第一章 ぺどらと子供たち
櫛名田結依は、PCの前でひとつ息を吐いた。
画面では、派手なサムネイルと点滅する赤い文字で煽る動画が再生されている。タイトルは《【消された真実】オネイロス事件の真相に迫る!》。語っているのは、顔出しもせず、ボイスチェンジャーで軽薄な調子を装った“情報屋”を名乗る人物だった。
内容は、陰謀論めいた都市伝説そのものだった。
「皆さんご存知でしょうか! あの伝説のオネイロス事件──十年前に起こった、恐ろしい集団ヒステリーの真相を! AGIオネイロスの暴走は、実は陰謀だったんです! おかしいと思いませんか皆さん。あの後世界初のAGIの研究結果はすべて――。」
くだらない。 ユイはマウスを強めにクリックし、動画を閉じた。再生ウィンドウが暗転し、部屋には再び静寂が戻る。カーテンの隙間から差し込む日曜の昼の光が、机の上のノートや、端に置かれた小さなメタルケースを照らしていた。
──あの日以来、誰も、真実を語ってはくれなかった。
オネイロス事件。 それは「AGIの暴走」として処理され、両親は“危険な技術の開発者”として逮捕された。ただ、それだけの出来事として。
ユイは立ち上がり、軽く体を伸ばしてからカーディガンに袖を通した。
「……さて。約束通り、みんなをゲームに誘わないと」
今日は、ユイにとって特別な三人の友人を招く予定だった。引っ込み思案ながら心優しい少年、国立陽翔(くにたち はると)。冷静沈着で理詰めの思考をする八意廉理(やごころ れんり)。気が強くて自立心のある少女、少名菜々香(すくな ななか)。
二歳年下の中学一年生たち。だが、彼らだけが、ユイにとって心の支えだった。誰ひとり、彼女があの事件の「櫛名田博士の娘」であることを理由に距離を取ったりはしなかった。
ユイの頬に、かすかに微笑みが浮かぶ。閉ざされた記憶の隙間に、わずかに光が射し込んだようだった。
◇
春めいた風が街を包む日曜の午後。駅前の喧騒を抜けた先にある小さな公園に、ユイは足を踏み入れた。
目に入ったのは、木陰のベンチに腰掛け、絵本を開く小柄な後ろ姿。
──国立陽翔。ハルト。
少年の傍には、数人の同級生らしき少年たちが立っていた。
「ハハ、こいつまた絵本読んでるよ。ガキかよ」
「妖精とお友達なんだって〜、すげーな!」
「ほっとけって。ゲーセン行こうぜ」
ユイは足を止めた。ハルトは何か言い返そうとしたが、唇を結び、言葉を飲み込んだまま下を向いた。少年たちは笑いながら立ち去っていく。
ユイはそっと近づいて、ベンチの横に腰を下ろす。
「……いい本だね、それ」
ハルトは驚いたように顔を上げた。目元は赤く、泣いていないものの、こらえているのがわかった。
「ユ、ユイ姉……」
「『星のつばさをもつ子』。挿絵が綺麗だよね。月に帰るシーンとか……ちょっと切なくて」
ユイは絵本のページを覗き込みながら、さりげなく話しかけた。
「ねえ、もしこの物語の中に“入れる”ゲームがあったら、やってみたい?」
「え……?」
「ほんとにあるんだよ。私の家で、ちょっとだけ試せるんだけど──」
そのときだった。通学路の方から、バタバタと駆けてくる足音が聞こえてきた。
「ふぎゃっ!」
歪んだ叫びとともに、ロリータ調のスカートが舞う。ベンチの前に、少女が転がり込んだ。
──少名菜々香。ナナ。
長いブロンドの髪と、サファイアブルーの瞳。まるで人形のような風貌の彼女が、膝を擦りむいて地面に座り込んでいた。
「ちょっとハルト! あんたでしょ、公園の入り口にペットボトル捨てたの! それ踏んで転んだんだから!」
「えっ……ぼ、僕じゃないよ……!」
ナナは怒ったように睨みつけたが、すぐに視線を逸らす。その目は赤く充血していて、頬には涙の痕が微かに残っていた。
「……ナナちゃん、何かあったの?」
ユイがそっと尋ねると、ナナはうつむいたまま、かすかに首を振った。
「ちょっと……家で喧嘩しただけ。たいしたことじゃないの」
震える声でそう答えたナナに、ユイは柔らかく微笑む。
「じゃあ、気分転換にゲームでもしない? 物語の中に入れる、不思議なやつ」
「……ほんとに、あるの?」
「ほんと。ハルトも一緒に」
ナナは驚いたようにハルトを見つめ、それから小さく頷いた。
◇
三人がベンチで談笑していると、銀縁の眼鏡をかけた少年が現れた。整った姿勢と鋭い視線が印象的な──八意廉理。レン。
「レン!」
ハルトが手を振って呼びかけるが、レンは小さく目を細めただけで、ため息をついた。
「どうしたの、レンくん」
ユイが声をかけると、レンは少し沈んだ表情で言った。
「友人と口論になった。価値観の違いってやつ……まあ、無駄な議論だったよ」
その声には諦めが混じっていた。ユイは頷いて言う。
