第6話 自殺した自分

「殺された自分」

 というのは、もちろん殺したのは、奥さんだった。

 そして、奥さんは、半狂乱であったが、すぐに確保され、今、取り調べを受けている。

「旦那は、死なないのよ」

 というわけの分からないことを叫びながら、奥さんは、半狂乱状態になっていた。

 もちろん、心療内科の受診を受けながらということであるが、刑事としても、

「あの状態では、事情聴取もまともにできないな」

 というほどなので、

「精神錯乱状態での犯罪」

 ということで、

「無罪になる可能性は高いな」

 ということであった。

 しかし、そんな奥さんの、

「錯乱状態」

 というものを見て、本来であれば、

「奥さんも気の毒に」

 とは思うが、それだけではなく、

「奥さんの言っている意味が何となく分かる」

 と思っている刑事もいた。

 それが、

「秋元刑事」

 という刑事で、彼は、

「スピリチュアルな話」

 であったり、

「都市伝説」

 のような話に大いに興味があったのだ。

 だから、

「旦那は死なないのよ」

 と言ったことに対して気になっていた。

「旦那は、死んでいない」

 ということであれば、まだ、言葉のつながりが分かる気がするが、

「旦那は死なない」

 ということは、言葉的に、非常に違和感を感じさせられる。

「旦那は死んでいない」

 ということであれば、言っていることは確かにおかしいが、

「まだ死んでいない」

 ということを言いたいだけだ。

 しかし、

「旦那は死なない」

 ということは、

「殺しても死なない」

 ということであり、それが、

「不死身」

 ということなのか、それとも、

「殺しても殺しても、生き返る」

 ということなのか、

「とらえ方一つで、二つの考え方ができる」

 というものである。

 それを考えると、

「後の方が、余計に違和感がある」

 ということになるのである。

 秋元刑事は、今までに幾度となく、殺人事件に遭遇してきていて、中には、犯人が、

「半狂乱となる」

 ということも、少なくなかった。

 しかし、それでも、2,3日もすれば落ち着いてきて、事情聴取に応じてくれる人がほとんどだった。

 しかも、落ち着けば、

「これほど素直な人はいない」

 というほどに落ち着いているのである。

 それだけ、元々が、

「気が弱い」

 ということなのかも知れない。

 追い詰められ、殺すしかない状況になり、結果、

「殺してしまう」

 ということになるのだが、そうなると、今度は、自分の中で、精神的な許容ができなくなるということで、

「限界を突破してしまう」

 ということになるだろう。

 だから、

「半狂乱状態」

 というものになった時は、

「戯言」

 ということで聞き流すくらいの気持ちになっていたのだが、今回の殺人事件においての言葉は、

「無視できないもの」

 と考えるようになったのだった。

 秋元刑事は、

「この言葉の意味するものは?」

 ということで考えた。

 事件の方は、奥さんが半狂乱の状態では

事情聴取などできるはずもなく、医者に話しても、

「この状態は厳しいでしょうね」

 というので、

「どれくらいで正常になりますかね?」

 と言われた医者は、眉をひそめて、

「うーん、何とも言えないですね、正直、冷静さを取り戻しても、前のままの状態に戻っているかどうか、分からないですね。それに私は奥さんの前というのを知らないので、何とも言えないといっていいでしょう」

 という、曖昧な言い方しかしなかったのだ。

 秋元刑事は、

「それくらいのことは、俺には想像がつく」

 と思っていた。

 ただ、

「夫が死なない」

 という言葉だけが気になっていたのだ。

「どういうことなのだろう?」

 と繰り返し思っていたが、一つの結論として感じているのが、

「彼女の中にある、夢の世界」

 というものであった、

「現実世界と夢の世界の交錯」

 というものが、二人の間に存在していて、それを奥さんとしては、殺したはずの旦那の夢の世界だけが、起きていても襲ってくる気がすることから、

「死なない」

 という表現になったのではないか?

 ということであった、

「死んでしまったはず」

 しかも、それを実行したのが自分」

 ということで、自分の中にある、

「うしろめたさ」

 というものを、

「夫の魂が責めさいなめている」

 と感じると、

「霊がついてしまった」

 と考えて、

「どんなに罪を償っても償いきれない」

 と思うと、半狂乱にもなるというものだ。

 さらに、医者の話では、

「奥さんは、うわ言のようなことも言っていますね」

 という。

「それは、どういうものなんですか?」

 と聞くと、

「死んでも死にきれないという言葉なんですよ」

 という。

 この言葉は、よく言われる言葉ではあるが、この場合に、果たして適切な言葉といえるだろうか?

