第23話 交錯する刃、零れ落ちる記憶
「始めなさい、カイン」
聖女イリスの、神託にも似た冷たい命令が、戦場に響き渡る。
その言葉が、俺たちの過去と現在を繋ぐ、非情の合図となった。
「……じゃあな、アレン」
シオン――いや、カインは、感情のない瞳でそう告げると、その姿を再び掻き消した。
だが、今度は違う。
隣には、ライアスがいる。
「左だ、アレン!」
ライアスが吼える。
俺は、彼の言葉を信じ、身体を捻りながら左薙ぎに剣を振るった。
そこに現れたカインの短剣と、俺の剣が激突し、甲高い音を立てて火花を散らす。
「チッ……」
カインが、初めて忌々しげに舌打ちをした。
「なまっちまったな、シオン! その程度の速度で、俺たちを殺れるとでも思ったか!」
ライアスが、俺と背中合わせになるように立ち、カインを睨みつける。
それは、かつて『暁光の剣』で、何度も見せた陣形だった。
前衛の俺とライアス。そして、その二人を死角からサポートする、斥候のシオン。
皮肉にも、俺たちは、最もよく知る敵と、最も慣れ親しんだ形で対峙していた。
「……昔の話だ」
カインは、再び距離を取る。彼の動きには、かつての軽やかさはない。代わりに、一つ一つの動きが、急所を確実に抉るための、洗練された殺意に満ちていた。
「昔の話だと? ふざけるな! 俺たちは、お前が死んだあの日から、何も変わっちゃいねえ!」
ライアスが、怒りに任せて突進する。
その大振りの一撃を、カインは紙一重で潜り抜け、ライアスの脇腹を狙って短剣を突き出した。
「甘い!」
だが、その動きは、俺が読んでいた。
ライアスの攻撃を、カインがどう避けるか。俺には、手に取るようにわかる。
俺の剣が、カインの短剣を的確に弾き飛ばした。
「ぐっ……!」
「お前こそ、甘いんだよ、シオン!」
俺は、叫んだ。
「お前の動きは、全部わかる! お前が次にどこを狙うか、どう動くか、俺が知らないとでも思ったか!」
俺たちの連携は、完璧だった。
それは、長年培ってきた信頼の証。
だが、その事実は、俺の心を締め付けた。
なぜ、その信頼を、今、お前に向けなければならない?
「……うるさい」
カインの瞳が、僅かに揺らいだ。
「そんなもの、ただの感傷だ。過去の亡霊に、惑わされるな、アレン!」
カインの動きが、さらに速く、そして鋭くなる。
彼は、俺とライアスの連携の僅かな隙間を、的確に突いてきた。
次第に、俺たちは防戦一方に追い込まれていく。
疲弊した身体に、友との戦いという精神的な負荷が、重くのしかかる。
「アレン! 集中しろ! そいつはもう、俺たちの知ってるシオンじゃねえ!」
ライアスが、俺の動揺を叱咤する。
わかっている。
わかっているんだ。
だが、それでも。
すれ違い様に、ふわりと香る、昔と変わらない汗の匂い。
攻撃を受け流す瞬間に見える、昔と変わらない、真剣な眼差し。
その全てが、俺の決意を鈍らせる。
(なんでだよ、シオン……。俺たち、親友だったじゃないか……!)
ガキンッ!
思考の途絶。それが、致命的な隙となった。
俺の剣が、カインのフェイントに釣られ、がら空きになった胴体に、彼のもう一方の短剣が、容赦なく突き込まれようとしていた。
「もらった」
カインの、冷たい声。
(ああ、死ぬ―――)
俺が、そう覚悟を決めた、その時。
俺の身体の奥深くで、あの黎明色の力が、再び脈打った。
だが、今度は制御できない。
俺の意思とは無関係に、それは、俺の身体を守るためではなく、目の前の『敵』を排除するために、暴走を始めた。
「―――アレン!?」
俺の変化に、ライアスが気づく。
「やめろ……! やめてくれ……!」
俺は、心の中で叫んだ。
この力を、シオンに向けるわけにはいかない。
こいつは、俺の、たった一人の―――
その瞬間だった。
俺の目の前に、純白の影が舞い降りた。
それは、聖女イリス。
彼女は、俺とカインの間に割って入ると、その聖剣『サンクトゥス』で、俺から放たれようとしていた黎明色の力の奔流を、軽々と受け止めた。
「そこまでです」
彼女は、俺の力を受け止めながら、静かに告げた。
その瞳は、俺の力の根源を探るように、深く、澄み渡っている。
「カイン、戻りなさい。今日のところは、目的を果たしました」
「しかし、イリス様! こいつは……!」
「命令です」
イリスの、有無を言わさぬ一言。
カインは、悔しそうに顔を歪ませながらも、短剣を収め、イリスの背後へと下がった。
俺から放たれる力の奔流が、次第に収まっていく。
イリスは、俺を見据えたまま、静かに言った。
「アレン。あなたという存在は、あまりにも危険で、そして……あまりにも、興味深い」
その瞳には、敵意とは違う、別の感情が宿り始めていた。
それは、まるで、初めて見る美しい宝石を見つけたかのような、知的な探究心と、独占欲にも似た、強い輝きだった。
「必ず、また会いに来ます。あなたの全てを、このわたくしが、解き明かすために」
そう言い残すと、イリスとカイン、そして『六枚の翼』は、光の中に溶けるように、その姿を消した。
聖王国軍もまた、潮が引くように、撤退を開始していく。
後に残されたのは、破壊し尽くされた大地と、疲弊しきった俺たちだけ。
俺は、その場に崩れ落ちた。
ライアスが、何も言わずに、俺の隣に座り込む。
遠くから、リリムやルナリアたちが駆け寄ってくる声が聞こえる。
だが、俺の耳には、もう何も入ってこなかった。
親友は、生きていた。
そして、俺の、倒すべき敵となった。
これ以上に、残酷な現実があるだろうか。
俺は、答えの出ない問いを胸に、ただ、静かに涙を流すことしかできなかった。
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