ、カサ・・・・・・と音がした。

 章太郎が体の力を抜いた時、鞄の中にあったハンバーガーの袋が落ちたのだった。

「誰だ!そこにいるのは!」

 低い男の声が響いた。辺りから複数の靴音が聞こえた。足音が少しずつ東屋へと近づいて来た。

 その時、章太郎の背後から、何者かが手を回し、口を塞いだ。

「動くな。」

 章太郎の耳元で声がした。

 すると、バラ園の端に向かって、足音が移動した。

「あっちだ!追えっ!」

 低い男の声がして、複数の足音が遠ざかっていった。その後、別の足音が遠ざかっていった。

「全く、困った奴だなあ。おまえは・・・」

 章太郎の口を塞いでいた手を離すと、男はそう言った。その声に聞き覚えのあった章太郎は、振り返った。

「・・・ライアン?」

 章太郎の目の前には、母親の店の常連客、ライアン・リーが立っていた。いつものように、革ジャンのポケットから煙草を出すと、火を付けた。

 辺りに煙が漂った。


 章太郎は、ライアンと共に明るい所へ移動した。そこにあったベンチに腰を下ろした。辺りには、もう人影がなかった。

 しばらくすると、金髪の若い男が近づいて来た。

「大丈夫だったか?拓実。」

 ライアンがそう聞くと、拓実は、笑みを浮かべた。

「もちろんです。上手く撒いてやりましたよ。」

「そうか、ご苦労だった。」

「でも、内通者の方はわかりませんでしたよ。」

「何、また、チャンスはあるさ。」

 章太郎は2人の会話を聞いていたが、黙っていられなくなった。

「さっきの人達って・・・」

 章太郎がそう言いかけると、拓実が睨んだ。

「そうだ、連中が、あのドラッグをばらまいてる張本人だ。」

 ライアンが淡々と言った。

「もう少しで、内通してる奴がわかるはずだったのに、邪魔しやがって・・・」

 拓実がグチをこぼした。

「ごめん・・・、でも、わざとじゃないんだ。」

 章太郎はうなだれた。

「わかってるさ。」

 ライアンがそう言ったので、章太郎はチラッとライアンを見た。

「ありがとう・・・」

「全く、もう、ライアンさんは甘いんだから・・・」

 今度は、拓実がふてくされた。

 章太郎は、ライアン達が、ドラッグの出所を追っている話を聞いた。その過程で、地下の住人の中に、内通者がいることを知った。

 その内通者は、地下の住人を誘い出して、ドラッグを摂取させる手伝いをしているようだった。今回、この場所で、双方が会うとわかり、見張っていたのだった。

「せっかくのチャンスだったのに、台無しにしやがって・・・」

「もう、よせ、拓実。」

 怒りが収まらない様子の拓実を、ライアンがたしなめた。

 拓実は、章太郎の顔を睨み付けた。その時、拓実の瞳孔が縦に細く伸び、金色に光った。章太郎は思わず言った。

「きみも、人狼なの?」

「何?人狼だと!」

 昔、父親の瞳が同じようになったのを見たことがあった。その時、章太郎は、これが狼の目だと教えられたのだった。

「よりによって、人狼だと!ふざけるな!オレは由緒正しい人虎の一族、猫の血を受け継いでるんだ!犬なんかと一緒にするな!」

 血相を変えてまくし立てる拓実の迫力に、章太郎は口を開けてポカンとした。

「ごめん・・・」

「拓実、気持ちはわかるが、落ち着け。」

 ライアンが拓実をなだめるように言った。それでも、まだ興奮している拓実に、

「章太郎は、知らないんだからしょうがないだろう。」

「わかってますよ、わかってますけど・・・」

 ライアンに背中をさすられて、拓実は落ち着きを取り戻した。

 イヌ科の獣の能力を有する者を人狼の一族、ネコ科の獣の能力を有する者を人虎の一族と呼んでいた。両者は、互いの一族こそ最強であるとして、古くから対立していたのである。