「死んでも死にきれない」

 ということは、

「死のうとする意志があるが、怖くて死にきれない」

 ということで、

「自殺を意味している」

 ということになるだろう。

 しかし、医者がいうには、

「彼女の中に、自殺しようという意識はまったくないように思うんですよ。普通なら、人を殺せば、その罪の意識から、少しは、自殺をしようという意識があってもしかるべきだと思うんですが、この奥さんに限っては、その意識はでてこないんですよね」

 ということであった。

「確かに、自殺を考える人は、見ていれば分かるというもので、精神錯乱状態だから、自殺の意識を感じ取ることはできなかったので、警察とすれば、自殺も警戒しなければいけない」

 と考えていた。

 殺人犯に、検察に起訴する前に、警察署内で自殺などされると、

「警察のメンツは丸つぶれ」

 ということになるだろう。

 それを考えると、警察としては、今は、彼女を警察病院に入院させているが、

「自殺させないように」

 ということで、刃物などは気を付けるようにして、病室の前に、制服警官を配備させているのだった。

 実際に、中から奇声が聞こえてきて。

「大丈夫ですか?」

 と警官が中に飛び込むということもあるというのは事実だった。

「警察のメンツも大切だが、自殺をされると、真実が分からなくなる」

 ということで、警察としても、

「ここまで捜査をしていたことが、無駄になる」

 ということになるのだった。

 奥さんが、病院に入院している時、警察としても、当然のごとく、

「裏付け捜査」

 を行っていた。

「二人の夫婦関係」

 であったり、会社や、近所による聞き込みなどは、もちろん行われていたのだ。

 ほとんどの人の話としては、

「あの夫婦は、それぞれで好きなことをやっているみたいだったので、他の人が入りこめないんですよね」

 という。

 つまり、

「相手からきてくれる分には、いいんだけど、相手があそこまで動かないのであれば、どうしようもないということですよ」

 ということであった。

「じゃあ、二人から歩み寄るということはなかったんですね?」

 と聞くと、

「ええ、私にはなかったわね」

 というのだった。

「あの夫婦で、他に、おかしいと思うようなことはありませんでしたか?」

 と聞くと、

「そうですね、表から知らない人が見れば、仲のいい夫婦と思えるんでしょうが、少しでも知っている人は、猫をかぶっているとしか思えないでしょうね」

 という。

「ということは、見た目、ウソをつけないということでしょうか?」

 と秋元刑事が聞くと、

「いいえ、ウソをつくのが下手と言った方がいいでしょうね」 

 という答えが返ってきたのだった。

 秋元刑事は、そんな話を聞いていると、

「これは、不倫が絡んでいるな」

 ということはすぐに分かった。

 そして、その線で探してみると、

「旦那には、数人の不倫相手がいる」

 ということが分かり、

「それも今始まったことではなく、以前からあったことであり、しかも、一時に数人の女性と付き合っている」

 ということもあったのではないかということが分かってきたのだ。

「呆れたやつだ」

 と、他の刑事は、そう思っただけだが、秋元刑事は、

「そこまでしないといけないほど、旦那は、何かに追い詰められていたのではないだろうか?」

 という風に感じていた。

 これは、他の捜査員とは、まったく正反対の考え方で、実際に、

「反対から見ている」

 という感覚で、

「すべてを反対に見る」

 ということを考えてみると、

「0点だって、満点になるんだ」

 ということで、自分なりに納得できると感じたのだ。

 秋元刑事は、

「自分のスピリチュアルな部分」

 というのが、少し分かってきたような気がしてきた。

 秋元刑事は、これまでの事件において、

「予感というものがあり、それが閃きということで、捜査に貢献できる」

 と考えていた。

 他の警察署であれば、

「そんなもの、信じられるか」

 と言われるだろうが、実際に今まで何度も、

「事件が解決してみれば、秋元刑事の言った通りだった」

 ということであれば、

「さすがに無視もできない」

 というものであった。

 だから、捜査本部では、事実の発表が行われた後に、捜査方針を決める時、一番最初に、

「君はどう思うかい?」

 ということで、秋元刑事に訊ねるのであった。

 秋元刑事の意見は、

「勘というものではない」

 ということであった。

 彼の意見は、あくまでも、

「理論に基づいたもの」

 で、秋元刑事本人は、

「他の人に見え倍ものが、俺には見えるというだけのことなんですよ」

 といっているのだった。

 もちろん、それだけを鵜呑みにするわけではないが、推理の段階になった時、

「秋元刑事のいう結論を最終結論ということで考えた時、そのプロセスが次第に見えてくる」

 ということであった。

 これは、

「原因と結果がハッキリしていて、あとのプロセスは、無限の可能性の中から選ばれるだけだ」

 という、殺された村上と

「奇しくも同じ考えだ」

 ということになるのであった。

 もちろん、秋元刑事も。

「そんなことは知らない」

 ということであったが、何か引っかかると思ったのは、

「考え方が同じだ」

 ということを、

「奥さんの戯言」

 というものから、分かってきたということの裏返しではないかといえるのではないだろうか?

