第4話 約束を守る
「ぼくが他社の営業から商品やサービスを仕入れる部署にいた時」
ある日のレクチャーで、柿谷先輩が話してくれた。
「前にも言ったけど、思ったね。世の中の営業と呼ばれる人にはなんで、ここまでボケが多いのかと」
「そういうものですか?」
ぼくには今ひとつピンと来なかった。
「レスが早いとか、それ以前に約束を守らないやつが多いんだ」
「約束」
「こちらが何か、たとえば見積書だったり資料だったりをいつまでにくださいとお願いして、はいわかりましたと返事しても、その期限に来ない」
「えっ?」
「催促して一度で来るのはいい方。二度、三度でようやく出してきて、それが頼んだ物と違ったり」
営業って、そこで給料をもらっているのではないのか。
「こちらが頼んでなくて、向こうから言い出したことでもそうだ。この情報を送っておきますねとか、ご案内差し上げますねとか。こちらがありがとうございます、おねがいしますと言って待っていても、いっこうに来ない」
ひどいな。
「先日のレスが早いはある意味、上級まではいかなくても中級編なんだよ。それ以前の話でメールの返信が来ない。電話をしても折り返しがない」
「よく商売になっていますね」
「それが不思議なんだ。あくまでもぼくの感覚だけど、約束をきっちり守れたら上位三割、さらにレスを早くが徹底できたら上位一割に入れるんじゃないか」
「そういうものですか」
「何回も言うけど、価格と性能が同等ならお客さんは好きな営業から買うよ。メールの返事や折り返し電話をくれないやつと付き合って、自分の仕事を面倒にしたくないだろ」
それはその通りだ。
「できないことは約束しない。約束したらきっちり守る。当たり前のことだけど、それを忘れないようにしよう」
ぼくがわかりましたと返事しようとした時、柿谷先輩の携帯が鳴った。電話に出た先輩の顔がみるみるうちに暗くなっていく。
「本当ですか?はい、わかりました!」
そして、ぼくの方を振り向いて言った。
「白井くん、行こう。緊急会議だ」
会議室へ行くと、部長、課長、主任が深刻な表情を浮かべて座っていた。
「やばいぞ、どうするんだよ、これ。おい、柿谷!」
灰田課長がいきなり柿谷先輩を怒鳴りつけた。この課長は当然ながらぼくの上司でもあるわけだが、上司にへつらい、部下に責任転嫁するので評判は最悪だった。もちろんぼくも大嫌いだ。
「まあまあ。柿谷くん、この件は何も聞いていなかったのかな?」
銀星部長がとりなすように課長を制した。
何が起きたのか。話を聞いてぼくもようやく状況を理解できた。成約直前の超大型案件にどんでん返しが起きて、他社に取られそうだと言うのだ。
「どうも担当者が他社にうちの情報を漏らしていたようで、はじめから裏切る気だったようです」
黄林主任が口をはさんだ。
「本当ですか?確かにあの担当者はうちにお願いしますと約束してくれましたよ。メールでもその旨の意向をもらっています」
信じられないという表情の柿谷先輩。
「おまえの詰めが甘いんだよ!どうしてくれるんだ!!」
怒鳴り散らす灰田課長。この人はこういう時、何の役にも立たない。
当件は今年最大の超大型案件であり、これを逃すと営業部の目標達成は絶対不可能になってしまう。会社としても織り込み済みであったため、その影響は計り知れない。大げさではなく、株主総会で追及されるレベルだ。
「仕方ない。部長、あそこに頼みましょう」
黄林主任が部長へ言った。課長は完全にスルーである。
「しょうがないな。本部長と役員にはすぐ話をつける。何とか今日中に社長まで決裁取る。取るしかない。柿谷くん、明日のアポ取って」
部長の目は血走っていた。
「わかりました!」
部屋から飛び出した柿谷先輩を追って、ぼくも後に続いた。
「柿谷さん、あそこに頼むってどこですか?」
柿谷先輩は何を当たり前のことを訊いているのだという顔をして言った。
「もちろん、営業開発室だよ」
本当にこの会社はわけがわからない。営業開発室の支援を得るのになぜ社長の決裁が必要なのだ?隣の部署じゃん。
柿谷先輩に言わせると、核兵器級の凄い営業がいるのだが、凄すぎてめったに使えないと。どうしても彼に頼む時には役員と社長の承認が必要だとか。何だよ、それ。
その凄い営業は四方啓介さん。
柿谷先輩とぼくは四方さんのもとへ向かった。四方さんは小柄なおじさんだった。見かけとは違って、大の酒好きらしい。
「わかりました。行きましょう」
ぼくたちの話をろくに聞かずに快諾してくれた。本当に大丈夫か。
