第3話 カメレオン

 また別の日。柿谷先輩と同行したお客さんからの帰り道。もう夕暮れで会社の定時を超えた時間だったので軽く一杯飲んで直帰しようということになった。


 酒を注文して待っている間、ぼくはスマホの電源を切ろうとしてさっき行ったばかりのお客さんからメールが来ているのに気がついた。


「柿谷さん、さっきのお客さんから質問が来ていますよ。うちの機械に興味を持ってくれたんですね。簡単な質問なんで今、答えちゃいますね」


 ぼくはスマホで返信しようとした。


「駄目」


 柿谷先輩はぼくを手で制した。


「明日の朝一にしな」


「どうしてですか?早くレスした方が好感度上がりますよね?」


 先日のレクチャーで確かにそう言っていた。


「うちの勤務時間内ならね。今何時?」


 ぼくは時計を見て答えた。


「原則として時間外に返信しちゃ駄目だ。一回やってしまうと、それが基準になってしまう。今はたまたま気がついたからいいけど、時間外にいつもパソコンとかスマホを見ているわけじゃないだろ?前は遅い時間でも返信くれたのに今度はくれないとか無駄にハードルを上げられてしまう」


 なるほど。そういうことか。


「だから時間内はすみやかに返信。時間外は返事せずを徹底していたら、お客さんはそういうものかと思うから」


「ありがとうございます。気をつけます」


 そこでビールが運ばれてきたので乾杯。


「あの、聞いていいですか?」


「何だい?」


 柿谷先輩はにこやかだ。


「営業開発室、あの人たち一体何なのですか?マジシャンですか?超能力者ですか?」


「実は俺もよくわからない」


 ごくりとビールを飲む先輩。


「君の実習にはあと何人か来るから、全部終わってから俺の知っていること話すよ」


 そう言われると何も言えなくなる。ぼくはやってきたつまみをぱくついた。


「話は変わる」


 柿谷先輩がこっちを見た。


「いろいろ説明しているけど、営業に関してはひとつだけ真実がある」


「何でしょう?」


「お客さんは嫌いな営業からは買わないということだ」


「はあ」


「前にも言った通り、しょせんは自分の財布じゃない。だから仕事をスムースにまわしてくれて、付き合って気持ちの良い営業から買いたい。もちろん値段や性能がどの会社も同等であるという前提だよ」


「でも、営業によって、そんなに差があるものなのですかね?」


 営業はみんな百戦錬磨のプロではないのか?お客さんにすぐ嫌われるようなヘマをやるのだろうか?


「ある」


 柿谷先輩は自信満々に答えた。


「ずっと営業のふるまいについてレクチャーしているけど、そんなの当たり前じゃんと思うかもしれない。でも世の中の営業と呼ばれる人たちで、そこができない人がめちゃくちゃ多いんだよ」


「そういうものですか」


 ぼくは半信半疑だった。


「ぼく自身も入社以来、ずっと営業ひと筋だったわけじゃない。二年ほど他社の製品やサービスを仕入れる部署にいたんだ。そこでわかったね。世の中にはいかにボケた、できない営業が多いかって」


「はあ」


「だから、基本をきっちりやれば、絶対売れる営業にはなれなくても、売れやすい営業には確実になれる」


 そこで柿谷先輩はグラスを持ち上げた。


「がんばろう。もう一度乾杯!」


 本当にいい笑顔するよね、この人。



 その翌日。


 ぼくは柿谷先輩、そして営業開発室の三上直樹さんとあるお客さんを訪問した。その日はここを皮切りに三社を一緒にまわる予定にしていた。その三社は三上さんが以前営業担当だったところだそうだ。彼は地味で無口なおじさんだった。今風の言葉で言えば陰キャっぽい人。


 最初のお客さんとの商談。営業開発室、前の二人と同じで柿谷先輩とぼくがお客さんに説明している間、三上さんはずっと沈黙を黙っていた。面識あるんだから、少しは何か言えよだせよとぼくはいらついていた。


 その日の商談はお客さんの要求を我が社が完全に満たせない状況で、ここまではできます、いやそれだとなあと言い合う苦しい展開だった。もはや交渉決裂かとぼくは意気消沈していたし、柿谷先輩も元気がなかった。


 会議室の終わりの時間が近づき、商談がまとめに入った時。そこで急に三上さんが口を開いた。なぜか満面の笑みを浮かべて。


「そう言えば、最近あれやっていますか?」


 完全に仕事とは関係ない雑談だった。いや、そんな空気じゃないでしょとぼくはびびった。さぞかし、イラッとしているだろうなと担当者の顔を見ると。


 なんと、それまで一度も見せていないとろけるような笑顔。そこから退出まで三上さんと担当者は仕事に一切触れず、雑談の話でおおいに盛り上がった。


 担当者からニコニコ顔で見送られお客さんのビルを後にすると、ぼくは小声で柿谷先輩に聞いた。


「あれでよかったんですか?」


 先輩は何も言わず、小さくウインクした。またもや意味のわからない世界に突入したようだ。



 二社目。ここはもはやクレーマーかと思うほどお客さんの担当者が攻撃的だった。我が社の小さなミスを延々と攻撃し続ける。前からおたくはこうだった、他社はちゃんとやっているのにとネチネチしつこい。もともと我が社のことを好きではなかったのか。


