第7話 あずきはレディ?
あずきが我が家の子になってから半年ほど経った頃、彼女は壁や柱にお尻を向けては尻尾を立てて小刻みに振るわせるようになった。若い頃に猫を飼っていた事がある母曰く、それは雌猫のマーキング行動、つまり発情期が近いことを示すらしい。幸い、その行動はまだ形だけの真似事だったが、本格的に発情が始まってしまえば、マーキング行動以外にも、もしかしたら出会いを求めて家から脱走し、そのまま戻らない…なんて事になるかもしれない。私と娘は、慌ててあずきを件の院長の所に連れて行った。
「一歳を過ぎた成猫だからねぇ、遅かれ早かれ、そうなるとは思っていたよ」
慌てる私たちをよそに、院長は平然と言った。それから、手術に関する説明を始める。
「あずきちゃん、ちょっとお腹触るね〜。まずは血液検査その他の健康確認と、手術日の予約をしてもらって、手術ではこの辺りの毛を剃って切開します。それから、子宮とそれにつながっている卵巣を取ることになる。お腹を切るわけだから、念の為翌日まで入院してもらって、その後もお家では、抜糸まで傷口を舐めないように、エリザベスカラーをつけて過ごしてもらいます」
ここまでは大丈夫?と一旦確認してくる院長。娘は『お腹を切る』の言葉に、自分の腹部を撫でて『うえぇ』などと言っていた。
「大丈夫です。検査は今日お願いできますか?」
「勿論。この感じだと、ご家族が付いていなくても採血はできそうだし、一旦お預かりして検査します。今日術前検査をすると、二週間以内に手術をするのだけど…うん、ちょうど空いている日もあるね。ちなみに、手術前日から絶食してもらうことになるけど、お家にはまめちゃんもいるし、きっと難しいよね?」
苦笑いする院長に、私たちも同様に頷く。
「そうすると、前日の朝から入院することもできるけど、連れてこられそう?」
あずきには気の毒だが、私が出勤時間を調整して前日の朝に連れてくることにして、最長二泊三日の手術入院は、なんだか拍子抜けするほどあっという間に決まった。
今日はあと少し頑張ろうねぇ、自分でカゴに入れるかなぁ?と、相変わらずデレデレで話しかけながら、院長はあずきを大事そうにそっとキャリーに入れてくれた。
当の本人(本猫?)は、診察台の上で院長に撫で回されて、最高潮に機嫌が良いのか、すんなりとキャリーに入って可愛い顔をこちらに向ける。キャリーの薄暗がりで大きくなった瞳孔がさらに可愛らしく、この後の事を思うとなんだか罪悪感を感じながら、私達はあずきが処置室に連れて行かれている間、待合室で待つことになった。
結果は、血液にも体重その他にも問題はなし。私たちは、院長が言っていた日に手術を予約した。あずきは、触診は撫でられているでも思ったのかご機嫌だったが、採血には驚いていたそうで、戻ってきた彼女は、キャリー内でしょんぼりしていた。珍しい様子に少し笑いつつ、私たちは帰宅の途についた。
…そして、あっという間に術前準備(絶食)の為に病院に預ける日がきた。
本人(猫)は、その日もお利口さんにキャリーケースに入ってくれた。これに入れば出かけられる、楽しいことの方が多いと覚えたらしい。
何はともあれ、あずきさん。ご機嫌なのはいいが、あなたこれから明日の手術後まで絶食なのよ…とは、たとえ人の言葉が通じなくても、何となく申し訳なくて言えなかった。
翌日。いよいよ手術か…と仕事をしながら心配していたところに、携帯電話に動物病院からの着信が入った。何かあったのだろうか?まさか医療事故?いや、我が家の猫のことだ、もしや第二の麻酔後暴れん坊?などと思いながら電話に出ると、今日も丁寧な病院の受付のお姉さんから、俄には信じ難い話を聞かされた。結論から言うと、医療事故でも暴れん坊でもなかったのだが、私のその時の心境は、おいおい、そんな事ってある?に尽きる。
電話を終えた後、私は終業時間きっちりに職場を出て、まずはもう帰宅しているであろう娘(きっと部活はサボっている)を連れ出すため、自宅へと車を走らせた。
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