第2話 救世主現る
章太郎は医務室へと運ばれた。
腕の痛みと朦朧とする意識の中、章太郎には、誰かが自分のことを呼んでいる声が聞こえた。その声は何度も何度もこだまして、そして、消えていった。
それから、どのくらいの時間が過ぎたのか。
章太郎は、再び、誰かが自分を呼ぶ声で目覚めた。
「鍛冶君!鍛冶君!」
ぼんやりとする視界の中で、章太郎の手を握っている誰かの手が見えた。次第に、意識がはっきりとして、こちらを見つめている春奈の顔が見えた。
「鍛冶君、鍛冶君。」
今度は、春奈が自分を呼んでいるとわかった。
「生徒会長・・・、オレ、どうしたんだっけ?」
章太郎は春奈の顔を見て、そう言うと、笑みを浮かべた。
「良かった、本当に良かった。鍛冶君・・・」
春奈も微笑んだ。
その時、周りから安堵の声がいくつも聞こえてきた。章太郎は、春奈以外にも誰かがいることに初めて気付いた。
ベッドの上に起き上がった章太郎は、医師の診察を受けた。
章太郎が腕に噛み付かれた後、数人の男によって医務室へ運ばれて来た。すぐに、治療が行われ、医師からは心配はないと言われた。
しかし、章太郎はその後も眠り続けたままだった。それから、およそ3時間後、章太郎はようやく目覚めたのである。
「本当に心配したのよ、鍛冶君。でも、気が付いて良かった。」
そう言う春奈の顔を見て、章太郎は手で頭をかいた。
「心配かけて、ごめん・・・」
「全くだ。助かったから良かったが、下手したら、死んでいたかもしれないんだからな。」
綾錦が厳しい口調でそう言った後に、付け足すように言った。
「まあ、無事で何よりだ・・・」
綾錦が笑みを浮かべたので、章太郎もつられて笑った。そして、春奈も微笑むと、三人は顔を見合わせて、安心したように笑った。
「本当に意識が戻って良かったです。ご迷惑をおかけしました。」
長髪の男がそう言って、頭を下げると、章太郎は恐縮した。春奈もあなた達のせいではないからと、言葉をかけた。彼は礼を言うと、改めて、
「それはそうと、皆さんにぜひ見ていただきたいものがあるんですが。」
長髪の男に連れられて、医務室を後にした。
章太郎は春奈から、医務室で休んでいるように言われたが、「大丈夫だから」と言って、強引について来た。
案内されたのは、いくつものモニターがある部屋だった。
研究所時代、監視のために作られた部屋だった。今はそれを使って、ドラッグの被害にあった、三人を見張るために利用していた。
「あの映像をお願いします。」
そう言われて、モニターの前に座っていた一人が頷いた。
すると、中央にある一番大きなモニターに、3時間前の映像が流された。それは、章太郎が腕に噛み付かれた所から始まった。
「始めの方は、早送りにしてください。」
長髪の男が気を遣って、指示した。
「ここです。この辺りからです。よく見ていてください。」
そう言われた一同は、モニターの映像に集中した。
章太郎が運ばれていった後、鉄格子の中の男はしばらく歩き回っていた。
しかし、突然、両手で喉元を押さえて苦しみ出した。そして、その場に膝を付くと、そのまま倒れてしまった。
しばらくは倒れたままの映像が続いた。さすがにおかしいと思って、鍵を開け、何人かが中へ入った。倒れた男の体を揺り動かし、声をかける様子が映った。
その後は、男の周りに人々が群がり、映像では確認することが出来なかった。
「彼は、この後しばらくして、意識を取り戻しました。」
長髪の男はそう言って笑顔を浮かべると、さらに話を続けた。
意識を取り戻した男は、以前とは、明らかに様子が違っていた。男が目を開けた瞬間、周りにいた人々は反射的に身を引いた。恐れをいだいた視線が注がれる中、男は戸惑ったように周りを見た。
「・・・どうも、皆さん。僕、どうか、したんでしょうか?」
男は途切れ途切れにそう言った。すると、次々に、息を吐き出す音がした。皆はその場にへたり込むと、口々に安堵の言葉をもらした。
