第24話 それぞれの道

 マルクスと別れてから、一週間が経った。


 その日、カノン、リアナ、ミレーネの三人は授業の後、王都を歩いていた。


 中央広場に差し掛かると、人だかりが見える。カノンが足を止めると、リアナとミレーネも立ち止まった。


 広場の中央に集まった人々の手には、プラカードが掲げられている。


 『記録局は嘘をついた』


 『記録は人を守らなかった』


 『集団失踪の責任を取れ』


 デモ隊の声が、石畳に反響しながら広場に響いている。


 「記録局を解体しろ!」


 「真実を明らかにしろ!」


 カノンの足が動かなくなった。広場の端に立ったまま、プラカードの文字を見つめる。


 この人たちは——犠牲者の誰か一人でも、知っているのだろうか。


 名前を、顔を、人生を。


 三百十七人は、ただの数字じゃない。一人一人に名前があって、家族がいて、生きていた。


 でもこの人たちは、その誰一人も知らない。ただ——


 カノンの拳が、握りしめられる。


 何かが、違う。この人たちの怒りが、何か——違う。


 でも、何が違うのか、うまく言葉にできない。ただ、胸の奥に何かが引っかかっている。悔しい。何が悔しいのか、自分でもよくわからない。


 「……行こう」


 リアナが小さく言って、カノンの腕に手を添えた。ミレーネが無言で頷き、筆記具を握りしめている。


 三人は身を翻し、デモの喧騒から離れて歩き出した。



 その頃。


 アルヴィン邸の研究室では、アルヴィンが窓辺に立っていた。


 扉が開く音がして、ヴェルニカが入ってくる。


 「先生」


 振り返ると、その視線は穏やかだが、ヴェルニカの表情を一瞬で読み取ったようだった。


 「事件は——収まったようじゃな」


 ヴェルニカが頷く。


 「彼は、やり遂げたのじゃろう」


 アルヴィンの言葉に、ヴェルニカは何も答えられず窓の外を見た。王都の街並みが静かに広がっている。


 「転移実験は、中止します」


 アルヴィンが顔を上げた。


 ヴェルニカの手が震えている。アルヴィンはそれに気づいたが、何も言わず待った。


 「私の実験が起こした、空間の歪み」


 「ヴェルニカ——」


 「そして、その直後——アストラルコレクションが発動した」


 声がわずかに揺れている。研究者としての冷静さを保とうとしているが、感情が滲み出ていた。


 「おそらく、偶然です。因果関係はない。論理的には、そう考えるべきです」


 「でも——」


 アルヴィンが静かに言った。


 「恐れておるのじゃな」


 「はい」


 ヴェルニカが首を横に振る。研究室の空気が重く感じられた。


 「わかっています。感情に流されるべきではない。でも——実験を続けて、また誰かが消えたら——」


 沈黙が降りる。遠くで、鳥の鳴き声が聞こえた。


 「先生は——アストラルコレクション研究を、続けるんですか?」


 アルヴィンが机の上の資料を手に取り、開いた。そこには彼が数十年かけて積み重ねてきた理論と観察記録が記されている。


 「当然じゃ」


 淡々とした声だった。感情の起伏はない。ただ事実を述べるように。


 「もはや仮説ではない。実証されたのじゃ——だが、解明すべきことは山ほどある。マルクス君も、記録局で調査を続けるじゃろう」


 ヴェルニカは何も言わなかった。師の姿勢は、理解できる。真理を追求する者として、正しい。でも自分には、その覚悟がない。


 「真実を知る者は——その真実を、抱えて生きるしかない」


 アルヴィンの言葉が、静かな部屋に沈んでいく。遠くで、王都の鐘が時を告げた。



 記録局の執行官執務室では、マルクスが机に向かって書類を処理していた。


 失踪事件の報告書、調査資料、今後の対策案——書類の山が机の上に積まれている。ペンを走らせる音だけが、静かな部屋に響いていた。


 窓の外から、遠くデモの声が聞こえてくる。「記録局を解体しろ」という声。マルクスは手を止めることなく、淡々と書類を処理し続けた。


 机の端に、一冊のファイルが置かれている。


 クラウス村住民記録。


 表紙を開けば、手書きの名前が丁寧な文字で並んでいる。三百十七人分。一人一人の名前、年齢、職業。


 マルクスが視線を移した。数秒、そのファイルを見つめる。


 そして、次の書類に手を伸ばした。


 記録局の業務、アストラルコレクション研究、王都を守る任務——全て、続く。


 その時、扉を叩く音がした。


 「マルクス執行官、魔力異常処理の依頼です」


 マルクスが立ち上がり、コートを手に取る。ファイルに一瞬視線を向けて、部屋を出た。



 翌日の学院。


 II組の教室。授業の合間の休憩時間、エディが隣の席から声をかけてきた。


 「なあ、お前最近元気ないぞ。何かあった?」


 カノンは答えられなかった。どれも、言えない。


 「……ちょっと、色々考えてて」


 「そっか」


 エディが頷いて、少し間を置いてから続けた。


 「お前が頑張ってると、俺も頑張らなきゃって思うんだよな。才能なんかなくても、やれることはあるんだって」


 エディが少し照れたように頭を掻く。


 「うちの親父も、昔は魔術師になりたかったらしいんだ。でも学院に入れなくて。俺が合格した時、泣いて喜んでたよ」


 カノンはエディを見た。


 教室では、仲間たちが雑談している。


 「昨日も三時間練習したのに、まだ火がつかないんだよな」


 「私なんて一週間。でも諦めない」


 「I組の連中は最初から無詠唱だもんな。羨ましいけど——」


 「でも、私たちだって、いつかは」


 笑い声。希望に満ちた声。


 才能に恵まれなくて、名家の出身でもない。それでも魔術を学びたいと願い、毎日必死に努力している人たち。


 カノンは、彼らの顔を一人一人見つめた。



 その夜。


 エリアスの研究室には、まだ灯りがついていた。


 机の上に、一冊のノートが置かれている。表紙には手書きで題名が記されていた。


 『数式魔法体系 初版』


 エリアスがペンを置き、椅子の背もたれに体を預ける。窓の外には王都の夜景が広がっていた。どこかで、まだデモの声が聞こえている。


 血筋も、感覚も、才能も——いらない。


 論理と、努力だけで習得できる魔法。


 学院が、評議会が、何百年もかけて独占してきた権威。それを、誰でも手に入れられるものにする。


 エリアスがノートを手に取り、最初のページを開く。そこには魔法の基礎理論が、数式という誰もが理解できる言語で記されていた。


 これが完成すれば、学院の卒業証書など無価値になる。冠名など、ただの飾りになる。


 何百年も続いた、この世界を——


 内側から、壊す。


 エリアスがノートを閉じた。


 「さあ、革命の時だ」



――第一部 了――

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