2.秋の終わり
一
十一月。秋の終わり。秋穂はこの一ヶ月で愛衣、美月、雪という、三人のお話し相手ができた。初めは愛衣に出会って、いちごソーダという曲がお互い好きだと知った。それから毎日のように愛衣が声を掛けてくれて、初めて学校で話し相手ができた。愛衣に本を貸そうと話しかけたら、一緒にいた美月と雪が話しかけてくれた。それからは四人でよく一緒にいるようになった。そのことが、秋穂は戸惑いつつも嬉しかった。
ある日の放課後、愛衣はいつもの四人で最近できた喫茶店に行こうと思っていた。が。
「パス、私今日彼氏との先約があるから」
「私も〜、今日彼と図書館でお勉強デートなの」
「ぐう、彼氏さんが憎くなる……けど、先に約束できなかった私が悪いし、仕方ないか〜」
姉にもらった今日までの割引券を指に挟んでひらひらとさせながら、愛衣は肩を落とした。
「秋穂は? 秋穂も彼氏?」
「私、恋人なんて出来たことないよ」
「え、そうなの? 秋穂こんなにかわいいのに?」
「ありがとう、でも私をかわいいって思ってくれるの、たぶん愛衣だけだよ」
秋穂はふわりと笑って言った。それに対して「私たちも思ってるよ」と美月と雪が愛衣に同意した。秋穂は三人に「ありがとう」と顔の前に手をやりつつ、照れて俯いてしまった。そういうところもかわいいのに、と愛衣は思う。
「じゃあさ、今日は予定ある? なかったらあたしと一緒にここ行こうよ〜、割引券今日までだからさ〜」
両手を前に差し出して合わせる。愛衣がよくするお願いのポーズだ。
「ふふ、何にもないから、いいよ。一緒に行きたい」
「やった〜! あたしは秋穂とデートするから、お二人も楽しんでね〜」
愛衣は美月と雪に、貴婦人が扇で口元を隠しながらするような笑い方をして、秋穂の肩に右手を置いた。「それはそれでずるい、今度私らともデートしてよ」と美月がからかいながら秋穂に言う。秋穂は「今度はみんなで行けたらいいね」と優しく笑った。
秋の喫茶店のテラス席は肌寒かったが、秋の空気がなんとなく吸いたくてテラス席を選んだ。このお店は少し路地の中に入ったところにあって、テラス席からは道を歩く人が見えるが喧騒からは少し外れた感じのお店だったため、愛衣はちょっとした隠れ家を見つけたような気分だった。
「飲み物、何頼んだの?」
「へへ、来てからのお楽しみってことで」
いらずらっぽく笑う愛衣。愛衣と二人きりで話すのはなんだか久しぶりなような気がする、と秋穂は思った。そういえば、最近は四人で一緒に行動をしていたから二人きりで話すのは半月ぶりくらいになる。久しぶりに感じるわけだ、とスマートフォンを操作する愛衣を見ながら思う。
「ね、これ見て。すっごくかわいくない?」
愛衣が秋穂にスマートフォンの画面を見せる。画面に写っていたのはなんとも形容し難い顔をしたハリネズミのぬいぐるみだった。少しギョロッとした目をして、舌をぺろりと出している。愛衣が好きそうな見た目だが秋穂にとってはやや感想に困る代物だった。
「愛衣が好きそうな子だね」
「そう! あたしこの子すっごい好きで〜! ……待って、その言い方だと秋穂はかわいくないって思ってるってこと?」
するどい。秋穂は「ええと」と言葉を選びながら、目の前で頬を膨らませながらこちらをじっと見つめている愛衣に返答をする。
「私の好みではなかったけど、愛嬌があって素敵だと思う」
「くう、秋穂もダメか。お姉ちゃんにも好みじゃないって言われたんだよね〜」
愛衣はぐぬぬ、と唸りながらスマートフォンを握りしめる。子どもみたいな仕草につい秋穂は微笑ましい気持ちになってしまう。
「あ、ちょっと、今子どもっぽいって思ったでしょ。そのくらいわかるんだからね」
「ふふ、お見通しかあ。ごねてる子どもみたいでかわいいなって」
「か……こ、この愛衣様にかかれば全部お見通しなんだから!」
いつもなら「褒めても何も出ないんだからね」なんて返ってきそうなのに、今日は珍しく赤面してうろたえている。不意打ちに成功した悪役の気持ちだ、と秋穂はほくそ笑んだ。そんな話をしていたら店員が飲み物を持ってきてテーブルに飲み物を二つ置く。それらは赤い果肉が沈んでいて、そこからしゅわしゅわと炭酸の泡が出ている。これはもしかして、と秋穂は愛衣を見る。
