誰も呼ばない名前
esquina
副題:喜びを口にするのが怖いあなたへ
「まだなの。名前も、まだ」
そう言った老女は、灯りを入れない提灯の前で、静かに笑った。
生まれるまでは話さない。
悪魔が、聞き耳を立てているから——
⸻
かつて名前を呼ぶ練習をしたことがあった。
けれどその子は、来なかった。
名前だけが、台所の隅に取り残された。
呼ばれなかった名前を弔うように、老女は提灯を消した。
一度も灯らなかった、あの命のために。
嫉妬深い悪魔に、見つからないように。
だから今度は、黙っている。
名前も、誕生も、未来も。
語らなければ、失わない。
信じなければ、壊れない。
⸻
沈黙の暗闇で息子の声がした。
「母さん、産まれたよ」
名前は、現実を含んで届いた。
その瞬間、老女はそっと提灯に火を入れた。
紙の内側で、柔らかな光が揺れる。
「もう、悪魔に居場所を知られてもいいわ」
「この子の名前を、私はずっと胸の中で、呼んでいたわ」
その小さな灯りは、柔らかい声のように闇を消した。
誰も呼ばない名前 esquina @esquina
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