 担当者は見た目と口調がヤクザっぽい感じで、とてもまともな会社員に見えなかった。三上さんはこんな人にどう対応してきたのだろう。


 ちらっと三上さんの顔を見ると、無表情。相変わらずひと言も発しない。まるで他人事だ。何なんだよ、この人。


 延々と担当者の文句と説教が続き、商談が終わりに近づいた頃。突然、三上さんが口を開いた。


「おっしゃりたいことはそれだけですか?」


 固まる担当者。ぼくは血の気が引いた。何を言い出すんだ。


「ご不満を述べられている点につきましては、機械の商談時から注意点として資料にまとめご説明していましたよね?その旨をご説明した、私どもからお送りしたメールも残っています。そこは問題ないからということで導入を決めていただいたはずです。なぜ今になってそんなことをおっしゃるのでしょうか?」


 やばい喧嘩じゃん。でも、柿谷先輩を見ると特に三上さんを止める様子はなかった。それならぼくがと身を乗り出そうとしてぼくが先輩に止められた。目配せで放っておけとの合図。


 担当者は突然の反撃に固まった。ようやく声を絞り出す。


「いいのか?客に向かってそんな言い方をして」


「お客さんであってもおっしゃることが間違っていれば、そこはちゃんと指摘すべきだと思います。私たちも社を代表して来ているのです」


「何だと?」


「そもそも内容以前に他社の人間に向かってタメ口はおかしいです。私たちは社会人ですよね?」


 肝が冷えるとはこんなことを言うのか。ぼくは生きた心地がしなかった。結局、最後まで言い争いは収まらず、喧嘩別れでこのお客さんを後にした。


 外に出てからぼくはパニックになった。どうするんだよ?このお客はもう終わりだ。契約打ち切られちゃう。売上金額凄いのに。さぞ柿谷先輩焦っているだろうなと顔見たら普通の顔だった。


「ありがとうございました」


 先輩、三上さんに深々と頭を下げる。いやそこはさっきのやり過ぎでしょうと文句を言うところでは?


 三上さんに至ってはさっきの喧嘩腰が嘘のようにニコニコしている。


「さっ、次行こうか」


 すたすたと歩き出した。ついて行く柿谷先輩。一瞬取り残されたぼくはわけもわからず二人の後を追った。



 三社目。ここは契約寸前だった。価格を含めすべての課題をクリアしているはずだったが、なかなか担当者が機械の導入を決めてくれない。慎重過ぎる性格なのか既に終わった話を蒸し返すようなことを何回もしている、と言うのは柿谷先輩の話。


 真面目そうなお客さん担当者はどこの市役所にもいそうな典型的な役人風サラリーマンだった。細身で眼鏡をかけて頭が七三で、と言えばイメージつくでしょ?何となく。


 今日こそは決めてもらおうと契約書を持参していたのだが、なかなか捺印の話にならない。ああだこうだと重箱の隅をつつく担当者の指摘が続き、今日も時間切れになりそうだった。


「もう一度社内でじっくり検討して、それからご返事を差し上げる形でよろしいですか?」


 担当者が言った。まずい。また持ち越しかと思ったその時。


「いやっ」


 三上さんだった。その口調は完全におねえである。


「えっ?」


 とまどう担当者。


「あたしが営業の時、すぐに契約してくれると言ったじゃない。それなのにまだ契約してないなんて。いつまで待たせるつもり?」


「そう言われても、こちらにも手続きが」


「おだまり!」


 三上さんはいつの間にか持っていた契約書をテーブルに置き、しなを作りながら指さした。


「いいから、ここにハンコ押して!押してくれないと、もう知らないからね!」


 無茶苦茶である。


 さすがにその場で捺印はくれなかったが、契約書は担当者が預かってくれた。呆然とした表情を浮かべながら。


「じゃ、私はもう一軒寄って行きますので」


「ありがとうございました!」


柿谷さんが深々と頭を下げるので、ぼくもそれに続く。


笑顔で去って行く三上さんを見送りながら、ぼくは柿谷先輩の顔を見た。満面の笑顔でうんうんとうなずいていた。


翌日。さっそく動きがあった。


一社目。いろいろ比較検討した結果、御社の製品に決めたと採用のメールが来た。三上さんの雑談が効いたのか?まさか。


二社目。なんと担当者から私も言い過ぎたと謝罪の電話が柿谷先輩にあった。今後は態度を改めるのでどうか見捨てないで欲しいとまで言われたそうで、気味が悪かった。


三社目に至っては契約書への捺印が終わったので取りに来て欲しいとの電話があった。


ぼくは全身の脱力感を感じながら柿谷先輩に訊いた。


「何なんですか、あの三上さん?」


「見ての通りだ。お客さんの深層心理のツボを一瞬で突いて、我が社に好意を持たせる能力」


「なぜ昨日の三社の担当営業だった時に契約を取りまくらなかったのですか?」


「あの能力は営業開発室へ異動してから開花したらしい」


ますます意味がわからなくなった。


「三上さんが営業に行けば、どんな商談も百戦百勝じゃないですか。ぼくたちはいらないんじゃないですか?」


「世の中そううまくはいかない」


「はい?」


いってるじゃん。


「あんなことをできる回数には上限があるし、お客のツボを突く話の長さにも限界がある」


「話の長さですか?」


「そう。一回に三分が限界だ」


確かに最後まで喋らなかったけど。三分って、ウルトラマンかよ。


【四話(最終回)に続く】


























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