影踏み

紅月蔵人

影踏み

「またあした」


そう言って、手を振る。

日が暮れて景色が茜色に染まる頃、一人、また一人と家路につく公園。



”ぼく”の家はお父さんもお母さんも働いている共働き家庭だ。

夕方になってお母さんが迎えに来るまで公園で時間を過ごしている。


公園には時計があって、お母さんが迎えに来るのは6の数字に二つの針が重なった頃。

季節によってはずいぶんと暗くなることもある。


が、”ぼく”はいつも一人ではなかった。

みんなが帰ったあとも一人だけ、”ぼく”と遊んでいた男の子が居た。


名前はゆうくん。

苗字は知らない。

苗字どころか”ゆうくん”の名前が”ゆう”だけなのか、それとも”ゆうき”のような名前の一部なのか、またそれが本名であるかすら知らなかった。

でも毎日、同じ公園で会う友達だった。


ゆうくんは言葉少なで、話すより物を指さしたり、両手を広げて大きさを表したり、ということが多かった。

それでも”ぼく”たちは同じものを見て笑っていたし、ちゃんと意思の疎通はできていた。


でも、ゆうくんは少し人見知りだったのかな。

”ぼく”が他の友達とサッカーや鬼ごっこに夢中になって遊んでいるときは、ベンチに座ってじっと見ているだけのことが多かった。

大人数が苦手だったのかもしれない。

”ぼく”とゆうくん、あと一人や二人のときは一緒に遊んで楽しく過ごした。


「さよなら」

そう言って手を振ると、公園には”ぼく”とゆうくんだけになった。


日も落ちてくると遊ぶ方法は限られてくる。

長く伸びた影を見て、”ぼく”はとても良い遊びを思いついた。


「影踏みしよう」


”ぼく”はゆうくんもきっと気に入る提案だと思った。

でも、ゆうくんは少し息を飲み、小さく「え」と呟いた。


「影踏み、きらい?」

ゆうくんは首を横に振る。


「じゃあ、影踏み、しよ」


ゆうくんはしばらく黙ったままで、少し間があって、こう言った。

「きみが鬼。ずっと鬼。」


影踏みは影を踏まれたものが鬼になり、交代して順番に影を踏むものだ。

ゆうくんがずっと鬼ならただのおいかけっこじゃないか。


「鬼は交代だよ」

「だめ。きみが鬼。」


いつもは優しいゆうくんが、かたくなに首を振る。

しかたなく”ぼく”はそのルールを受け入れた。


”ぼく”がずっとゆうくんを追いかける。

影を踏んでも交代はなし。

そのルールは子供には退屈で、”ぼく”はすぐに飽きてしまった。


「あんまりおもしろくないね」

”ぼく”がそう言うと、ゆうくんは少し悲しそうな顔をした。


その日はそこで、お母さんが迎えに来た。

人見知りのゆうくんは、”ぼく”のお母さんにすこし頭を下げると、そのまま一人で公園を出る。

ゆうくんも家に帰るんだな、と思っていた。




別の日に。

ゆうくんと”ぼく”、そして一人か二人。

小さい子も居て、あまり難しい遊びはできなかった。

そして”ぼく”はまた、影踏みを提案してみた。

小さい子は、影を踏まれても鬼にはならない。

そんな特別ルールを設けた。


ゆうくんはあまり乗り気ではなかったけど、小さい子が影踏みをしたことがなかったのでやってみようということになった。


「僕は鬼をやらない。」

ゆうくんが言う。


「そんなのつまんない」

ともう一人の子が言ったので、ゆうくんも影を踏まれたら鬼になることになった。


ゆうくんはとても足が速くて、なかなか影を踏めない。

だから、”ぼく”はもう一人の子を狙って走った。


もう一人の子が鬼になっても、やっぱりゆうくんの影は踏めない。

小さい子の影を踏んでも特別ルールだから、やっぱり鬼は”ぼく”ともう一人の子が交代ですることになる。


それもだんだんつまらなくなってきて、”ぼく”が鬼になったとき、ゆうくんを狙うことにした。

ゆうくんも少し油断していたのかもしれない。

”ぼく”はゆうくんの影を踏むことに成功した。


「ゆうくんが鬼」


ゆうくんはとても驚いた顔をしていた。

自分が踏まれるとは思っていなかったのかもしれない。


「ゆうくんが鬼だよ」


ゆうくんがうつむいて首を横に振った。

もう一人の子が「そんなのずるい」と言った。


影を踏まれたら鬼になる。

それが影踏みのルールだ。


そう言うと、ゆうくんは仕方なく首を縦に振った。


でも。

ゆうくんは、鬼なのに逃げてばかりで追いかけて来ない。


「こんなの、影踏みじゃない」

もう一人の子がつまらなそうに唇を突き出した。

小さい子はルールもあまり判ってなかったから、追いかけも追いかけられもしないのに楽しそうに走り回っていた。

”ぼく”たちも、もう影踏みを諦めてただの追いかけっこをすることにした。


”ぼく”がゆうくんを追いまわす。

ゆうくんも楽しそうにわあ!と言って逃げ出す。

小さい子も声を上げて笑いながら走り回る。

もう一人の子もゆうくんや小さい子を追いまわす。

とても楽しく、時間はあっという間に過ぎた。


日が落ち始め、また影が長く伸びた頃。

走り回っていた小さい子と、ゆうくんがぶつかった。

小さい子はそのはずみで前のめりに転び、大きな声で泣き出した。

ゆうくんは驚いて、ただそこで立ち止まった。


もう一人の子は「僕、知ーらない」と言って逃げ出した。

泣いている小さい子と”ぼく”とゆうくん。

”ぼく”はゆうくんに「あやまりなよ」と言った。

責めるつもりはなかったが、ゆうくんはそんなふうに感じたのかもしれない。


「ごめん。ごめんなさい。」

ゆうくんも大きな涙のつぶをぼろぼろ落としながらあやまった。


”ぼく”は言いすぎてしまったと思い、「ぼくもごめんなさい」とあやまった。

泣いている小さい子とゆうくん。


時計を見ると、二つの針が6をさしている。

お母さんが迎えに来て、”ぼく”はそのまま手を引かれて帰ることになった。

泣いている小さい子とゆうくんが公園に残される。

”ぼく”は少し、責任を感じて振り返った。

辺りはすでに暗くなり、泣いている二人の声だけが耳に残った。





「ゆうくん、て、覚えてる?」

”ぼく”は母に訊いた。


「ゆうくん?誰?」


休日の午後、母は趣味のお菓子作りをしながら答える。

今日はオーブンでシフォンケーキを焼いていたが、うまくふくらまず落ち込んでいた。


「けっこう遅くまで一緒に遊んでた子。覚えてない?」


母が昔の記憶を手繰るように目を巡らせる。

「あんたがよく遊んでた子って、高木さんちの子しか知らないわね。」

高木さんちの子、は同じクラスの友達だった。


「じゃなくて。お母さんが迎えに来るまで一緒に居た子。」

「そんな子、居た?」


もう10年も前の話だ。

当時の母は仕事が忙しく、それどころではなかったのだろう。

”ぼく”も唐突に思い出しただけで、それ以上の何かを求めていたわけではなかった。


「その頃って。」

母がふくらまなかったケーキを取り出し、なんとか体裁を繕おうと切り始めた。

これは最初からショートケーキでした、と言うために生クリームを塗ることにしたらしい。


「太田さんちの子、行方不明になったじゃない?」


太田さんちの子?

「誰だっけ。」

「文房具屋さんの向かいの太田さん。4歳だったのよね。確か。」


文房具屋の向かい。

あ。あの時の小さい子のことだ。


「え?行方不明?」

「そう。警察もずいぶん探したけど、公園で目撃されたのを最後に消息がぷっつり、だったって。」


公園。

その言葉で”ぼく”の心臓が大きく鼓動する。


「え?ちなみにそれ、いつの話?」

「だから、10年前よ。太田さんの奥さん、心労で入院されて気の毒だったわ。」


生クリームをヘラでケーキに塗りながら、母は何かを思い出した。


「そうよ。あんたが最後の目撃者だって警察が来たじゃない。」

「え?そんなの覚えてない。」


覚えていない。

だが、なぜか心臓がどくどくと早鐘を打つ。


「そういえばその時も言ってたわね。”ゆうくん”って。」


ゆうくんが、小さい子と一緒に泣いていた。

”ぼく”はそう証言したらしい。


「そうそう。結局その”ゆうくん”が誰かも判らなくて、手がかりもなくなって。」



覚えていない。

いや、覚えている。


ゆうくんが泣きながらあやまって。

その前に、小さい子が泣いていて。


その前に、ゆうくんが、小さい子の影を踏んで……。







◆----◇ あとがき ◇-----◆


最後まで読んでくださり、誠にありがとうございます。

この作品は、ネットで適当に集めた単語を組み合わせて、そこから連想するエピソードをつなげて書きました。


影踏みなんて小学生くらいまでしか遊びませんよね。

「影踏み」という、自分の記憶の中でものすごく遠くなった単語で書くのは新鮮でした。

ボケ防止にいいかも……?

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