僕の大きな冷蔵庫

間川 レイ

第1話

僕の家には、大きな冷蔵庫がある。黒々としていてピカピカで。大きな大きな冷蔵庫。人一人はいるんじゃないかってぐらい大きな冷蔵庫。その冷蔵庫の中には、クラスで仲の良かった由美子ちゃんが入っている。


クラスの中でも特にかわいかった由美子ちゃん。クラスの中でも随分変わっていた由美子ちゃん。女の子なのに、男の子みたいに髪の毛を短く切って。友達と遊んでいると、僕も混ぜてよと絡んできた由美子ちゃん。女の子たちの間ではあまり評判は良く無いみたいだったけれど、僕は由美子ちゃんのことが大好きだった。僕の知らないようなことを何でもよく知っていて、可愛くって、近づくと甘くて優しいお菓子みたいな香りがした。


そして、何より、僕たちは馬が合った。本が好きで、推理小説が好きで、何より蝶が好きだった。小学校の帰り道、一緒に蝶を追いかけては裏山へ上がったし、うまく綺麗な蝶を捕まえたときは一緒に歓声を上げた。標本箱に捕まえてきた蝶を固定するのは由美子ちゃんのほうが圧倒的に上手くって。よく僕の分まで手伝ってもらったものだった。その細くて柔らかな手が、こまごま動いて蝶を綺麗に標本箱に縫い付けるさまを、じっと見ていたのをよく覚えている。


僕は、由美子ちゃんのことが好きだった。由美子ちゃんと一緒にいるときだけ、僕は本当の自分でいられた。僕は、本当はずっと本を読んで、蝶だけを愛でていたい。でも、学校でそんなことをしていたらあっという間に変な奴とみなされて、いじめられっ子の仲間入り。そんなのは真っ平ごめんだった。だけど由美子ちゃんは僕を笑わなかった。こっそり校舎の裏で、大好きなシャーロックホームズを読んでいた時。あなたもホームズが好きなんだねと声をかけてくれた由美子ちゃん。僕もホームズ、好きなんだ。そう言って笑ったその横顔がどれだけ眩しく見えたことか。


家に帰りたくない。そう言った僕を笑わなかったのも由美子ちゃんだけだった。だって家に帰れば殴られるから。立ち上げたばかりの事業がうまく行かず、いつだってイライラしている父さんと、結婚するときに絶対独立だけはしないでねと約束して結婚したのに、それを反故にされていつだって腹を立てている母さん。その二人の仲は最悪で、いつだって喧嘩ばかりしていたから。父さんは、僕の習い事の成績とか、塾の成績が悪いと、僕を目の前に正座させてから何だこの成績はとさんざん怒鳴り散らし、最終的にポカポカと殴ってくる。


母さんはいつだって何かに腹を立てていて、成績が悪いとなんでこんなこともできないのと嘲笑ってくる。それも妹の前で。勉強しないとお兄ちゃんみたいになるよ、なんて言われて。この時間違ってもむっとした態度をとってはいけない。すぐさま手に持っているものが飛んでくるか、料理を投げつけられる、あるいは家を追い出されることになるから。僕は笑わないよ。そう言っていた由美子ちゃんがどれだけありがたかったことか。僕も同じだから。そう言ってまくられた服の下。真っ白なお腹に刻まれた、赤、青、黒。様々なマーブル模様をよく覚えている。


僕は由美子ちゃんが大好きだった。僕には由美子ちゃんさえいてくれたらそれでよかった。一緒に本の話だけをしていたかった。一緒に蝶を捕まえていたかった。それは僕らが5年生になっても、6年生になっても変わらないでほしかった。僕たちの背が伸び、肉付きが良くなりがっしりしたり、おっぱいが大きくなったりしたりしても。僕たちの関係性は変わらないと、そう信じたかった。


でも、そうはならなかった。大きくなるにつれ、由美子ちゃんはどんどん可愛くなっていった。身体も丸みを帯びて、どんどん女の子らしくなっていった。いつしか由美子ちゃんの周りにはいつだって人がいるようになった。由美子ちゃんはいつだって楽しそうに、その中心でニコニコ微笑んでいた。まるで小説や蝶の話なんてすべて忘れてしまったみたいに、芸能人の話や昨日見たテレビの話。そんな下らない話で盛り上がっていた。


僕にとってそれは裏切りだった。いつだって一緒にいてくれた由美子ちゃん。たくさん小説の話で盛り上がった由美子ちゃん。一緒に蝶の標本を作ってくれた由美子ちゃん。僕を笑わなかった由美子ちゃん。それが全部嘘だったみたいで。僕もあんまり家には帰りたくないな。そう俯き加減で言っていた由美子ちゃんの言葉も、何もかもが嘘だったみたいで。このままでは、由美子ちゃんは僕の手元から飛び立っていってしまう。たくさんの蝶たちのように。綺麗に輝く蝶のように。そんなの、許せなかった。許せるはずもなかった。だから僕は決めた。由美子ちゃんをどこにも行かせはしない。由美子ちゃんは僕だけのもの。きっと君を、縫い留めて見せる、と。


僕は久々に由美子ちゃんに声をかけた。とても珍しい蝶を手に入れたんだ。良かったら僕の家まで見に来ないと。由美子ちゃんは目を輝かせて頷いた。本当?是非見せてほしいな。そう言って僕の家までついてきた由美子ちゃん。前より増えている蝶の標本たち。壁に飾られたそれをしげしげ眺めている由美子ちゃんの後から近づいて、首にタオルを巻きつけるのは簡単だった。あとは力いっぱい引っ張るだけ。「なん……で……?」なんて呻きながらバタバタ抵抗していた由美子ちゃん。でも女の子が男の子の力にかなうわけなんてないんだから。しばらくじたばたもがいていたけれど、やがてぐったりと大人しくなった。


すっかり意識を失った由美子ちゃん。この服、お気に入りなのといっていたことから、汚さないで済むようにすっぽんぽんに脱がしてあげる。女の子らしい下着をつけているのが印象的だった。僕は由美子ちゃんを永遠に僕のものにする。どこへも行かせたりはしない。羽ばたかせたりもしない。由美子ちゃんは僕だけのもの。


だから、僕は由美子ちゃんを永遠にすることにした。それはさながら、沢山の蝶の標本のごとく。ぐったりと力なく横たわる由美子ちゃん。その腕を持ち上げ、蝶の標本作成に使う注射器を突き刺す。中に入っているのはたくさんの毒薬。学校の理科準備室から盗み出した。由美子ちゃんは死にかけの蝶のようにぴくぴく動いていたけれど、すぐに動かなくなった。


すでに動かなくなった、白くスラリとした由美子ちゃん。その身体を眺めながら僕はぼんやりと思う。これからどうしよう。僕は由美子ちゃんを永遠にしたいけれど、このまま標本にするのは難しそうだから。どうやったらきれいな標本として残せるのかわからない。でもこのまま放っておいたら腐ってしまう。こんなにも綺麗でかわいい由美子ちゃんがドロドロに溶けていくのは見たくなかった。


だから僕は決めた。とりあえず冷蔵庫にしまってしまおう。そうすれば、すぐに腐ったりはしないはず。その後どうするかは、これから考えればいい。だから僕は、同じく学校から盗んできた糸鋸を由美子ちゃんの首にあてて。ギコギコと動かし始めた。ぴゅっ、ぴゅっと動きに合わせて血が飛び散るのが鬱陶しい。それでも、頬についた血をぺろりと舐めとると、ほのかに甘く、優しい、お菓子みたいな味がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕の大きな冷蔵庫 間川 レイ @tsuyomasu0418

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