 章太郎は、祖父が真性の人狼だが、父親は混血。章太郎本人はクオーターなので、今までにその血が表に現れたことはなかった。

 ましてや、家族以外の能力者に会う機会はなく、そういったことには、全く触れる事なく育ったのである。

「悪かったな、いきなり怒鳴って・・・」拓実がそう言うと、

「オレの方こそ、知らなかったとはいえ、悪かったよ。」

 章太郎もそう言った。


 別れ際、章太郎はライアンに聞いた。

「でも、何で、ライアンはこんな事してるの?」

「ん、それは、まだ言えないな。」

「どうして?」

 章太郎の問いには答えず、意味深な笑いを浮かべた。

「今度、会ったら、わかると思う。あ、それと、内通者の事は秘密にしてくれ。」

 ライアンはそう言うと、その場から去っていった。そのすぐ後を、拓実が追っていった。

 「相変わらず自由な人だな」と、章太郎は思った。

 章太郎も公園の入り口に向かって歩き出した。


 夜陰に乗じて、数人の男が大きな建物に入っていった。

 この辺りは、再開発が進む地区だった。真新しい建築物が建ち並ぶ一方、都市の創設と共に建造された古い建物が、解体途中で残されていた。

 その中に、一棟だけ、解体されずに残されている建物があった。建物の中に、揺れている小さな明かりが見えた。

「2本?確か、3人だと言いませんでしたか?」

 抑揚のない声がそう言った。

「1人は元に戻ったから、取れなかったと。」

 低い男の声がそう答えた。

「元に戻った・・・」

 抑揚のない声に、若干の驚きが混じった。

「それは、どういうことですか?」

 低い男の声が、バラ園で若い男が話した内容を、出来るだけ正確に話した。

「あいつには、引き続き調べるように言ってあります。それに、残り1人のサンプルも取ってくるように・・・」

「まあ、いいでしょう。これから、いくらでも手に入るでしょうから・・・」

「そうですか。あの・・・」

「ああ、そうでしたね。謝礼なら、ほら、そこに用意しておきましたから、持っていきなさい。」

 抑揚のない声がそう言うと、低い男の声が他の者に命じた。

「どうも、いつもありがとうございます。」

 低い男の声が最後にそう言ったが、そこに残っていた者には、聞こえていないようだった。

 小さな明かりに、わずかに照らし出された口元には、歪んだ笑いが浮かんでいた。


 家に帰った章太郎は、母親から意外な事を告げられた。

「来週、おじいちゃんが来るそうよ。今日、連絡があったの。」

「えっ?何でまた。」

「あら、嬉しくないの?」

「いや、そんなことはないけど・・・」

「何かこっちで大事な用事が出来たそうよ。」

「大事な用事?」

「そう。」

「そうなんだ・・・」

「それで、章太郎にも何か用があるみたいよ。」

「オレにも、どんな?」

「さあ、それは、会ってからはなすそうよ。」

「へえ、何だろう・・・」

 章太郎はそう言うと、自分の部屋へ行った。着替えながら、考えた。

 祖父は、一体何しに来るんだろう。今、来るってことは、地下の住人に関係がある事だろうか。

 なんと言っても、祖父は、彼らを助けた張本人だ。

 今夜の事もあって、章太郎の頭の中はパンク寸前だった。

「章太郎、晩ご飯は食べるの、食べないの?」

 母親の声がした。

 本当は、ご飯なんか食べている場合ではなかった。でも、体は正直だった。章太郎のお腹は、ご飯と聞いて大きな音を鳴らした。

 お昼に、ハンバーガーを食べたきりだったのである。

「食べるよ!」

 章太郎は大きな声で返事をすると、急いでTシャツを着ると、部屋の明かりを消した。ダイニングテーブルには、すでに料理が並んでいた。

「いただきます!」

 章太郎は席に着くと、すぐに食べ始めた。

 

 



 








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