「あの・・・、それで、何があったんですか?」
男は一人、わけがわからずにいた。その様子に、皆は笑い声を上げた。男は益々、わけがわからず、困惑した。
そんな話を道々、続けながら、春奈たちを、その男がいる所まで連れて来た。
さすがに、あのままにはしておけず、別の部屋へ移動させていた。それでも、外から施錠できて、監視する者を置ける続き部屋のある部屋を選んだ。
「か、会長さん。この度は、大変ご迷惑をおかけして・・・」
部屋の中にいた男は、春奈に気付いて立ち上がると、そう言って頭を下げた。
初めて対面した者は、驚きを隠せなかった。何度もまばたきをして、目の前に立っている男のはにかんだ笑顔を見つめていた。
「本当に良くなったのね、よかった。」
春奈がうれしそうに声をかけると、他の者も我に返ったように言葉を発した。男の周りには多くの人が集まり、笑顔にあふれていた。
章太郎は、そんな様子を少し離れた所から、眺めていた。それに気付いた男が、周りの人だかりをよけて、近づいて来た。
章太郎は、体を強張らせ、生唾を飲み込んだ。
「あの、鍛冶さん、鍛冶章太郎さんですよね?」
章太郎はわずかに頷いた。
「あの時は本当にすみませんでした。僕、全然覚えてなくて、後で聞いて、本当に、本当に、申し訳ありません。」
男は深々と頭を下げた。章太郎は、落ち着かない気分で男を見下ろしていた。
「その、もういいから、俺は気にしてないから。だから、お前もさ、気にしなくていいから・・・」
男はゆっくりと頭を上げると、章太郎の顔を見た。そして、わずかに微笑んだ。
「うん、ありがとう。」
章太郎の顔にも笑みが浮かんだ。二人は笑い合った。その場に、和やかな空気が広がった。春奈はうれしそうに二人を見ていた。
「ケガは?大丈夫?」
「昔から、ケガの治りが早いんだ、俺。」
「えっ、そうなの?」
「けど、痛かったんだぜ。」
「ごめん・・・」
二人は見た目には、年があまり変わらないように見えた。話している様子は、仲のいい友人同士のようだった。
再び、医務室へ戻って来ると、章太郎は意外なことを言われた。
「あんな目に遭ったばかりで、大変心苦しいのですが。少しでいいので、血液を採取させていただけないかと・・・」
長髪の男がそう切り出すと、章太郎たち三人はお互いに顔を見合わせた。
「どういうことですか?」春奈がそう言うと、
「そうだ、いくらこいつでも、ちょっとひどいんじゃないか?」と、綾錦も続いた。
章太郎は黙っていた。
先程まで話していた男が、倒れて、その後、正気を取り戻したのは、章太郎に噛み付いたのがきっかけだった。それは、章太郎の血液を口にしたのが、原因ではないかと言うのである。
彼の力説は続いた。もし、そうならば、章太郎の血液から、特効薬が作れるかもしれない。残りの二人も、元に戻せるかもしれない。それだじゃなく、これから犠牲になる者だっているかもしれない。
その時、その特効薬があれば、安心できる。
そのためにも、まずは章太郎の血液を調べさせてほしい。そこで、サンプルとして、血液を採取させてほしい。というわけである。
黙って聞いていた章太郎は、口を開いた。
「あんたさあ、ええっと・・・、名前、何だっけ?」
「まだ名のっていませんでしたね、わたしは、ハルト。ここでは、ハルトと呼ばれています。」
「呼ばれている?」
「はい。わたしは両親の顔も、名前も知りません。研究所に連れて来られたのは、まだ幼い頃でした。その時、わたしに付けられた番号が、8610番でした。その語呂合わせで、ハルト、ハルトと呼ばれるようになったんです。」
「そうか、ハルトもさっきの男も、ここにいる皆は、そうなんだ・・・」
「そうですね、両親がいる者もいますが。親の世代は、そういう者が多いですね。」
「いいよ。」
章太郎はいきなり言った。
「俺はかまわないから、血液を取ってよ。」
章太郎はさらに、そう続けた。
「本当ですか?」ハルトは驚いて言った。
「鍛冶君!」
「鍛冶!おまえ!」
心配する春奈と綾錦に、章太郎は笑いかけた。
「せっかく知り合えた、いい奴らなんだから、助けてやりたいよ。俺に出来ることならさ・・・」
章太郎が照れくさそうに言うと、春奈と綾錦は困ったように黙った。
ハルトは、章太郎の手を握りしめると、何度も礼を言った。その目はまっすぐに章太郎を見つめていた。不思議な色の瞳だった。青くも見えるし、緑色にも見える、それは言うなれば、碧い瞳とでも言うのだろうか。
地上へ戻って来ると、西の空が赤く染まり始めていた。
春奈は携帯端末を見ていた。それは、丸い形をした手のひらサイズで、学園の女子生徒の間で流行っていた。
章太郎は、「生徒会長もやっぱり、女の子なんだ。」と思って、クスリと笑った。
すると、春奈は突然、顔を上げると章太郎にこう言った。
「ねえ、鍛冶君。今夜、もし良かったら、夕食に来ない?」
「えっ?」突然のことで、章太郎は驚いてしまった。
「この後、予定はあるかしら?何もなければ、ぜひ、家へ来て欲しいのだけど。」
春奈の誘いに、章太郎は一瞬、迷った。しかし、
「特に予定はないから、行くよ。」と答えた。
校門で待ち合わせをすることにした二人は、それぞれ荷物を取りに、教室と生徒会室に向かった。
章太郎は母親に、今夜はバイトに行けないと連絡すると、荷物を手にし、校門へ向かった。
校門の前には、一台の車が止まっていた。章太郎が近づいていくと、前方のドアが開いて黒いスーツ姿の男が下りてきた。
すると、章太郎の後ろから、春奈の声がした。
「鍛冶君、お待たせ!」
春奈は走っていた。
「そんなに急がなくても、大丈夫だから。」
章太郎は、春奈に向かって叫んだ。春奈は、章太郎の前まで来ると立ち止まり、肩を揺らして息をした。
「そんなに急がなくてもいいのに・・・」
章太郎は微笑んだ。春奈は息を整えると、微笑んだ。
「じゃあ、行きましょうか?」
二人は車に向かって歩き出した。黒いスーツ姿の男は、後方のドアをうやうやしく開けて待っていた。
ミセス・ローズ・シティの南東部には、広い敷地を持つ大きな屋敷が、多く集まっていた。鏡島春奈の自宅も、その中にあった。
春奈と章太郎を乗せた車は、そびえ立つ門を通り、森のような庭を抜け、白亜の城のような屋敷に着いた。
章太郎は車から降りると、思わず屋敷を見上げて、感嘆の声を上げた。
「さすがに仰々しいわよね、母の趣味なの。」
春奈は苦笑を浮かべた。そして、章太郎を促して中へ入った。
「お帰りなさいませ、お嬢様。」
入ってすぐの所に黒いスーツの女が控えていた。女は眼鏡越しに、章太郎を一瞥すると、春奈に向き直った。
「父様はもう、お帰りに?」
「はい、お戻りでございます。奥様は、お帰りが来週に伸びるそうです。」
「そう。では、鍛冶君の案内をお願いします。わたしは着替えてきます。」
「承知いたしました。」
「鍛冶君、ちょっと着替えてきますね。彼女が案内してくれますので。」
春奈はそう言うと、その場を離れた。章太郎が黙って春奈を見送っていると、
「鍛冶様、こちらへどうぞ。」
黒いスーツの女にそう声をかけられ、章太郎は後を付いていった。長い廊下を進み、いくつか扉を通り過ぎ、一つの扉の前まで来ると、彼女は立ち止まった。
「失礼します。」
そう言って扉を開けると、体を脇にずらして、章太郎に道を譲った。彼女の目線に促されるように、章太郎は部屋の中へ入った。後ろで扉が静かに閉まった。
広い部屋の中に、たくさんのソファーがゆったりと配置されていた。その一つに、白いTシャツ姿の中年の男が座っていた。下はデニムで、胸にはI’m freeとプリントされていた。
「鍛冶章太郎君だね、いらっしゃい。どうぞ。」
「今晩は・・・、おじゃましてます。」
章太郎はそう答えると、テーブルをはさんで、彼の斜め前に座った。
「何か飲むかね?酒はダメだから、ソーダがいいかな?」
男は立ち上がって、飲み物が置かれてワゴンに近づくと、そう言った。
「はい。」章太郎は答えた。
しばらくすると、男がグラスを手に戻って来た。章太郎の前に置くと、「どうぞ。」と言った。章太郎は顔を上げると、
「ありがとうございます。」と、礼を言った。
章太郎が一口飲むのを待って、男は話し始めた。
「改めて、はじめまして、鏡島孝行です。春奈がいつもお世話になっています。」
章太郎をまっすぐに見据えると、そう言った。
「いえ、こちらこそ、お世話になっています。」
章太郎が改まってそう返すと、鏡島はいきなり笑い出した。章太郎は面食らった。
「いやあ、すまない。堅苦しいのはこのくらいにして、後は、気楽にいくことにしないか?」
鏡島はそう言うと、グラスの残りを飲み干した。おかわりを持って戻って来ると、こう切り出した。
「わたしは、元々、一介の研究者でね。先代、つまり、後に義父となる人物に見込まれて、この家に入ったんだよ。」
「え?そうなんですか・・・」
「そうだよ。だから、妻が留守にしている時は、いつもこんな感じで気楽にやっているんだよ。」
鏡島はそう言って、自分の着ている物に視線を向けた。
「妻は、服装にも食事にもこだわりが強くてね、厳しいんだよ。だから、彼女が帰ってくるまでは、鬼の居ぬ間に・・・というわけだ。」
鏡島はそう言うと、ウィンクして笑った。章太郎にも笑みが広がった。
そんなわけで、二人は打ち解けた様子で会話に花を咲かせた。二人の笑い声が響く室内に、春奈が入って来た。
「あら、すっかり仲良くなったみたいね。」
春奈がイタズラっぽく微笑んだ。
「ああ、そうだよ。彼とは気が合いそうだ。好きなカップラーメンが同じなんだよ。」
「ええっ、そうなの?それって、わたしも好きなのかしら?」
春奈も加わって、話が弾んだところで、扉が開いた。
「お食事の用意が整いました。」
夕食はカレーライスだった。鏡島が気楽にと言っていた通りで、少しホッとした。普段、章太郎が食べている物と同じような物だった。食事は和やかな雰囲気で進み、デザートが出されると、鏡島がこう聞いてきた。
「章太郎君、きみは、お父上の仕事のことは、知っているのかね?」
章太郎は、地下から戻って来る途中、綾錦に尋ねたことを思い出した。
生徒会室のルーフガーデンで、「お前のことは、全て調べてある。」そう言われたことが気になっていたのである。
綾錦は、鍛冶家の血筋や歴史、祖父母の所在や両親の出会いと結婚、そして、章太郎が生まれた時のことなど。章太郎自身が、知っている事もあれば、知らない事もあった。
そんな中で、父親の仕事については、知らない事であると同時に、知りたい事でもあった。父親はある商社勤めで、3年前から海外勤務となり、年に1、2回しか帰って来なかった。それ以上の事は知らなかったのである。
綾錦が話す内容は、章太郎には衝撃的だった。
章太郎の父親は、政府の仕事をしていると言うのである。彼は、人狼と人間の間に生まれた混血で、その能力を生かして働いているらしい。詳しい仕事の内容までは、わからないそうだ。
章太郎は驚きはしたが、思い当たる事があった。海外勤務になる前も、やけに出張が多かったのである。それも、一週間以上の長期の出張である。
「はい、今日、知りました。」
章太郎がそう答えると、春奈が付け足すように言った。
「綾錦先生が話してしまったのよ。」
「そうか、ショックだったかね?」
「いいえ。普通の仕事じゃないような気は、していたので・・・」
章太郎が少し笑みを浮かべたので、鏡島は目を細めた。
「きみのお父上の仕事は、社会の安定に貢献している。だが、それだけではない。彼の活躍は、きみが今日、出会った人々の未来にもつながると思うんだ。」
鏡島は章太郎を見つめてそう言った。章太郎は胸が熱くなるのを感じた。
その後は、春奈が今日あった出来事を話した。章太郎の身に起きた危機と、その後に待っていた意外な結末に、盛り上がった。
すっかり長居をした章太郎は、泊まっていくように勧められた。しかし、それは断り、鏡島邸を後にした。
