締切日

@n1z

前編

「うーん、この構成も無理があるか」

そう呟き、数行分の文章を消した。

何度となく繰り返したこの作業も今日で終わり。

作家にとって締切日とは命と同然。締切日を守れない作家に明日などない。

作家として生計を立てる者にとってそれは当たり前のことである。


机にあぐらをかいて座る男は顔を上げた。

見上げた先の時計の針は午前8時を指している。

「そろそろ朝食時か」

気落ちした男の声が室内に響く。

締切を今日としたこの男に食べる気力すらないのは当然のことである。


「食うか・・・」

しかし、夜通し執筆作業を続けた男の頭は既に回っていない。

現に視界は薄らいでしまっている。

さすがに何か食べないとこの先一文字も書けそうにない。


男は銀のスプーンを握り、食事に手を付ける。

この男の食事はいつも決まっている。牛乳をかけたシリアルだ。

じゃりじゃりとした触感が口の中一杯に広がる。

いつも通りの味だ。でもそれでいい。

食事内容を習慣化させることで、脳のリソースを執筆活動に最大限注ぎこめる。

始めのうちは慣れなかったが、人間とは不思議なもので順応していくものだ。


「ごちそうさま」

食事の終わりと同時に、男は片腕を充分に伸ばす。長時間同じ態勢では、体も固まるというものだ。

ガチガチに固まった体をほぐしていく。

男は立ち上がり、さらに伸びを加えた。

「痛っ」

と、男はそこで転んでしまう。

四六時中の同じ態勢が足をしびれさせてしまったのだろう。


ズザザザァ


とっさに手を床につき、受け身を取る。

「危なかった」

いくら年を取ったとは言え、この有様はないだろう。

湿気のせいか床が湿っており、その上、掃除もしないせいで手がゴミまみれだ。

それらを払い、男は苦笑交じりに弱々しく立ち上がる。

そして、先ほどのゴミをじゃりじゃりと踏みしめながら、覚束ない足取りで男はゆっくりとトイレへと向かった。









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