3.冬の始まり


 一



 秋穂がメイクをした日の放課後、秋穂に似合う色はこれだ、似合うメイクはあれだ、方向性はこうだ、と三人でわいわいと話ながら秋穂のメイク道具を買って歩いた。最終的な方向性は、あまりメイクをしているというのを相手に感じさせない、自然な仕上がりの方になった。髪型はそのままストレートの黒髪で、メガネも可愛いが外した方がもっと可愛い、という理由でコンタクトレンズに変えた。普段メガネをかけている秋穂にとってメガネを外すのはとてもハードルが高かったので、最初の頃は度の入っていない、いわゆる伊達メガネをかけていた。そうして秋穂大改造計画を進めていくうち、時間も過ぎて季節が変わった。

 息が白くなる冬。始まったばかりとはいえそれなりに低い気温の季節になり、秋穂はコートにマフラーで登校をしていた。

「おはよう、小湊さん」

 校門の少し前の道で同じクラスの女の子が秋穂に声をかける。メイクをするようになってから、彼女からよく声をかけられるようになった。「おはよう」とだけ返して、秋穂は女の子と反対の方側を見る。何を話したらいいのかわからない、だからこれ以上話しかけられないようにとそっぽを向いた。けれども彼女はそんなことは気にも留めずに続けて秋穂に話しかけてくる。

「小湊さんってさ、いつも本読んでるよね。有名な人の本?」

「有名、ではないと思います、たぶん」

「そうなんだ、じゃあ私知らないかも」

 大好きな本の話を振られても、全く心が踊らない。それどころか、この場をどう切り抜ければいいのかと、秋穂は困ってずっと目を泳がせていた。

「私はこの間ドラマやってたやつの原作を読んで、ドラマの方が面白いなあって思っちゃって」

「感じ方は人それぞれですもんね」

「小湊さんの好きな本はドラマ化とか映画化とか、してる?」

「いえ、メディア化したものはないです」

「ふうん、残念だね」

 何が残念なのだろうか。メディア化するのだけが正しいわけではないし、何よりも小説には小説の良さがある。なのに何故、メディア化していないことは残念なことになるのだろうか。愛衣ならそんなことは言わない。彼女は私が好きなものを尊重してくれる。きっと「秋穂が好きなんだから、映像化はむずかしいけど素敵な言葉が並んでるんだろうね」とか「あたしはよくわかんないけど、文字でしか表現できないってこともあるよね」と言ってくれる。

「小湊さん?」

 声をかけられて、秋穂はハッとした。なんて失礼なことを考えてるんだろう。目の前の女の子にも、愛衣にも失礼だと思った。

「ぼーっとしてたけど、大丈夫?」

「ごめんなさい、大丈夫です」

 秋穂は早く教室についてほしいと願った。早く三人に合いたい。愛衣に会いたい。自己嫌悪するようなことなど考えたくはない。秋穂は少し歩調を速めて歩いた。


 教室に着くと、そこで女の子とは別れて秋穂は自分の席へと座る。やっと離れられた、と安心したのも束の間、また別の人に話しかけられる。今度は男の子だった。

「小湊さんって、彼氏とかいる?」

「え」

「い、いや、あいつが聞いてきてくれって言うから、俺じゃなくってさ」

 彼はこちらを遠巻きに見ている二人を隠れながら指を指す。秋穂が二人を見ると、ぎこちなく目を逸らされた。目を合わせたくないほどなのに、どうしてそんなことを聞くのだろうか。いないことを確認して、下に見たいのだろうか。秋穂はまた失礼なことを考えてしまった、と先ほどの自己嫌悪の気持ちが蘇る。

「恋人はいないです」

「そ、そうなんだ。へえ。そっか、ありがとう」

男の子はそそくさと二人に合流する。彼らは秋穂の方をチラチラと見ながら話をしている。やはりそういう魂胆だったのだろうか。秋穂は自分が失礼なことを考えてしまったこと、けれどもそれを裏付けるような行動をとられてしまったことに、ひどく悲しい気持ちになった。


 お昼休みになって、いつもの四人で集まって他愛もない話をしながらお弁当を食べる。その時間が秋穂はとても待ち遠しかったし、とても恋しかった。愛衣と美月が雑貨屋の新作について話をしているのを微笑ましく見ていた秋穂に、雪が話しかける。

「秋穂さ〜、恋人作んないの〜?」

「え」

 その話題に、忘れかけていた今朝の自己嫌悪を思い出す。

「ほら、朝、男子に話しかけられてたでしょ〜? だから恋バナとかないのかなって〜」

「そんなのないよ、雪」

 自分には、恋の話なんて。

「私に恋人なんて、できないもの」

 自分に恋人なんてできるはずがない。だって、今朝も恋人がいるのかと揶揄われて、それをひどく悲しく思って、相手に対して嫌な感情を持ってしまうような人間なのだ。そんな人間に、恋人などできるはずがない。