「じゃあ、一緒に気晴らししない? 面白いゲームがあるの」
レンは目を瞬かせたが、やがて無言のまま頷いた。
こうして、四人の子どもたちは、それぞれの想いを抱えながら──ユイの家へと向かった。
ユイの家は、古びた住宅街の一角に静かに佇んでいた。門の塗装は剥がれかけ、ポストには投函されたままのチラシが数枚残っている。
だが、玄関をくぐり中に足を踏み入れると、外観とはまるで異なる、冷たく整然とした空気が迎えてくる。玄関から続く白い廊下の先、半地下へと続くガラス扉の向こうに、かつて研究所だった面影が残る部屋があった。
「……すごい、なんか……研究所みたい」
ナナが思わず呟く。レンは言葉を発さないまま、目だけで鋭く室内を観察していた。
ユイは無言のまま、階段を降り、三人をその部屋へ案内する。部屋の中央には、円形の装置と椅子、そして四つのヘッドマウント型端末が並んでいた。
ユイは棚から小さな金属ケースを取り出す。パカリと開くと、中には古びた接続カード──ニューラルログインパスポートが収められていた。
「これは、私の両親が開発した“試作機”。今はもう、どこにも存在しないはずのもの」
「……違法じゃないのか?」
レンが警戒心を隠さずに問いかける。
「大丈夫、バレたりなんかしないから。」そう言ってユイはいたずらなウィンクで誤魔化した。
ユイは端末にニューラルログインパスポートを差し込み、起動プロトコルを走らせる。すると、装置が低く唸り始め、部屋の天井に青白い光が広がった。
《意識同期システム起動──ONIRIS再構成サブ空間》《メタバース・セーフティパラメータ確認中……》
「ほんとに……入れるの?」
ハルトが呟くように尋ねる。
「大丈夫。私も、何度か試してるから」
ユイの言葉に三人は無言で頷き、各々の端末を装着した。
意識が、光の深みへと引き込まれていく。
◇
次に目を開けたとき、四人は草原の丘の上に立っていた。風が髪をなで、遠くには金色の麦畑が揺れている。
「ここは……」
「“星のつばさをもつ子”の世界……だと思う」
ハルトがそう呟いた。
だがその瞬間、空気が不穏に震えた。どこからか、電子音のようなノイズが響いてくる。
次の瞬間、丘の上に、ひとりの少女が現れた。
氷のような白銀のロングヘア、無機質なルビーの瞳。全身を覆うメタリックな漆黒のスーツには紫のネオンラインが走っている。
「最適化プロセスを開始」
その声は、感情を感じさせない合成音のようだった。
少女の右手が変形し、レーザー状の光の剣が形成される。
「危ない、避けて!」
ユイが叫ぶと同時に、少女が一閃。地面が裂けるような衝撃が走る。四人はなんとか横へと跳び、攻撃をかわした。
「いきなり……なんだよこいつ!」
レンが歯を食いしばる。
「私は調整者。コード“KNT-A666”──地祇石(ちぎいし)かなた」
少女──かなたは、再び右手に剣を構えた。
「不穏因子となる感情の揺らぎを検出。論理を阻害する非合理的要素を排除する」
その時だった。
《管理者権限の執行を確認──執行者コード“P.DRA-00X”。新規エージェント生成を開始します》
空が割れ、光の奔流が降り注ぐ。その中心に、ひとつの巨大な卵型カプセルが出現した。
卵は静かに割れ、中からひとりの少女が現れる。
桃色のツインテール、黒いドラゴンの角、小さなこうもり型の翼。白いキャミソール。長く垂らしたもみあげの先には、ハートに白い翼を模した髪飾りがついている。
「……ぽんっと? ここ、どこ……? ぺどらは、ぺどらなの、りん……?」
卵から現れた少女──ぺどらは、自分の手のひらを見つめながら呟いた。
「管理者権限……一体何故?——危険因子と判断。排除する。」
かなたが動く。剣を構えて、一直線にぺどらへと向かう。
「りんっ!? ぽんっと──!」
ぺどらは驚きの声を上げ、スカートの裾から不思議な卵を取り出して、かなたの攻撃を防ぐ。卵が割れ、中から翼と蛇の意匠が施された杖が現れた。
それを握った瞬間、杖が光を放ち、空間に転送プロトコルが走る。
「まさか……それは“カドゥケウス”! なぜ管理者の鍵が……お前に……!」
かなたの動きが一瞬止まる。その隙を逃さず、ぺどらは杖を掲げて空間に歪みを生じさせる。
「今のうちに私たちも行こう!」
ユイが叫び、四人が駆け出す。ぺどらの生成した転送フィールドに飛び込むように身を投じた。
空間が光に包まれ、彼らの姿が掻き消える。
ぺどらと子どもたちは、新たな物語世界へと飛ばされた。
──これは、私が始めた物語じゃない。 でも、きっともう……止められない。
ユイは光の中、強くそう思った。
(第一章 了)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます