中編


「はぁ」

窓のない室内の空気を揺らすのは男のため息ただひとつである。

脂ぎった髪の毛に、伸びきったあごひげはより一層男のくたびれ度合いを表す。

時計の針は早くも午後4時を指している。

差し迫る期限に、男はそれまでの焦燥感を通り越し、もはや諦めの境地へ入っていた。


この道へ踏み込んで1週間足らずの作家とも呼べないような者が、誰もが評価するような作品を書けと言われても当然無理な話である。

正直安易だった。


作家になる前は、都市伝説系ジャーナリストとして危険な橋を何度も渡り切ってきた。この件もいつもの如く、卒なくと調査し、男のことを待ってるファンへ最高のネタを持ち帰ってやろうと意気込んでいた。

それが何だ。今までの完璧な取材の数々におごり高ぶって同行者もつれず、大した準備もせずにのうのうと来た有様がこれだ。大体、人里離れた集落への取材は、現地の人が警戒するから重々精査して行くべきだったのに。

もしかするとジャーナリスト家系であることも、変な優越意識があったのかもしれない。


その集落、○○村には昭和真っただ中にとある新米作家(ここではAと呼ぶ)が大成功を治め、当時のテレビや新聞、雑誌がこぞって彼を取り上げたそうだ。しかし、その成功に嫉妬した○○の住民はAにひどい差別を行い、Aのその村での居場所は徐々になくなったという。ただ、それだけであればまだAは出版社との契約を取り付け、上京すればいいだけの話だった。だが、村の者たちは周到だった。

村の者たちはメディアへ賄賂を渡した。当時のメディアはそれを受けて、Aを「実はゴーストライター」だの「腕は一流、性格は三流」だの全く根拠のないデタラメを書き連ね、Aの将来を完全に奪い去った。

それ以降、Aを見た者はいなかったが、ここ最近になってメディア関係者の失踪事件が増えたらしい。失踪者が活動する近辺には必ず羽根ペンが目撃されるという。一般的に羽根ペンはガチョウや白鳥の羽根で創られることが多いが、珍しいことに、その羽根ペンは雀の羽根で創られているのだという。

なぜ、男が○○付近へ取材に来たのか。それは何十年も前、メディアで取材を受けるAが握っていたのが、この雀の羽根で創られた羽根ペンだったからだ。


いくら何十年も前に話題になった作家の話と言えど、最近の失踪事件との関連性に気付いた人は一定数いたと思う。ただ現に今までAを探し当てた人はいない。

そんな男もある一通のメールが届くまで、この失踪事件について全く知ることがなかった。職業柄、面白いネタを提供してくる者はたくさんいる。もちろんそのほとんどが報酬目当てではあるが。届いた一通のメールには、失踪事件のことと、Aが生まれ育った○○村の裏手に聳える山を越えた廃道で彼を見たという目撃情報についてだった。

そのメールを貰ったその日のうちに飛行機を予約して、次の日にはレンタカーを借りその地へ赴き、件の廃道を探索していたのである。


まだ同業者に知られていないという優越感で高揚する男は、人気のない廃道をじっくりと観察しながら歩く。

レンタカーを止めた場所から随分と進んできたが、何か不審な痕跡は全く見当たらない。

過去には舗装されていたであろう道路も今や草木や苔で覆われており、人間の入って良い領域ではないかのような神聖さすら感じる。そういう畏れ的な意味ではもはや不気味なほど静かで生き物の息遣いすら感じない。時折聞こえる小鳥の鳴き声が、ここに存在する生き物が自分だけでないという安心感を与えてくれる。


どれほど歩いただろうか。

振り返っても、止めてきたレンタカーの姿はとっくに見えない。

何の手掛かりもつかめない。

もう諦めて引き返そうかと思い、天を仰いだ。

視線の先に2羽の小鳥がじゃれ合って飛んでいる。

鳥に詳しくない男は何とはなしにその光景を眺め、そして視線を落とした。

その視線の先に木造の建物が見えた。

と同時に、強い衝撃を受け、男は気を失った。






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