「なんで? 秋穂はいい子だしかわいいし、できないわけないじゃん」

 話を続けたのは愛衣だった。スマートフォンの画面を美月に見せてそれを指差しながら、秋穂に話しかける。

「美月にも雪にも恋人いるんだよ。同じく素敵な子の秋穂にできないわけないじゃんね」

 ふふん、と何故か誇らしげな愛衣。そんな愛衣の頬につんと触れて美月は言う。

「あんたにはいないけどね」

「う、うるさいな、あたしは運命の恋が来るまで待ってるの!」

「小学生じゃあるまいし〜、白馬に乗った王子様が来るって本気にしてるの〜?」

 反対側の頬に雪が指を押し付ける。両側から頬を押された愛衣が唸りながら「いいでしょ、別に!」と顔を赤くして言った。そんな様子を見ていた秋穂は、つい笑みを浮かべてしまった。

「なによ、秋穂まで笑うの?」

「違うよ、三人が微笑ましくって笑っちゃっただけ」

 秋穂はくすくすと笑いながら続ける。

「私も、運命の恋を待ちたいな」

 きっと自分には白馬の王子様など来ないけれど。それでも、もしも恋をするのなら、それは運命の恋に他ならない。だって自分のような人間を好きになってくれて、自分のような人間が好きになる相手なのだから。

「お子ちゃまがもう一人いた」

「こりゃ〜この二人は一生恋ができないかもね〜」

「余計なお世話です!」

 愛衣は拗ねて二人の頬をつつく。「え〜、じゃあこっちも〜」と雪が反対側の手で秋穂の頬をつつく。四人で頬をつつき合ってひとしきり笑って、それから話題は新作のパッチワークのパンダくんの話になった。



  二



「秋穂ってさ、すぐ目を逸らす癖があるよね」

 不意に愛衣が言う。今日は英語の小テストが近いからと、図書室で二人で勉強会をしていた。秋穂は驚いて反応できず、ゆっくりと壊れかけのロボットみたいに首を傾げる。

「私、そんな癖あるの?」

「あるよ。ふとした瞬間に目が合うと、結構高確率で逸らすね」

 愛衣と目が合う。つい目を逸らしてしまった。

「ほら、今みたいにさ」

「う、指摘された後にしちゃうと恥ずかしいね……」

 言われたばかりの癖が出てしまった。これはかなり恥ずかしい。秋穂は手で顔を隠す。

「あ、なんで隠すの」

「こ、これ以上目線がバレちゃうの恥ずかしいから……」

「別に恥ずかしくはないでしょ。癖の一つや二つや三つや四つ」

「多くない?」

 秋穂は笑いながら顔を覆っていた手を下ろす。愛衣は指折り癖の数を数えているところだった。

「癖だからどうしようもないし、別に直そうとかしなくってもいいと思うんだけどさ、せっかく前髪を分けてメガネもなくなったわけだし、あたしはもっと秋穂と目を合わせたいな〜なんて思ってるんだけど」

 いひひ、といたずらっこの笑顔で言う。愛衣は本当に目を合わせたいわけじゃなく、私が慌てるのを見て楽しみたいのだろう。だから秋穂はあえて攻勢に出た。

「じゃあ、愛衣をじっと見つめるね」

 穴があくほど、というのはこういうことを言うのだと思う。秋穂は真面目な顔でじっと愛衣を見つめた。最初は笑顔でこちらを見つめ返してた愛衣は、段々と赤面していき、やがて目を逸らして顔を両手で隠した。

「愛衣、どうして隠すの」

「だ、だって恥ずかしくなっちゃったから……」

 愛衣に勝った、と秋穂は笑って顔を隠した愛衣の手に人差し指で触れる。

「私、人と目を合わせるの、たぶん苦手なんだけど、でも愛衣のことじっと見るのはなんだか楽しかったよ」

「……それはにらめっこであたしに勝ったからでしょ」

「それはそうかも」

 もう、と愛衣が吹き出して笑う。先生に「声が大きい」とたしなめられるまでの数分間、二人は笑い合っていた。



  三



 秋穂と愛衣は帰り道が途中まで一緒だから、と最近は一緒に下校していた。勉強をした帰り道、口頭でできる復習をしながら帰っていたのだ。コンビニの前を通った時に、空を見ながら英単語を暗唱していた愛衣が、何か閃いたようにコンビニを見る。「ちょっと待ってて」と秋穂をコンビニの外に待たせて、愛衣は中に入っていく。数分で戻ってきた愛衣の手には、ほかほかと温かさそうに湯気をあげている白い物体があった。

「ひひ、今日は頭いっぱい使ったから肉まん買っちゃった」

「わ、すごい。買い食いっていうやつだ。初めて見た」

「珍獣みたいに言わないでよ。ていうか初めてなの? 買い食いを見るのが? したこともないってこと?」

「ないよ」

「そんな人の方が初めて見たよ、秋穂の方が珍獣じゃん」

 珍獣同士だ、と二人は笑い合う。愛衣は湯気をあげる肉まんを「あちち」と言いながら半分に分けて、紙に包まれている方を秋穂の方に向ける。

「はい、肉まん半分あげる! 今日のお礼です、秋穂先生」

 愛衣は腰を折ってお辞儀をしながら秋穂に献上するように渡す。

「え、いいよ、お礼なんて」

「そう言わずに、受け取ってよ〜、ね!」

 秋穂は困ったみたいに笑っていたが、やがておずおずと手を伸ばして肉まんを受け取る。

「なんだか賄賂を受け取っちゃった気分だなあ」

「正当なお礼だってば」

 そのままコンビニの入り口に立っているのは邪魔だからと、入り口から少し離れたところで肉まんを食べる。秋穂にとって初めての買い食いは、とても温かくて美味しいものになった。秋穂の心も、肉まんの温かさが届いたみたいにじんわりと温かくなる。

「秋穂ってさ、この近くに住んでるんだよね?」

 はふはふと肉まんを頬張りながら、愛衣は続ける。

「あたしはすぐそこでさ、ほら、あそこに見える神社あるじゃん? 初詣はそこに行くんだよね」

「初詣」

 秋穂は自分には縁遠い言葉を口にする。家族と行ったこともなければ、友人と行ったこともない。きっとこれからもそんな機会に恵まれることはないだろうと、そう思っていた。

「そそ、でさ、もしよかったら一緒に行かない?」

 秋穂は一瞬なんのことかわからず、首を傾げてしまった。話の文脈からすると。

「初詣?」

「そうだよ〜、他になにがあるの?」

 笑いながら愛衣が言う。自分が、愛衣と、初詣に。

「一緒に行ってもいいの?」

 初詣というとても大きなイベントに、自分が一緒に行ってもいいのだろうか。

「あたしが秋穂と一緒に行きたいんだから、いいの!」

 平然と愛衣は言う。自分などが、という考えがこびりついてしまって離れないが、でも、それを愛衣が望んでくれるなら。

「うん、それなら一緒に行きたい」

「やった〜! 約束だかんね、絶対一緒に行こうね!」

 誰かと一緒に初詣に行くことができる日が来るなんて、秋穂は思ってもみなかった。二人で歩く帰り道、秋穂はずっとそのことを考えていたし、家路に着いた後は初詣までまだ一ヶ月以上あるのにどの服を着て行こうかなんて考えていた。



   四

 


 登校時間がギリギリになってしまった。愛衣は支度に時間がかかってしまって、朝から必死に走る羽目になった。

「ま、間に合った……」

 肩でぜはぜはと息をする。よたつきながら自分の席へと向かう。自分の席へと向かう途中で雪へ挨拶をして、自分の前の席に座る美月と話す。

「あれ、今日いつものゆるふわ髪じゃないんだ」

「そうなの〜、ストレートにしてたら慣れてないから時間かかっちゃってさ」

 愛衣は朝の成果を見て見て、と美月に言いたかったが教室に担任が入ってきたため、急いで自分の席に座った。いつも通りの朝のホームルームが始まって、愛衣は早くこのストレートにした髪を秋穂に見せたくてたまらなくて、早く時間がすぎてくれないかなとそわそわとしていた。朝のホームルームが終わる。次の授業は移動教室ではないため少し話せる、と愛衣は秋穂の席へと向かう。

「おはよう、秋穂」

「おはよう、愛衣……あれ、髪」

 愛衣は左右の髪をそれぞれの手で持ち上げて、秋穂に見てとアピールする。

「えへへ、今日はあたしもストレートにしてみたの。似合う?」

 秋穂はふんわりと優しく笑って「似合ってる、かわいい」と言ってくれた。

「今日は秋穂とお揃い」

 そう言って愛衣が花のように笑う。それを聞いて秋穂はなんだかむずむずするような、でもとてもうれしい気持ちになって笑顔になる。

「ふふ、今日は仲良しコーデだ」

「あたしたちはいつだって仲良しだけどね〜」

 愛衣は人差し指を立てて顔の横にやり、誇らしげに言う。秋穂にはその姿がきらきら光って見えたが、それは愛衣も同じで、笑顔で仲良しコーデと言った秋穂がきらきらと光って見えていた。お互い万華鏡のような日々だと思って、その日々がずっと続きますようにと思っていた。

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