第22話 亡霊の刃、友の残滓

「お前が、なんでここにいるんだ……シオン……」


俺の口から漏れた、絞り出すような声。

目の前に立つ男は、聖女の親衛隊『六枚の翼』の一人、カイン。

だが、その顔は、俺の記憶に焼き付いて離れない、親友の顔そのものだった。

三年前、魔獣の群れに呑まれ、その亡骸さえ見つからなかった、シオン。


「……久しぶりだな、アレン」


シオンは、昔と変わらない笑みを浮かべた。

だが、その瞳には、光がない。底なしの沼のように、昏く、淀んでいる。


「なんで……どうして、生きて……。それに、その格好はなんだ! 聖王国だと? お前、俺たちの国を裏切ったのか!?」


疑問が、次から次へと溢れ出す。思考が、感情が、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられて、まともな言葉にならない。


「裏切った? 違うな、アレン」

シオンは、ゆっくりと首を振った。

「俺は、救われたんだ。イリス様に。本当の正義に、目覚めさせてもらったんだよ」


「本当の、正義……?」


「ああ。お前やライアスのような、偽物の英雄ごっこじゃない。この世界から、真に悪を根絶するための、絶対的な正義だ」

彼は、俺の背後、リリムやゼノンたち魔族を一瞥した。

「見てみろよ、アレン。お前が今、誰の隣に立っているのかを。それこそが、お前が偽物である何よりの証拠だ」


その言葉は、鋭い刃となって、俺の心を抉った。

俺は、何も言い返せない。


「シオン! お主、アレンに何を……!」


俺の動揺を察したリリムが、怒りの声を上げる。

だが、シオンは彼女に見向きもしない。彼の瞳は、ただ俺だけを捉えていた。


「俺は死んだんだよ、アレン。三年前のあの日、お前たちの栄光の陰で、無様に、犬死した」

淡々と、彼は続けた。

「暗くて、寒くて、痛くて……助けを呼んでも、誰も来なかった。お前も、ライアスもな。そんな俺を、絶望の淵から救い上げてくださったのが、イリス様なんだ」


「……」


「だから、俺はイリス様に全てを捧げると誓った。この命も、この魂も。イリス様の正義を阻む者は、誰であろうと排除する。たとえ、それが、かつての親友おまえだったとしてもな」


シオンは、その手に持っていた異形の短剣を、逆手に構え直した。

かつて、斥候として、誰よりも速く駆け、誰よりも巧みに敵を翻弄した、彼の戦闘スタイル。


「終わりだ、アレン。お前はここで、俺が殺す。それが、お前へのせめてもの情けであり、俺の過去との決別だ」


殺気が、肌を焼く。

シオンの姿が、掻き消えた。

速い!

疲弊し、動揺しきった今の俺では、到底反応できない。


(死ぬ―――)


そう覚悟した、瞬間。


ガキィィィィィィンッ!!


俺の目の前で、火花が散った。

甲高い金属音。シオンの短剣を、横合いから振り抜かれた大剣が、弾き返していた。


「……な……」


その大剣の主は、俺のすぐ隣に立っていた。

さっきまで、俺の背中で気を失っていたはずの男。


「……ライアス!」


「……チッ。どういう状況か、さっぱりわからねえが……」

ライアスは、シオンを睨みつけながら、吐き捨てた。

「お前が、本物のシオンだろうが、亡霊だろうが、どうでもいい。だがな……」


彼は、ちらりと俺を見る。


「こいつを殺すのは、俺だ。お前なんかに、その役目を譲るつもりはねえぞ」


その理屈は、あまりにも彼らしかった。

だが、そのおかげで、俺は命を拾った。


「……ライアスまで。相変わらずだな、お前たちは。揃いも揃って、甘ったるい」

シオンは、心底うんざりしたようにため息をついた。


「うるせえ! 事情を説明しろ、シオン! なぜ聖王国にいる!」

ライアスが、吼える。


「……シオン……本当に、お前なんだな……?」

俺は、まだ現実を受け入れられず、か細い声で問いかける。


俺と、ライアスと、シオン。

かつて、同じパーティで背中を預け合った三人が、今、それぞれの想いを胸に、刃を向け合っている。

聖女イリスは、その光景を、まるで美しい絵画でも鑑賞するかのように、静かに見つめていた。


「始めなさい、カイン」

彼女は、冷たく命じた。

「元仲間との旧交を温めるのは、その二人を神の御許へ送ってからで、十分でしょう」


その非情な言葉を合図に、シオンの殺気が、再び膨れ上がる。

戦場の喧騒が、遠のいていく。

長くて、終わりのない一日が、再び、始まろうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る