第16話 きみはいいこ

 娘の猫溺愛は、高3の冬の終わりになろうと、何一つ変わっていない。


「ただいまめさん!今日もイケメンだね愛してるよ」

「この可愛いレディは誰?あずきだって?!愛してるよ結婚してください。」


 帰宅早々にまめを抱きしめたかと思えば、あずきを抱えあげ鼻チューと頬ペロをくらい真顔で求婚している。ここまでくるとホンモノの馬鹿である。ちなみにこの馬鹿、一応この先の進路は決まっているのでご安心を。横着者は、当然家から通える学校を選んだ。家事?生活費?猫が居ない?死ねってかクソ野郎、だそうだ。


 桜が花吹雪を回せ始めた頃に娘が高校を卒業してから、あっという間の3年半が過ぎた。二十歳を越えても、娘の猫馬鹿っぷりは全く変わらない。

 だがその間、あずきは時々お腹を下すようになった。そのせいか痩せてきてもいたが、ご飯もチュールもよく食べる。平手打ちも健在だった。


 今となっては、言い訳以外の何物でもないが、だから油断した。としか言いようがない。

 すっかり病院嫌いになったこともあり、私たちは彼女を病院に連れていくのを躊躇していた。


 ー…だがそんなの、優しさでも気遣いでも何でもない。私達は、ただの大馬鹿者だ。それに気づく時は突然訪れる。そして、その時には嫌でも現実を直視せざるを得なかった。


「あずきちゃんが、水様便してる!真っ黒だし、昨日のは真っ黒だったし、タール便てやつじゃないの?!」


 またしても娘の叫びに、私達はようやく受診を決めた。



「腸の癌だね。かなり進んでる。異変はあったはずだよ」


 院長の目がいつもより険しい。声も硬い。

 いい子だね、がんばったね、カゴに戻ろう。あずきにはいつも通りに声をかけて、季節外れのサンタクロースは、私たちの方を向いた。


「ー…この子は大の病院嫌いだ。それは僕達とご家族の安易な行動の結果だよね。だから、お母さんもお嬢ちゃんも受診を躊躇していた。違う?」

「…はい」

「その気持ちもわかる。でも、その結果が今だ。この子はもう、長くは生きられないよ」

「どのくらい…?」

「ひと月か、もっと早いか。もしかしたら、もう少しだけ頑張れるか…」

 

 質問した娘が、無言のまま見開いた目から涙をぼたぼたと落とした。


「体重もかなり減ってる。体力も落ちているはずだ。今更治療には耐えられないし…

正直、苦しめるだけで意味が無い」


 ー…どうする?


 問いかけでありながら、暗に時間も選択肢ももう残っていないことを伝える院長の言葉に、私達は彼女を連れて帰ることを決めた。

 せめてもの痛み止めと、受付のお姉さんの、なんとも言えない表情の、『お大事に』をキャリーケースと一緒に抱えて。


 その後の日々、私達は彼女が来た時のゲージを建て直し、そこに入ってもらった。出入口は開けて、少しでも体調がいいときは自由に出入りできるようにしておく。

彼女は、寝ている時間こそ長くなったが、私たちが訪室すると、顔を寄せて鼻キスとひと舐めをくれた。

 その度に娘は、震える手でパウチおやつを出してやりながら、無理しなくていい、そのままでいい。何もしてくれなくていい。と繰り返していた。そうして、肋骨が当たるようになって、毛繕いが行き届かなくなったあずきを撫でては、痛いのがお母さんに移ればいい、悪いところお母さんに移ればいい。あずきはいい子、痛いのなんてもらわなくていいの。あずきはいい子…と子守唄のように言うのだった。

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