ここへ来た時と同じように、車で自宅まで送ってもらった。
「あれ、今夜は、章太郎はいないのか?」
章太郎の母親が営むバー「月の唄」に現れた常連客、ライアン・リーはカウンターに座ると、そう言った。
「いらっしゃい。いつものでよろしいですか?」
店主の美奈子が笑顔でそう言うと、ライアンは頷くと、革ジャンのポケットから煙草を出し、火を付けた。美奈子はグラスを取り出すと、カウンターに置いた。
「急に用事が出来て、今夜は行けないと言ってきたんです。」
美奈子は酒を注いだグラスを、ライアンの前に置いた。
「ほぉ、それは、女だな。」
ライアンは煙を吐き出すと、グラスに口をつけた。
「あら、そうでしょうか?」
「間違いないって、絶対そうだよ。」
「あの子にねぇ・・・そんな相手が・・・」
「淋しいか?ママ。」
ライアンが意地悪そうな笑顔を浮かべた。美奈子はクスッと笑った。
店内には、カウンターが8席、小さめだが4人掛けのテーブルが2つあった。店の中には、店主と客が一人。しばらくは静かな時間が流れた。
突然、扉が開いて、駆け込んできた客によって、静寂は破られた。
「ライアンさん、たいへんです!」
金髪の若い男だった。
「相変わらず騒がしい奴だなぁ、拓実。」
ライアンはそう言うと、ため息をもらした。
「ホントに大変なんですよ!」
拓実と呼ばれた男は、カウンターに片腕を着くと、ライアンの顔を覗き込んだ。
「一体、どうした?」
すると拓実は、ライアンの耳元で何事かをささやいた。
「何!本当か?」ライアンが顔色を変えた。
「本当です。連絡がきたんです。」
「ママ、悪いけど。」
ライアンはそう言い残すと、拓実と共に、店を飛び出していった。
二人と入れ替わりに、別の常連客が団体で現れた。
「いらっしゃい。」
「あれ、今夜は、章太郎はいないの?」
ミセス・ローズ記念学園の地下、縦横無尽に広がるその場所の一室。医務室に隣接した研究室には、まだ何人かが残っていた。
昼間、章太郎から採取した血液を、分析していたのである。
「ちょっと、見てください!」
白衣姿の一人がそう言うと、周りにいた何人かが集まって来た。机の上に置かれた顕微鏡を代わる代わる覗き込んだ。
「これはすごいな!」
「これなら、残りの二人も助かるかもしれない!」
「皆、遅くまで頑張ってくれた。ありがとう。」
「いいえ、わたし達のためでもあるんですから、先生。」
「そうですよ、先生。」
一同は手を取り合って、喜び合った。
彼らは、ミセス・ローズ記念学園の夜間部で学び、同大学を卒業して医師となった。ここで暮らす人々のために、生徒会の手助けで学び始めたのである。
皆から、先生と呼ばれている年配の男は、かつて、ここにあった研究所で働いていた研究者の一人であった。当時、まだ若かった彼は、まともな研究をさせてもらえなかった。代わりに、他の研究者の助手や雑用を押しつけられていた。
実験体と呼ばれていた者たちの世話をするのもその一つだった。ところが、ひどい扱いを受ける彼らに、いつの間にか、情が移ってしまったのである。
その後、いろいろあったが、今では彼らのためにこうして働いていた。
「ハルトさんに知らせてきます。」
そう言って、一人が飛び出していった。
ハルトは一人、書類のチェックをしていた。普段、書類仕事をする時に使っている部屋だった。一番奥に大きめの机があり、小さなテーブルの両側にソファーが、壁際には書棚が並んでいた。
医師たちが、まだ仕事を続けていたので、その結果を待つためでもあった。
すると、扉をノックする音がした。
「はい、どうぞ。」
医師たちが報告に来たのかと期待したが、現れたのは意外な人物だった。
「ハルト、ずいぶん遅くまで、仕事してるんだな。」
「ライアン!どうしたんです?ずいぶん、久し振りですね。」
「いやあ、ちょうど帰って来たら、拓実に会って・・・何か、大変だったと聞いたもんでな・・・」
「ええ、まあ、色々と・・・」
