第21話 混沌の戦場と、魔王の温もり

「アレン! 大丈夫か!」


ゼノンたちが作り出した乱戦の隙間を縫って、リリムが俺の元へ駆け寄ってきた。

その顔には、焦りと、そして俺への深い心配の色が浮かんでいる。


「その力は……一体……。お主、身体は平気なのか!?」


「リリム……すまん、少し、力を使いすぎたみたいだ……」


彼女の顔を見たとたん、張り詰めていた糸が切れたように、全身から力が抜けていく。

俺は、その場に膝から崩れ落ちそうになった。


「アレン!」


リリムが、その小さな身体で、俺の身体を必死に支える。

温かい。

魔王である彼女の体温が、冷え切った俺の心にじんわりと染み込んでいくようだった。


「……なぜ、そやつを庇ったのじゃ」


リリムは、俺が背負っているライアスを、複雑な表情で見つめた。

その声には、僅かな嫉妬が混じっている。


「わからん。……ただ、こいつをここで死なせるのは、違うと思っただけだ」

俺がそう答えると、リリムは「ふん、お人好しめ」とそっぽを向きながらも、俺の身体を支える腕の力を、一層強くした。


戦場の喧騒が、嘘のように遠い。

この束の間の平穏が、ずっと続けばいいとさえ思った。


だが、現実はそれを許さない。


「――そこにいたのですね」


凛とした声。

戦場の混沌を切り裂くように、聖女イリスが、親衛隊『六枚の翼』の二人を連れて、俺たちの前に再び姿を現した。

彼女の視線は、もはや魔王であるリリムにはない。

ただ真っ直ぐに、俺だけに向けられていた。


「アレン。あなたに問います」

イリスは、聖剣の切っ先を俺に向け、真剣な眼差しで問いかけた。


「その力は、神から与えられたものですか? それとも、悪魔の企みですか?」


その問いに、俺は答えることができなかった。

俺自身にも、この力の正体はわからないのだから。


俺の代わりに、リリムが前に出た。


「こやつは、妾のものじゃ!」

彼女は、小さな身体を精一杯大きく見せるように胸を張り、魔王として宣言する。

「その力も、その魂も、全てが妾のもの! 貴様のような、神の名を騙る偽善者に渡すものか!」


「魔王……。いいえ、今はあなたに興味はありません」

イリスは、リリムを冷たく一瞥すると、再び俺に視線を戻した。


「聖と魔……決して交わることのないはずの力が、あなたの中では一つになっている。それは、世界の理を歪める、禁忌の力。わたくしは、その正体を見極めなければなりません」


彼女の瞳は、狂信者のものではなかった。

世界の真理を探求する、求道者の瞳だ。

この聖女は、俺たちが思っていた以上に、複雑な人間なのかもしれない。


このままでは、埒が明かない。

俺は、リリムにだけ聞こえるように、囁いた。


「リリム、一度引くべきだ。ライアスもこのままじゃ……それに、俺ももう限界だ」


俺の言葉に、リリムは悔しそうに唇を噛んだが、こくりと頷いた。

イリスもまた、これ以上の戦闘は無意味だと判断したようだった。ゼノンたちの抵抗は激しく、彼女の軍もまた、大きな損害を受けている。


両軍の間に、奇妙な睨み合いが生まれる。

やがて、イリスは、ふぅ、と一つ息を吐くと、聖剣を鞘に収めた。


「……よろしいでしょう。今日のところは、引きます」


その言葉に、戦場の誰もが安堵の息を漏らした。

だが、聖女は、無条件で引くほど甘くはなかった。


「ただし、一つ条件があります」


彼女の視線が、俺から、俺が背負うライアスへと移る。


「その男、ライアス。彼の身柄を、こちらに渡していただきたい」


「……何だと?」


「ふざけるな!」

俺とリリムの声が、綺麗にハモった。


イリスは、その反応を予測していたかのように、悲しげに微笑んだ。

「そうですか……残念です。彼の中にある『悪魔の呪い』、わたくしが浄化して差し上げようと思ったのですが。放っておけば、彼は内側から蝕まれ、いずれ廃人となるでしょう」


「余計なお世話じゃ!」


「交渉、決裂ですね。――ならば、力づくで、ですね」


イリスが、冷たくそう告げた、瞬間。

彼女の背後に控えていた『六枚の翼』の一人が、すっと前に出た。

これまで感じたことのない、鋭く、研ぎ澄まされた殺気。

その暗殺者は、ゆっくりと、自身の顔を覆っていた仮面に手をかけた。


「……やめなさい、カイン」

イリスが制止の声をかける。

だが、カインと呼ばれた男は、その言葉を無視して、仮面を外した。


その下に現れた顔に、俺は、時間が止まるほどの衝撃を受けた。

見慣れた、茶色の髪。

悪戯っぽく笑う、その口元。

パーティにいた頃、何度も背中を預けた、俺の唯一の親友。


「……な……んで……」


声が、震える。


「お前が、ここにいるんだ……シオン……」


S級パーティ『暁光の剣』の斥候(スカウト)。

三年前、任務中に命を落としたはずの、俺の親友、シオンが、そこにいた。

その瞳には、かつての快活な光はなく、ただ昏く、冷たい光を宿して、俺を見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る