それから社内の承認が猛スピードで得られ、明日午前中の客先アポも取れ、何とか今日の目標をクリアした。
翌朝。
あり得ないことが起きた。四方さんが会社に来ない。客先直行ならまだいいが、そもそも連絡がつかない。昨夜飲み過ぎて倒れているのではという話だった。馬鹿野郎、約束守れよ。
「どうするんだ柿谷、ちゃんと約束したのか?明日一緒に行ってくださいと」
またもやパニックになる灰田課長。ぼくにはこの人の存在価値がわからない。
「柿谷くん、白井くん、一緒に行こう」
黄林主任が真剣な顔で言った。
三人がタクシーで駆けつけたのは四方さんの自宅だった。結構な年齢だが、独身一人暮らしらしい。黄林主任がポケットから鍵を出す。
「なんで合鍵持っているんですか?」
ぼくは驚いたが、緊急時だったためか黄林主任、柿谷先輩ともそれには答えてくれなかった。
安そうなアパートのドアを開け、三人で踏み込んだ。酒の空き缶やコンビニ惣菜の空き容器があっちこっちに散らかっている。床に隙間がないほど。
案の定、四方さんは床にうつぶせに倒れていた。めちゃくちゃ酒臭い。まだスーツを着たままだ。
「ちょうどいい。柿谷くんは頭、白井くんは足を持って」
黄林主任の誘導で、寝たまま起きようとしない四方さんを柿谷先輩とぼくで抱え、待たせていたタクシーに乗せた。
客先へ行く途中、ぼくたちは四方さんを起こそうと揺すったり軽くビンタしたりしてみたが、全然起きなかった。こんなやつをお客さんに連れて行ってどうしようというのだろう?
お客さんのビルの前で銀星部長と灰田課長が待っていた。やはり今日は背水の陣で総力戦なのだ。それなのにこの寝たままのおじさんは。
受付に怪訝な顔をされつつも、何とかごまかしつつ四方さんを応接室の前まで運ぶ。
そこからが意外だったのだが、応接室には先に銀星部長と灰田課長だけが入った。黄林主任、柿谷先輩、ぼく、そして四方さんはトイレにこもったのだ。
少しして、黄林主任の携帯が鳴った。
「はい、わかりました」
短く返事した主任はぼくたちの方を見た。
「よし、行こう」
寝たままの四方さんを抱えたまま、応接室の前まで行く。銀星部長と灰田課長が部屋から出てきた。部屋の中にはまだお客さん担当者がいるのに。
「えっ、どうしたんですか?」
担当者の声。そりゃそうだ。突然出て行かないよな、普通。
銀星部長がうなずくと、黄林主任が言った。
「それ、いくぞ」
ドアを開け、寝たままの四方さんを三人で応接室に放り込んだ。そしてドアを閉める。
「何ですか?いったい」
担当者の声。
「柿谷くん、契約書!」
銀星部長の声を聞いてはっとした柿谷先輩は鞄から契約書を取り出し、応接室のドアを開けると投げ入れた。
「よし、押さえろ!」
それから四人がかりでドアを押さえた。
最初に聞こえてきたのは獣のような咆哮。担当者の悲鳴。ドタバタドタとの騒音、そして振動。
「絶対押さえてろ!開けさせるな」
部長の指示にしたがって、ぼくたちは必死にドアを押さえた。誰かが中から空けようとしているが開けさせない。
「助けてくれ!」
担当者の声。ぼくたちは何をやっているのか。
ひとしきり咆哮と悲鳴と振動が続いた後、パタッと静かになった。
「もういいだろう」
銀星部長が言った。ぼくがドアを開けると、寝たままの四方さんがこちら向きにうつ伏せで倒れていた。手には契約書を握っている。
柿谷先輩が素早く契約書を取り上げて確認した。
「押してあります。契約成立です!」
確かに契約書にはお客さんの社印が押してあった。何これ?
「ありがとうございました」
ぼくたちは部屋の隅で震えている担当者に一礼した。
「お、恐ろしい営業だった」
担当者は小さくつぶやいた。
結局、またタクシーで家に連れ帰り、ベッドに寝かせても四方さんは一度も起きなかった。
どこまで信じてくれるかわからないけれど、これがぼくの会社の営業開発室にまつわる話だ。
柿谷先輩から聞く法人営業のセオリーと営業開発室の面々がやる超人技のギャップが大きすぎて、正直ぼくの中では整理できていない。
彼らが全部営業やればいいじゃんと普通思うよね?ぼくもそう思う。
でも、そうはいかない理由がいろいろあって、ここぞという時に使う今の形になったみたいだ。
知られていないだけで、実はあなたの会社にもいるんじゃない、こんな人たちが。ひそかに業務をまわしているのかもよ。
完
伝説の営業 山田貴文 @Moonlightsy358
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます