第30話「星の下で結ぶ最期の約束」
春がまた来た。
どれだけの季節をこの畑で過ごしただろう。
家の縁側に腰を下ろし、静かに息を吐く。
目の前には、どこまでも続く花と畑。
もう瘴気の匂いはどこにもなく、ただ花と土の優しい香りだけがあった。
「……リク」
少しゆっくりになった足取りで、ルキナがやってくる。
長い髪には白いものが増え、赤い瞳も少しだけ霞んで見える。
それでも微笑んだその顔は、若い頃と変わらず俺をまっすぐに見つめてくれた。
「今日も一緒に畑を歩くか?」
「……はい」
そっと手を取ると、ルキナは弱々しくも確かに握り返してきた。
畝の間をゆっくり歩く。
足元にはまだ新しい芽がいくつも顔を出していて、その隣には花々が肩を寄せ合って咲いている。
「……最初にここに来た時、思い出すな」
「はい。あの頃は、剣の音ばかり聞こえていました」
「お前の鍬の音が、それをかき消してくれたんだ」
ルキナはそう言って、そっと俺の腕に寄りかかる。
「……この畑に来て、本当によかった」
「俺もです。ルキナ様と、この魔界に来て……畑を作って……全部です」
「……ふふ」
ルキナが小さく笑った。
「お前となら、どんな世界でもよかったんだろうな」
「ルキナ様……」
思わず言葉を失い、強くその肩を抱き寄せた。
ルキナは小さく息を吐き、それでもまた微笑んだ。
「……リク」
「はい?」
「この畑がもっと広がって、もっと花が増えて……私がいなくなっても、それをずっと守ってくれ」
胸の奥がぎゅっと痛んだ。
「……俺は、ずっと一緒にいてほしいです」
「ふふ……わかってる。でも……私はいつか、この花みたいに土に還る」
ルキナがそっと俺の頬を撫でる。
「だから約束だ。私がいなくなっても、絶対に畑を枯らすな。お前の鍬は、ずっと未来を耕すためにあるんだ」
小さく目を閉じて、唇を寄せた。
その口づけは、今までのどの口づけよりも長く、優しかった。
家に戻ると、縁側でハルゥがゆっくりと目を閉じて眠っていた。
白い毛はもうほとんど光に透けるようで、呼吸は浅い。
「ハルゥ……」
ルキナがそっと頭を撫でると、小さく「きゅ……」と鳴き、尻尾を二度振った。
それを見届けるように、俺はハルゥの隣に腰を下ろす。
「……家族ですね」
「ああ。ずっと一緒だ」
ルキナが肩を寄せ、小さく囁いた。
「……なぁ、リク」
「はい?」
「私が死んだら、泣くなよ」
「……泣きます」
ルキナはふっと目を細めた。
「……ばか。でも、それなら少しだけ嬉しい」
そっと俺の胸に額を預け、その肩が小さく震えた。
「……私のこと、忘れないでくれ」
「忘れるわけないじゃないですか。絶対に」
「……ふふ、ならいい」
ルキナは目を閉じ、俺の胸の上で静かに息を整えた。
「……お前の夢の中に、私はずっと咲いてる花になる」
「はい。いつまでも一緒です」
夜。
家の縁側で寄り添いながら、ルキナは俺の肩にもたれかかっていた。
「……空が、また星でいっぱいだ」
「魔界の空とは思えませんね」
「お前が変えたんだ。鍬一本で……この世界を」
「ルキナ様がいたからです」
ルキナはそっと笑い、目を閉じた。
「……また春が来る畑で、ずっと一緒だ」
「はい。ずっと……」
その声が少しだけか細くなった気がして、俺は強くルキナを抱き寄せた。
花の香りが、優しく夜風に乗って流れた。
俺たちはその中で、静かに約束を結び直す。
いつか俺たちがいなくなっても――
この畑には、花と未来がずっと咲き続ける。
そして俺の胸には、ルキナの声と笑顔がいつまでも残る。
それが、俺の最期までの誇りだった。
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