 実際には、そこまでは分からないが、

「ほんの少し、どこを掘れば、向こうに貫通するか?」

 という洞窟の採掘をしているかのようで、

「その開いた穴の向こうにあるものが、本当は、死後の世界なのではないか?」

 と、秋元刑事は感じていたのだ。

 そういう意味で、

「夫は死なない」

 といって奥さんの気持ちが、少しだけであるが分かってきたという気がしたのだ。

「奥さんは、きっと分かっていないんだろうな」

 と思った。

 そこまで考えると、

「奥さんは、自分が旦那を殺したという事実に関しては認識があるのに、旦那が死んだということを理解していないのではないか?」

 と感じたのだ。

 だから、

「夫は死なない」

 という言い方になっているのであって、しかもそれは、

「殺そうとしても死なない」

 ということを表しているのではないのではないか?

 と考えてしまうのだった。

 そうなると、秋元刑事も、

「本当は、旦那がまだ死んでいないのではないか?」

 とも思えてきた。

 実際に、死体が見つかっていて、奥さんが殺したということも告白しているわけであり、

「死んだことに間違いない」

 ということで、殺人事件ということでの、

「司法解剖」

 も行われ、荼毘に付されたということなので、

「この世にいない」

 ということは確定しているのであった。

 だが、

「どうしても、生きているような気がして仕方がない」

 という、秋元刑事の、

「スピリチュアルな部分」

 というものが、彼をくすぐるのであった。

 ただ、おかしな感覚はあった。

 というのは、被害者である村上が、

「死にたい」

 と思っているのではないか?

 ということであった。

 それは、

「自殺をしたい」

 という感情であり、考え方によれば、

「殺されてしまったことで、さまよっている魂が、成仏したい」

 という発想に近いのではないかとも考えられたが、それよりも、

「実際に、死んでしまうと楽になれる」

 という発想であり、

「まさに、自殺者の心境と同じではないか?」

 ということになるのだ。

 それを考えていると、

「もう一人どこかに自分がいて、自殺を考えようとしている」

 と思えば、

「その人物は、もう一人の自分の存在までは分かっているのだが、実際に死んだということまで分かっているのだろうか?」

 と考える。

「もし、死んだということを意識していたとしても、殺されたという認識でいられるかどうか?」

 ということを考えると、

「死んだことだけは分かっているかも知れないな」

 と感じるのだった。

 ただ、面白いもので、

「自殺をしたい」

 と思っている、自分は生きていて、

「死について何も考えていなかった」

 というはずの、

「もう一人の自分」

 というのが、殺されたということになるのだ。

 それをいかに解釈すればいいかということである。

「俺は、このまま死にたくない」

 と考えたとすれば、

「奥さんに殺される前」

 ということで、その時、殺された村上氏は、

「本当はこのまま死ぬことを予知していたのかも知れない」

 と感じた。

 というのは、彼が、

「ドッペルゲンガー」

 というものの存在を分かっていて、その

「もう一人の自分」

 を見てしまったということで、どんな形になるかということは想像もしていなかったということであるが、

「まもなく死ぬことになる」

 という予感があったといってもいいだろう。

 実際に、殺されることになったのだが、その自分を殺す相手というのが、

「自分の奥さんだ」

 ということを予知していたのだろうか?

 秋元刑事の予想とすれば、

「予知はしていただろう」

 ということであった。

「もう一人の自分に殺される」

 という発想もないわけではないが、相手も、

「ドッペルゲンガーに遭ってしまうと、自分が死ぬ」

 ということを分かっているだろうから、

「まるで、ハチが人間を刺す」

 という時のように、

「自分の命を引き換えに、相手を殺す」

 というような、まるで、

「差し違い」

 というようなことは考えていないだろう。

 ハチは人間を刺して、尻尾の触覚が折れてしまうと、

「しばらくすると死んでしまう」

 ということで、それこそ、

「命がけ」

 ということになるのである。

 そういう意味で。

「ドッペルゲンガー」

 というのも、

「命がけの所業」

 といってもいいのではないだろうか?

 そんな中で、一人の自殺と思われる死体が発見されたのは、それから一週間が経ってのことであった。

 それが、

「もう一人の村上の死体だ」

 ということは、誰にも分からなかった。

 それは、発見された死体というのが、

「火事の中から発見された死体だった」

 ということからなのであった、


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