第29話「畑に咲く家族の未来」

それはまた春の、少し暖かい風の吹く日だった。


畑の中央に立って土を撫でていると、柔らかい小さな手が俺の掌に重なった。


「父上。……やっぱり土って、温かいですね」


振り返ると、そこにはもう立派に成長したアレンがいた。


あどけなかった顔はすっかり青年のものになり、鍬を握る腕は逞しく、ルキナ譲りの赤い瞳が穏やかに細められている。


「そうだな。お前がまだ小さい時も、この土を撫でて嬉しそうにしてたよ」


「覚えてます。ハルゥと一緒に走って、転んで泥だらけになって……」


アレンが懐かしそうに笑う。


「……そのハルゥも、もう家の縁側で寝てる時間が多いですね」


「ああ。でも、まだまだ長生きするさ」


俺がそう言うと、アレンは「そうだといいな」と微笑んで、畑に視線を落とした。


「父上。……これからは、俺がもっと耕します」


「え?」


「父上と母上が畑に立てなくなっても、この畑は絶対に枯れさせません。俺が耕して、花を咲かせ続けますから」


胸の奥がぐっと熱くなった。


「……頼もしいな」


「ふふ。父上みたいに格好よく耕せるかな」


「お前ならすぐだ。お前はもう……俺たちの畑の未来だからな」


その言葉にアレンは少し照れたように笑い、それからまっすぐ俺を見つめた。


「ありがとうございます、父上」


縁側に戻ると、ハルゥが丸くなって眠っていた。


少し白い毛が増えていて、時々夢を見ているのか小さく足を動かす。


その横には、ゆっくりとした動きで縫い物をしているルキナがいた。


「アレンと何を話していた?」


「これからはもっと畑を耕したいって」


「ふふ……あの子らしいな」


ルキナは少し笑い、そっと布から顔を上げて俺を見つめた。


「この畑に家族が増えて、花が咲いて……剣なんて誰も必要としない場所になった」


「全部、ルキナ様のおかげです」


「違う。お前が耕し続けたからだ」


ルキナは縫い物を置き、ゆっくり立ち上がって俺の手を取った。


「……歩こう」


「はい」


二人で畑の中をゆっくり歩く。


風が吹き、花が揺れ、甘い香りが鼻をくすぐる。


「リク」


「はい?」


「……私、この畑に埋めてくれって言っただろ?」


「言いましたね」


「やっぱり、やめる」


俺は驚いて立ち止まった。


「え……?」


「この畑は、お前とアレンの畑だ。私まで埋めたら、土が苦しくなりそうだからな」


そう言って笑うルキナの横顔は、少しだけ寂しそうで――でも、とても穏やかだった。


「……だから、死んだら私はお前の夢の中にでも咲いてる花になるよ」


胸が締め付けられた。


「それなら……俺は何度でも夢を見ます。毎晩でも、この畑でルキナ様と歩きますから」


「ふふ……ばか」


ルキナはそっと俺の腕に抱きつき、小さく目を閉じた。


夕暮れ、畑の端でアレンがハルゥを抱え、ゆっくり歩いてきた。


「母上、父上。見てください、ハルゥも花を見たいって」


ハルゥは少し細くなった体を揺らし、それでも尻尾をぱたぱたと振っている。


「きゅ……」


ルキナがそっとハルゥの頭を撫でる。


「お前もずっと一緒だ」


「きゅい……」


小さく鳴いて、そのまま目を細めた。


魔界の空にはまた新しい星が増えていた。


その下で咲く花は、風に揺れて月光を受け、まるで小さな灯のように瞬いていた。


俺は鍬を握り、ルキナの手を取り、アレンとハルゥを視界に収める。


(……この畑が、俺たちの家族だ)


これから何十年先も、この畑は咲き続ける。

剣も鎧も必要ない、ただ笑って生きるための土。


そこに花が咲く限り、俺は――何度でも鍬を振るうだろう。


この家族と未来のために。


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