第9話 それでも愛する両親へ

「思い出せない」という痛みが、じわじわと現実を侵食してくる。

少しずつ、記憶がつながりはじめた結志。

今回は、失われた時間を追いかけて“実家”へ戻ります。

写真と手紙、そして──衝撃の事実が彼を襲います。



気がつくと、俺は自分の部屋にいた。


……あれ?

昨日のことが、少しだけ――思い出せる。


全部じゃない。けれど、枕元のメモ帳をめくった瞬間、バラバラだった言葉が“点”になって繋がりはじめた。


「……そうか。記憶って、全部が消えるわけじゃないんだ」


思い出せなかったはずの両親の顔が、ふっと浮かぶ。

その瞬間、吐き気が込み上げ、床に手をついて堪える。


肝心なことが……どうしても、思い出せない。

電話が鳴って、何かが起きて、俺は実家に向かった。そこまでは確かに覚えてる。だけど――


「……くそっ」


小さく、床を叩いた。

でも、わかったんだ。

“忘れた”んじゃない。

“定着できなかった”だけなんだと。


そう思えたとき、ノート4ページ目にあった手紙の意味が、ほんの少しだけ掴めた気がした。


──もう一度、実家に行こう。

両親の“思い出”に触れたくなった。

それが、記憶を取り戻す鍵になる気がした。


久々に訪れた実家は、まるで空き家のように寂しかった。

でも、その空気には、確かに懐かしさがあった。


引き出しの奥に、家族写真の束を見つけた。


「うわ……俺、鼻水垂らしすぎだろ……」


幼い頃の俺。釣り竿を握って笑う写真。

母に抱かれて眠っている赤ん坊の俺。

花畑でピースしている俺。

車の中で豪快によだれ垂らして寝てる俺。


ページをめくるごとに、記憶が“現実”として胸に流れ込んでくる。


喧嘩した日、泣いた日、抱きしめてくれた両親――


胸がギュッと締めつけられた。


……ん?

写真が、成人式以降は一枚もない。


そう思ったとき──チャイムが鳴った。


「こんにちは。あら、結志くん……?」


近所の田中さんだった。

両親と仲がよく、ずっと実家を気にかけてくれていたという。


俺は、単刀直入に尋ねた。


「田中さん。僕……20歳から25歳までの記憶が、抜け落ちてるんです。

 そのあいだ、僕は……何をしていたんですか?」


田中さんの顔が、凍りついたように動かなくなる。


「……結志くん、その5年間……あなたは“意識不明”だったのよ。

 誰かに頭を殴られて……血まみれで倒れてたって……」


「……え……?」


時間が止まった。

思考も、言葉も、すべて。


ズキッと頭が痛み、呼吸がうまくできなくなる。

目の前がグラグラと揺れて、現実が崩れていく。


「……っ、く……う……」


膝が崩れ、床に倒れ込む。

そのまま、意識を手放した。


──


目が覚めたとき、俺は、静かに手紙を書いていた。

宛先は、両親。



『お父さん、お母さん。


 俺は、まだあなたたちを“愛してる”って言えるかはわからない。


 でも、それでも……

 もう一度、前を向こうと思ったよ。』



書き終えた手紙を、ほんの少し震える指で机の引き出しへとしまう。

その余韻だけが、静かに心に残っていた。



次回予告


第10話『空白の5年間』


命を落としかけた、あの夜――

そこにいたのは、たったひとり。親友“犀(さい)”だった。


目を覚ました日、最初に隣にいた男。

彼の存在が、物語の再スタートを告げる。


そして結志は、夢の実現と復讐を天秤にかけながら、

「信じる者」として、再び歩き出す。



最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

書いている途中、結志の「言えない気持ち」や「震える指」に、自分の過去と重なるような感覚がありました。


“思い出したくない記憶”と、“思い出せない大切な記憶”。

その境界で揺れる彼の姿を、これからも描いていけたらと思います。


次回、第10話『空白の5年間』。

いよいよ物語は、“過去と対峙する章”へと進みます。

どうか見届けてください。

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