「ここさ、いちごソーダって飲み物があるの」
今度は愛衣が不意打ちに成功したような顔をしていた。
「爽やかで甘くって、でも少し苦い味だったりして」
「案外すっごく甘いかもよ?」
「それはそれでいいかも」
二人で笑いあいながら、いちごソーダを飲む。爽やかで甘い。苦さはなかったが、甘さは控えめでとても飲みやすかった。
「あはは、二人とも予想が外れちゃったね。苦くはないし、甘すぎない」
「スッキリしてて美味しいね」
「ね、美味しい。次来た時もまたこれ頼んじゃおっかな」
二人はいちごソーダを飲みながら、他愛もない話を続ける。秋穂は誰かとこんな時間を過ごせるようになるなど考えてもみなかった。いつも一人でいたし、これからもそうなのだと思っていたから。秋穂は、この時間がとても素敵な宝物のように感じていた。こういう関係を友人と呼ぶのだろうか。しかし自分などが友人などと名乗っていいはずがない、浮かれてはいけない、と自制した。
先ほどのハリネズミのぬいぐるみをこの後買いに行こうと話していたところで、背の高い、スラッとした女性が声を掛けてきた。
「愛衣。割引券使いに来てくれたんだ、よかった」
どうやら愛衣の知り合いらしい。秋穂は二人が話すのの邪魔にならないようにと黙り込む。
「あれ、お姉ちゃんも来たんだ。ここのいちごソーダ、すっごい美味しいよ〜! おすすめ!」
「そうなんだ、じゃあ私もそれ頼んじゃおうかな。ところでそちらの子は見たことない子だけど、新しいお友だち?」
自分に話が向いてしまった、しかも友人かどうかという関係で。秋穂は焦った。どうしよう。私なんかと友人だって言われて、愛衣は嫌な思いをしないだろうか。そんなことを考えていた秋穂のことなど置いて、愛衣が答える。
「そだよ、最近話してたいちごソーダの子! 秋穂っていうんだ〜」
「あ、その子なんだ。いつも妹がお世話になってます」
愛衣の姉が軽く腰を折って挨拶をする。秋穂もつられて腰を折って挨拶をした。
「小湊秋穂です。こちらこそいつもお世話になっております」
「愛衣のお友だちにしては珍しいタイプの子だね、大丈夫? 愛衣、無茶言ってない?」
「言ってないって! ……たぶん」
「ふふ、大丈夫です。いつも楽しく過ごさせてもらってて、本当に大切な」
大切な。そう、とても大切な。
「お友だちです」
秋穂は愛衣を友人と呼べることに、とても誇らしい気持ちになった。
愛衣の姉が喫茶店に入っていたところで、秋穂は愛衣に話しかける。
「私、お友だちになれてる?」
先ほどはお友だちと言ったが、自分はちゃんと愛衣にとってお友だちになれているのだろうか、とまだ心配な気持ちがある。
愛衣は秋穂が何を言ってるのかさっぱりわからず、首をかしげた。秋穂は友人で、友人になれているとはどういう問いなのだろうか。意味が全くわからない。愛衣が考え込んで答えられずにいると、秋穂が続ける。
「私、愛衣のお友だちって、本当に思ってもいいの?」
秋穂が目を泳がせて俯く。愛衣は友人だと紹介してくれたが、姉に紹介する手前、仕方なく友人と言ってくれたのかもしれない。なのに自分はお友だちだなどと言ってしまった。おこがましかっただろうか。嫌な気持ちにさせてしまっていないだろうか。
「秋穂は」
少しの沈黙の後、愛衣が言う。もしも嫌な気持ちにさせてしまっていたらと思うと、秋穂は愛衣の顔が見れなかった。
「あたしのこと、友だちだって思ってくれてないの?」
寂しそうな声が前髪の向こうから聞こえて、秋穂は反射的に顔を上げた。愛衣はむすっとした顔で、寂しい声をしていたのに怒っていたようだった。
「ちがうよ、ちがう、私はお友だちだってずっと思いたくって、でも私なんかにお友だちって言われるの嫌かなあって、だから……」
愛衣がさらにむくれる。顔がしわくちゃになってきた。そんな顔をさせたかったわけじゃなかったのに、と秋穂は焦って次の言葉を考える。
「あたしはさ、友だちだと思ってたし、思ってるよ」
しわくちゃのむくれ顔で言う。むすくれた顔なのに、秋穂には今の愛衣がきらきら輝いて見えた。愛衣はいつだって真っ直ぐに秋穂に向き合ってくれる、だからきっときらきらと輝いて見えるのだ。
「それなのに秋穂はあたしのこと友だちだって思ってくれてなかったんだ〜ふうん〜」
「う、うう……」
今度は拗ねたように口を尖らせてそっぽを向いてしまった。余計なことを言って嫌な思いをさせてしまった。どうしよう、と秋穂が考えていると、愛衣の目が秋穂を見つめる。
「友だちだって、言ってよ」
拗ねながらも真剣な眼差しで、真剣な言葉で、愛衣が言った。
「嫌なことなんてないよ、大好きな友だちに友だちって思われることが嫌なわけないじゃん。胸張ってあたしのこと友だちって言ってよ」
きらきらが増す。光が大きくなる。
「あたしは秋穂のこと、大事な友だちだって思ってるんだから」
本当に、大きくて、眩しくて、素敵な光に出会ってしまった。暗い森の中、突然光が差し込んできて、それがどんどん大きくなる。私の森は、愛衣の光に照らされて暗くなくなっていく。
「私も、愛衣のこと、大切なお友だちだって、思ってる」
光差す森で貴女と会える。私にとって、これ以上幸せなことなんてきっとない。
「よろしい」
にひひ、といつものようにいらずらっぽく愛衣が笑う。それが、本当に嬉しかった。
愛衣お気に入りの雑貨店。今日入荷するはずの、件のハリネズミのぬいぐるみを買いに二人でやってきた。お店は大きくはないが歩きやすい店内で、可愛らしい雑貨屋ぬいぐるみがぎゅっと並べられていて、少し窮屈そうなその様もまた可愛らしかった。
愛衣はきょろきょろと本日の主役を探す。お店の中心に腰くらいの高さの丸いテーブルがあり、そこにハリネズミたちが隙間なく座っていた。
「あった〜! ほらみてよ、実物はもっとかわいい!」
「実物はもっとギョロ目ちゃんだったね」
「その感想はどう考えても褒めてないんだよね」
「褒めてるよ?」
えぇ、と困惑する愛衣の視界に、前に来た時にはなかったキーホルダーの棚が入る。愛衣は一つの考えが頭に浮かぶ。
「ね、秋穂。この棚の中の子だったらどの子が一番好き?」
「この棚? わ、かわいいね。そうだなあ、この子かな?」
秋穂は棚の下段、ピンク色のうさぎを手に取る。ピンク色の毛色に、耳の中と鼻先が水色で、目は茶色いボタンがついていた。なんだか愛衣に似てるな、と秋穂は思って手に取った。
「うんうん、じゃあ私は〜、この子かな!」
愛衣は棚の中段、ちょうど目線の高さにある辺りの、黒猫を手に取った。黒い毛色に、鼻周りと足先だけが白い毛になっていて、靴下って名前で可愛がられそうな子だった。
「じゃあこの子たちのお会計済ませて来るから、ちょっと待っててね」
愛衣は先ほどのピンクのうさぎと黒い猫、それからギョロ目のハリネズミを持ってレジへと向かった。帰ってくると、それぞれ別の袋に入れてもらったらしく、小さな袋を二つ、大きめな袋を一つ持って戻ってくる。ええと、と言いながら小さな袋の内の一つを秋穂に渡す。
「これ、さっきの黒猫ちゃんなんだけどさ、よかったらもらって」
「えっ、いいの?」
「いいよ〜。代わりにさっき秋穂が選んでくれた子をあたしがもらっていい?」
「え、私が選んだ子でいいの? もっと愛衣の好きそうな子にしておけばよかったかな……」
「あたしは秋穂が好きだって思う子が欲しかったの、だからこれでいいの」
二人で店を出ると、愛衣はさっそく先ほどのピンクのうさぎを袋から出してやり、自分のカバンに付ける。「ほら、かわいいでしょ」と軽くカバンを肩にかけ直してうさぎが揺れる。
それじゃあ、と秋穂も黒い猫を袋から出して自分のカバンに付ける。こういったものをカバンに付けるのは初めてだったから、自分のカバンで揺れている黒い猫が一際可愛らしく見えた。
「よぉし、それじゃあ二人でこの辺りの探検しよ!」
「探検?」
「隠れた名店を探せ! ってね」
いらずらっぽい笑顔で笑う愛衣の髪と、ピンクのうさぎが一緒に揺れる。やっぱり二人は似ているな、と秋穂は思った。
「それじゃあ、どこまでもお供します、愛衣隊長」
「うむ! ではまずは〜、あっちから!」
雑貨店の隣、服屋を指差す愛衣。そこへ二人は軽く駆け足で向かう。カバンにつけたうさぎと黒猫はゆらゆら揺れて、ボタンでできた目は日を反射して、瞳がきらきら光っていた。
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