「悪い時に帰って来たか?」
「そんなことありませんよ。今度はどこに行ってたんですか?」
ハルトはそう言うと、ライアンにソファーを勧めた。一緒に来た拓実は、扉を閉めると、ライアンの隣りに座った。
ライアン・リーは、写真家だった。もう、ずいぶん前に、廃墟の写真を撮影中、古い工場の跡地から、地下道に迷い込んだ。足を踏み外して落下した所を、ハルト達に助けられたのである。
ハルトとはなぜかウマが合い、それから、ここに間借りして住み始めた。普段は、撮影で世界中を飛び回っているので、たまにしか帰ってこなかった。
久し振りで話が弾む二人は、お互いの近況を報告し合った。
当然、ハルトは、昼間の出来事を彼に話した。ライアンは、驚いた顔をして、相づちをしながら、聞いていた。
そこへ、再び、扉をノックする音がした。
「はい、どうぞ。」
ハルトがそう言い終える前に、扉は勢いよく開いた。
「すぐ来てください!」
ハルトは立ち上がると、白衣の男と一緒に飛び出していった。ライアンと拓実も、すぐに後を追った。
医務室では医師たちが、飛び出して行った一人の帰りを待っていた。
「先生!上手くいったんですか?」
ハルトがそう言って駆け込んで来た。そのすぐ後に、白衣の男とライアン、拓実が続いた。
「ええ、助かります!上手くいくはずです!」
先生の言葉に、ハルトは笑みを浮かべた。他の者も、再び笑顔になった。
ライアンと拓実も、笑顔を浮かべていた。
一様に喜び合うと、今後の治療についての話になった。一同は、奥にある研究室に移ると、詳しい説明が始まった。
医師たちの説明に、度々、ハルトやライアンから質問が入り、夜が明けるまで続いた。
「鍛冶章太郎は、わたし達にとって、救世主ですね。」
ハルトがそう言うと、他の者たちも同意するように言った。
「そうですね、まさに、そうです。」
「救世主バンザイ!」
盛り上がる医師たちを残し、ライアンと拓実は、そっと部屋を後にした。
家まで送り届けてもらった章太郎は、一人、部屋の中にいた。自分のベッドに寝転がって、別れ際、春奈に言われた事を思い出していた。
「もし良かったら、生徒会の仕事を手伝ってくれないかしら?」
そう言われて答えに困っていた章太郎に、春奈は続けて、
「答えは今じゃなくていいから、考えておいて。」
車に乗って去っていく章太郎に、春奈はいつもと同じ微笑みを浮かべて、手を振っていた。章太郎は、そんな春奈を見つめて、そっと手を上げた。
「何やってるんだよ、俺は・・・」
章太郎は、天井を見つめて言った。
昨日の夜だって、何で後をつけるような事をしたんだ。春奈の事が知りたかったからじゃないか。その上、あわよくば、何か秘密がつかめるんじゃないか。
そうだ、確かに、俺はそう考えたんだ。だから、あんな無謀な事をしたんだ。
自分の中に流れる血の事を考えると、章太郎はいつも消極的になった。危ない事は出来るだけ避けて、万が一に備えて用心をして、そんな癖が付いていた。
今までも、気になる女子はいたけれど、こんな事をしたのは、春奈が初めてだと気が付いた。
「そうだよ、こんな事したのは初めてだ!」
飛び起きて大声で叫ぶと、慌てて口を押さえた。時計を見た。まだ、母親が帰って来る時間ではなかった。
「どうする、どうする。どうする、どうする。」
章太郎は何度もつぶやきながら、部屋の中を行ったり来たりした。
章太郎は立ち止まり、ベッドに腰掛けると、冷静に考えてみることにした。
まず、春奈の役には立ちたい。だから、生徒会の仕事を手伝うのはいいことだ。彼女と一緒にいられるし、同じ秘密を抱える事になる。
次に、ハルト達の事だ。祖父が関わっていた事でもあるし、自分も彼らと同じだったかもしれない。そう考えると、助けてやりたいと思った。
章太郎は、そんなふうに考えを巡らすうちに、いつの間にか眠ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます