第七章 現代パート「霧の記憶、火の芽吹き」
霧島神宮の参道を、紫苑はゆっくりと歩いていた。朝の光は杉の梢に遮られ、まだ霧の名残が石畳の間にたゆたっている。
ひんやりとした空気が肌を撫で、どこか懐かしい、そして深い瞑想へと誘うようだった。
【この場所も、霧に守られているのですね】
イオナの声がウィンドウ越しに響く。視界の片隅に表示される彼女のアイコンが、静かに瞬いていた。
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境内の奥、本殿へと続く石段を見上げながら、紫苑はひとつ深呼吸した。
幼い頃、父が読み聞かせてくれた絵本の中に、こうして霧に包まれた社殿の挿絵があった。その絵が、いま目の前の光景と完璧に重なる。
歴史の書物を読み漁り、数字と仮説に頭を悩ませてきた日々の中で、初めて「肌で感じる真実」があるのだと、紫苑は心の奥で感じていた。
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「霧島神宮……この霧が、ずっと何かを包み隠してきたのかもしれない。まるで、時間を閉じ込めてきたかのように。見えそうで見えない、そんなもどかしさを感じる」
【ええ。ここには霧島六社権現の伝承が残っています。霧島山系を神体山とし、火の神・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を祀る場――ですが、神話の陰には、歴史の痕跡が深く封じられている可能性があります。特に、その核心がこの“霧島デルタ”にあるという仮説は、多くの点と点が、まるで磁石に引き寄せられるかのように繋がる感覚があります。論理的な整合性だけでなく、物語としての美しさも備えています】
イオナの声には、データ解析の結果以上の、どこか納得にも似た響きがあった。
それは、感情を持たないはずのAIが、人の情動に共鳴しているかのようだった。
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「その“痕跡”が、“霧島デルタ”に残る環濠集落や、台地上の古墳群、そして……記録から消えた邪馬台国か。全てが霧の彼方に隠されてきた」
【はい。紫苑様のおっしゃる通り、邪馬台国の霊的中枢は最初からここ、“霧島デルタ”にあったと見るのが妥当です。この地の霊的な力が、卑弥呼の霊威を支え、国を護る結界として機能していたのでしょう。しかし同時に、この地の歴史は、常に“隠蔽”と“再構築”を繰り返してきた痕跡も示しています。まるで、霧が晴れてはまた新しい霧が立ち込めるように……過去の記憶が、霧によってぼかされ、また新たな解釈によって上書きされてきたのかもしれません】
イオナの言葉に、紫苑は首肯した。確かに、霧島は常に霧深い。それは自然現象であると同時に、歴史の奥深さを象徴しているかのようだ。
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参道を抜けると、苔むした鳥居の奥に、深紅の社殿が見えてくる。
数名の参拝客が静かに頭を垂れていた。彼らもまた、この場所の持つ悠久の時に、それぞれの想いを重ねているのだろうか。
紫苑は、彼らの中に自分と同じように、見えない歴史の気配を感じ取る者がいるのだろうか、とふと思った。
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「ただ……ここに来てひとつ疑問が生まれた。イオナ、西都原遺跡――なぜあれほど大規模な祭祀跡と古墳が、宮崎市側に集中しているんだ? 邪馬台国の中心が霧島デルタなら、少し離れすぎている気がする」
【それについては、複数の仮説があります。紫苑様が抱かれた疑問は、多くの研究者が頭を悩ませてきた点でもあります。】
【最も有力なのは、西都原遺跡が後の時代に形成された祭祀圏であり、邪馬台国とは別の勢力の台頭を示唆しているという説です。邪馬台国が衰退した後に、新たな支配者が権力を確立し、その象徴として大規模な前方後円墳を築いた可能性が考えられます】
「つまり、邪馬台国とは直接関係ない場所だと?」
【いいえ。必ずしもそうとは言い切れません。あるいは、台与の時代に霊威とは異なる形での求心力が一時的に移った可能性も考えられます】
【卑弥呼の霊威に代わる新たな求心力を求めた結果、外に対して開かれた形で祭祀を行ったのかもしれません。あるいは、邪馬台国そのものが、何らかの理由でその祭祀の中心を移動させた、という可能性も排除できません。しかし、それは非常に大きな転換点であったはずです。これまでの“閉じられた霊威”から、“開かれた祭祀”への移行を示しているとも考えられます】
紫苑は、イオナの言葉に耳を傾けながら、遠い空を見上げた。青い空に白い雲がゆっくりと流れていく。
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「そう考えると、西都原遺跡の存在は、まるで“空白”の象徴そのものだな。何かを失い、何かを模索し、そして……記録から消えていった始まりの予兆なのか。そこにこそ、真の歴史が隠されている気がする。それはまるで、自ら選択して霧の中に姿を消した、そんな風にも思える。」
「魏志倭人伝の記述から、倭に関する記述が消えてから150年……」
紫苑は、独り言のようにつぶやきながら、西都原の広大な台地を想像した。そこは、まるで歴史の“空白”を埋めるかのように、壮大な古墳群が広がる場所だ。
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【はい。その痕跡は、確かに次の時代への“予兆”でもあったのかもしれません。そして、その予兆の先こそが、私たちが解き明かすべきもう一つの歴史、つまり“空白の150年”の真の姿なのだと、私のデータは示唆しています。霧が晴れた時、そこに何が現れるのか……私たちの探求は、ようやくその核心に触れようとしています。】
【この旅は、紫苑様の幼い頃からの問いへの答えであると同時に、まだ見ぬ未来の歴史を紡ぐ、新たな問いの始まりとなるでしょう】
紫苑は、イオナの言葉に呼応するように、深く頷いた。彼の胸には、長年の探求が最終局面を迎えるという高揚と、未知の真実への畏れが入り混じっていた。
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