3-3.冬の始まり
六
お昼休みに入った直後、秋穂はクラスメイトの男の子に捕まってしまった。秋穂は早く愛衣たちのところに行って、四人でお話ししながらお弁当を食べたいのに、とそわそわとした気持ちでいた。
「小湊さん、その、連絡先とか交換してほしいんだけどさ、やっぱダメ……?」
その男の子は、少し前に恋人はいるのかと聞いてきた男の子だった。どういう風の吹き回しなのだろう。連絡先を入手できるかという罰ゲームでもやらされているのだろうか。
「ダメではないです、けど。どうしてですか?」
罰ゲームならば、信じて連絡先を交換するのは彼に負担になるだろう。自分が影で笑われることには慣れているが、それもいい気分はしないから、そちらも防止したかった。
「え? いや、その、ええと、小湊さんと仲良くなりたいなあ、なんて思って」
男の子は驚いて目が泳ぐ。秋穂には、彼が嘘をついているようには見えなかった。本当に私と仲良くなりたいのだろうか。共通の好きなものもないのにどうして。秋穂は愛衣以外に友人はいない。だから友人のなり方が他にわからず、何のきっかけもなく仲良くなろうとする彼を理解できなかった。
「……わかりました」
悪意はなさそうだったから、と秋穂は連絡先を交換した。その後、彼はすぐに会話を終えて二人の男の子に合流する。秋穂は安堵して息を吐いた。お弁当を手に取って、秋穂はいつもの三人のところへ向かう。もう三人は集まっていて、美月がニコニコと笑みを浮かべながら秋穂を見る。
「いいじゃん、男子とも仲良くやれそうで」
「よくないよ、私は三人がいたらそれでいいのに」
「友だちもいいけどさ〜、彼氏もいいものだよ〜」
美月と雪に挟まれて、彼氏がいるとこんなにいいことがある、それもいいものだと、つらつらと話をされてしまった。秋穂にとって恋人は優先度の高いものではないし、そもそも自分に恋人ができるとは到底思えない。だから二人の話はあまり心に響かなかった。
正面にいる愛衣だけは、秋穂に恋人の話を振ってこなかった。愛衣には今恋人がいないから話してこないのだろうか。それとも美月と雪に同意の気持ちで何も言わずにいるのだろうか。後者を思った時に、なんだか秋穂の心にちく、と指先に棘が刺さった時のような痛みを感じた。私は彼女たちにとっていなくてもいい存在なのだろうか。そんなつもりで二人は私に恋人の話をしているわけではない、と思う。それでも、三人を一番だと思っている秋穂にとって、他にも大事な存在はいてもいいんだと言われるのは、ここにいなくてもいいと言われているような気がして、なんだかとても苦しかった。
「私、恋人がいなくたってお友だちがいたらそれでいいよ」
自分にとっては掛け替えのない友人たち。三人がいてくれれば、この場所があれば、秋穂にとってそれ以上のことなんてないと思った。
「……あたしたち以外と友だちになったっていいんだよ」
なのに、秋穂にとっての一番の光がそう言った。
「え」
暗い井戸に、とんと肩を押されて落とされた気がした。
「別にさ、友だちはあたしたちだけって決まりはないし、それに恋人を作ったって友だちじゃなくなるわけじゃないじゃん? だからそれもいいと思うよ」
愛衣はただ、秋穂の背中を押したいつもりだった。美月と雪は恋人がいたって四人で集まるのをやめたりしない。だから、それもいいんじゃないかと秋穂に伝えたかっただけ。そう思っているはずなのに、何故か心の奥底の淀みが反応して強い言い方をしてしまう。
「秋穂はあたしたちのものってわけじゃないんだしさ、秋穂が行きたいところに行けばいいと思うよ」
それは、秋穂にとっては暗闇へと落ちていく言葉で。
「秋穂はほら、かわいくていい子だし、きっといい恋人ができるよ!」
愛衣にとっては励ましの気持ちでも、秋穂にとっては井戸の底へと沈められる言葉だった。
だから秋穂はその言葉にうまく反応できなかった。
「そ……う、だね、そっか」
つい俯いてしまう。愛衣は、愛衣だけは、きっと私の手を離さないでいてくれる。秋穂は勝手に愛衣に期待してしまっていたと申し訳なく思ったのと同時に、その手が離されてしまったことがとても悲しくて、顔を上げられなくなってしまった。
その後は少しぎこちなくも他愛もない話を続けて、お昼休みは終わった。秋穂は、自分はこの場所にいない方がいいのだろうかと、ここを一番だと思ってはいけないのだろうかと、井戸の水底で考えていた。
それから秋穂は、少しずつ愛衣たちと距離を取るようになった。お昼休みに一人でご飯を食べたいと言ったり、放課後は用事があるから先に帰ると愛衣を置いて帰ったりする。そんな日々が一週間続いた。
「私たちが彼氏の話したからかな」
美月が萎れた花のようになって言う。雪もそれに続いて「私も追撃しちゃったのがよくなかったかも〜」と同じように萎れて言う。
「ごめんね、愛衣。秋穂に距離取らせるようなことしちゃってさ」
二人よりも萎れた、もはや枯れかけた花のようになってどんよりとした空気をまとう愛衣は、二人に気を使わせないようにとできるだけ明るく言った。
「いやいや、あたしが秋穂の行きたいところに行けばいいって言ったんだしさ、気にしないでよ〜! それよりごめんね、あたしがそんなこと言っちゃったから二人から秋穂を引き離しちゃった」
両手を顔の前で合わせてごめん、と謝る愛衣に美月と雪は顔を合わせる。
「じゃあ、三人とも悪かったってことで」
「あとで秋穂に謝らなくっちゃね〜」
「じゃあ今から謝りに行く? 秋穂はそのまま席に」
いるよ、と言いかけて、秋穂の席を見て止まってしまった。秋穂の前の席には別の人。この間声をかけていた男の子がいた。秋穂はまだお弁当を食べていたが、男の子はもう食べ終わっているらしく、前の席に座って秋穂に話しかけている。
少し前ならそこはあたしがいたのに。あの席で秋穂と話すのはあたしだったのに。考えて、愛衣は頭を振る。いやいや重たすぎるでしょ、なに考えてんの。
「あらら、先客がいるね」
「どうする〜?」
奥底の淀みが舞い上がる。心に混じる。染まりきったわけではないものの、それでも心に混じった淀みが主張する。
「……今日はやめておこっか」
今近付いたら、秋穂を傷付けてしまう。絶対にそれだけはしたくない。しかし、淀みでもやがかかった水は、すぐには引いてくれなかった。
「あんたはそれでいいの?」
「だってさ、会話が盛り上がってるところに邪魔されたら嫌かなって思うから」
愛衣は笑った。ちゃんと笑えていると思っているのは本人だけで、美月と雪には寂しく歪んだ笑顔にしか見えなかった。
愛衣と美月と雪は、いつも三人でいた。秋穂はその中に自分がいないことがとても苦しくて、三人をうまく見ることができなくなった。三人の中に混ざらなくなってから、秋穂はクラスメイトに話しかけられるようになった。クラスメイトとは話が合わず、秋穂は「そうなんですね」と頷いてばかりいた。いつもの三人とも話が合うというわけでもないが、その話さえも楽しかった。なのに、クラスメイトとの話は楽しくない。心が躍らない。
連絡先を交換した男の子からもよく話しかけられるし、家に帰ってからメッセージが来ていることもあった。彼は映画が好きでその話をよくしてくれる。けれども彼には私の反応はあまり関係ないように見えた。だから会話をしているような感覚が薄くて、返事もいつも同じようになってしまった。それでもずっと話をしているので、やはり私の反応はあまり気にしていないのだろうな、と秋穂は思っていた。
愛衣がいい。愛衣といたいな。愛衣と美月と雪と自分、四人でまた他愛もない話がしたい。雑貨屋の新作がまた形容し難い容姿をしていることとか、新しくできた喫茶店の話とか、テストの点数とか、メイクの話とか、そういうった話がとても恋しかった。
でも。あの場所に戻ることはもうできないのかもしれない。勝手に苦しくなって、勝手に離れて、勝手にまた苦しくなって、勝手に戻りたがっている。自分勝手すぎる。そんなの、許されていいわけがないから。
きらきらの宝物がいっぱい詰まった万華鏡。回すときらきら鮮やかに輝いて、とても綺麗だった。その宝物たちがなくなって、中身が空っぽの万華鏡を回してもきらきらしなくなった。鮮やかさも色も、全部なくなって灰色になった。
七
十二月。雪が降り始めて、本格的に寒くなる。今日は雪が恋人と遊ぶらしく、美月と二人で雑貨屋にやってきた。今月の新作、虹色のクマのぬいぐるみを見に来たのだ。この店を知ってからというもの、愛衣の部屋にはここのぬいぐるみたちがどんどん増えていっていて、最近は置く場所がなくなってきたために買うのは厳選しなければ、と厳しい気持ちでやってきた。しかしいざ可愛らしいぬいぐるみを目の前にすると財布の紐が緩みそうになるもので、ついつい連れ帰るのはどの子にしようかと手に取ってしまう。店に入る前に美月に「デレデレになって買いそうだったらしっかり考えろって言って」と伝えておいたのに脇でニコニコしながら見ているものだから、愛衣は深く考えることもなくぬいぐるみに触れてしまう。
ふと、すぐ近くにあるぬいぐるみキーホルダーが置かれた棚が目に入る。ここでうさぎと猫を買ったのは先月だったか。愛衣は無意識にカバンに付けたピンクのうさぎに触れる。ふわふわとしてやわらかい感触がする。
「そのうさぎちゃん、このお店で買ったんだっけ?」
うさぎに触れている愛衣に気付いて美月が聞く。無意識だった愛衣はどのうさぎのことを指しているのかわからず聞き返した。
「どのうさぎ?」
「さっき触ってた、カバンに付けてるうさぎちゃんのこと」
そういえば、虹色のクマより毛足の長いやわらかな感触が手に残っている。自分は秋穂が選んでくれたうさぎに触れていたのか。
「この子は……前に、ここで買った子で」
その時は秋穂と。黒い猫も買って。
「あの時は、ハリネズミのぬいぐるみも一緒に買ったの」
ギョロ目ちゃんだって、絶対褒め言葉じゃないって思ったのに、秋穂は褒めてるんだって。
「ああ、あのハリネズミちゃん。写真でも存在感あるよね」
美月が笑いながら愛衣の顔を見たのに、愛衣と目が合って驚いた顔をする。美月はカバンの中からポケットティッシュを取り出して愛衣に渡す。
「顔、ぐしゃぐしゃになっちゃうよ」
「え」
「あれ、自覚ない? あんた泣いてるよ」
自分が、泣いてる。どうして。 愛衣はわけがわからず困惑した。泣く理由がわからない。混乱して手を伸ばしそびれていたら、美月がぽんぽんとティッシュで涙を拭いてくれる。
「うさぎちゃん、たしか秋穂と買ったんでしょ、だから悲しくなっちゃったんじゃない?」
「秋穂のこと思い出して泣くなんて、そんなことあるわけないじゃん」
「あんたさあ、秋穂とすっごい仲良かったじゃん。だから最近話せてなくてキツイんでしょ」
「そんなことないって! ゴミでも入っちゃったんだよ、きっと!」
ほら帰ろう、と愛衣が足早に店を出る。美月はこのまま疎遠になる前になんとかするべきだと思ったが、愛衣が望まないのならこれ以上深入りするのもよくないのかもしれない、と何も言わずに愛衣の後を追う。
家路に着いた愛衣は自室へまっすぐ向かう。絨毯が敷いてある床に座って自室の真ん中のローテーブルに倒れ込む。脇に置いたカバンのうさぎを軽くつついて、選んでくれた秋穂のことを考える。
あの日、喫茶店で一緒に飲んだいちごソーダ、爽やかで甘さ控えめで、すごくおいしかったな。また一緒に行きたいと思ってたのに。毎日他愛もない話をして、毎日笑い合って、毎日楽しかったのに、どうしてこうなったんだろう。
今日貴方が笑った
私じゃない他の人に
秋穂が他の人に笑いかけることを、他の人と親しげに話すことを、考えるだけで心の淀みがどろりと浮き上がってしまう。
鮮やかだった私の世界が
また灰色になった気がした
世界に淀みの色が混じって、灰色の世界になった気がした。
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