第18話 匠と茜②
翌日、コーヒーを飲みながら、匠先生のコラボ動画を見ていた。
コラボの話も、顔出しの話も一切知らなくて、驚きと同時にショックだった。
なんと言っていいか分からなかったけど、『動画見たよ』とチャットを送った。
そしたら、『今から帰る』という返事が、すぐに来た。
そして、本当にすぐ帰ってきた。
もしかしたら、すぐそこまで来てたのかな。
「おはよう」
「おはよう」
「どうしたの?その顔!」
「ちょっと、殴られて」
拓海の口の横と目の横が紫色になって、腫れていた。
「なんで?」
「殴られるような事をしたんだ」
「だれに?」
そんな暴力をふるうような会社には、もう行かせられないよ。
「たっくんに」
「あ?」
変な声が出た。
「たっくんに?」
「ああ」
「あの、たっくん?」
「そう」
昨日のグータッチを思い出す。
「いつ?」
「昨日」
ますます分からない。
「なにしたの?」
聞きたくないけど、聞かなくちゃ。
「ごめん、茜、別れてほしい!」
拓海が頭を下げている。テレビの謝罪会見で見たことがある、完璧な角度のお辞儀だ。
「えっと」
混乱していて、言葉がでない。
黙ったまま、テーブルに戻って、座って、コーヒーを飲んだ。
何をしてるんだ、私は。
「とりあえず、座らない?」
拓海は向かいに座った。飲み物は出してあげられない。私、動けないから。
「で、どうして、たっくんが出てくるの?」
「職場に……好きな人が出来て……」
ちょっと、待って。好きな人ができてって、好きな人がいない人が言うセリフじゃない?
「その人は……たぶん、たっくんと付き合ってて……」
くらくらする。勇太君は匠くんが私一筋だって言ってたばっかりだよ?
「昨日、たっくんちに行って……それで……僕が匠先生って分かって……殴られて……茜のこと聞かれて……」
「なんで、私が出てくるの?」
「さあ……茜と別れたのかよ、って聞かれて……答えられなくて……」
もう、限界。
「ごめん、ちょっと一人にさせて」
そう言って、部屋に逃げた。ベッドに潜ってイルカのクッションを抱く。何分くらいそうしてたか分からないけど、意外と早かったと思う。イルカのクッションに「行ってくるね」とキスをした。
聞きたいことがあって、リビングに戻ったら、拓海はテーブルに向き合った姿そのままだった。
「聞いてもいい?」
拓海は肩をビクッと震わせた。
「好きな人って誰?」
「緑さんっていう、19歳の……」
「じゅーきゅー」
6時と7時の間……どうでもいい事を思い出してしまった。
「その子も拓海が好きなの?」
「ああ」
これ以上は聞かなくても分かる。
「最近、拓海が変わったって思ってたの。その子の影響なのかな」
「そうだと思う」
私が10年一緒にいても、引き出せてあげられなかった新しい一面を、その子はたったの……
「その子といると楽しいでしょ?」
「ああ」
「私といると疲れるでしょ」
「え、いや」
「本当のこと言っていいよ。私もずっと感じてたことだから」
「え……」
ちゃんと向き合ってこなかった罰だ。ずっと見て見ぬふりをしてきたから、今になってこんなに苦しい思いをしている。自業自得だ。
「真面目しか出来ないなんて、息苦しいよね」
「……」
「私、拓海といてもあんまり楽しくなかった」
「……」
「幸せだったと思う。ルーティン守って、規則正しい生活して、真面目って悪いことじゃないし、だけど……」
ああ、なんで。こんなところで涙が。
「ごめん」
「謝るのは私の方だよ。ずっと縛ってごめん」
「縛ってなんかない、けど……そんな風に思ってたの?」
「うん。拓海といても、楽しくない、ドキドキしないって思ってた」
「ショック」
「それ、言っちゃう?」
ちょっと笑った。
「私ね、知ってると思うけど、匠先生にずっと憧れてて、尊敬してたの」
「ああ」
「だから、付き合おうって言われて、本当に嬉しかった。好きでいてもらえるように努力してきたし、がっかりされないようにって、ずっと背伸びしてた」
「そうだったのか」
「いつの間にかそれが普通になっちゃって、もう手の抜き方分からなくなっちゃって困ってた。だから、最近の拓海見てて、なんか変わったな、いいなって思ってたの」
コーヒーを淹れ直そうと思って席を立った。
一日一杯って決めてたルーティンを早速、破ってみる。
「茜はすごいな。僕は、今言われてハッとしてるけど、分かってなかったよ」
「今はどう思う?同じ気持ちじゃない?」
「言っていいのかな」
「言っちゃいなよ」
「同感だ」
「「ははは」」
距離感を間違えていただけのことだ。気付くのに10年もかかったけど、こんな大事な事だからこそ、10年もかけないといけなかったのかも知れない。
尊敬と恋愛は違う。
憧れの人が好きな人とは限らない。
お代わりのコーヒーは、拓海の分もよそった。
「次の家、急いで探すから、もう少し使わせてくれる?」
「ああ、しばらくいいよ」
ブラックしか飲んでこなかったけど、初めて牛乳を入れてみた。
「今日の、コラボすごくよかったよ」
「ありがとう」
「緑さんと作ったの?」
「ああ」
「素敵な人っぽいね」
「ああ」
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