密偵
サーヴィアは煙管を口に咥え、煙を吸いこんだ。ゼムル草の芳香な香りが口に広がり、何ともいえない高揚感と幸福感が脳に伝わる。草の効力は強烈だった。
ベネリアルはベッドに寝転びながら、窓の外を眺める愛人を見つめていた。月の明かりがサーヴィアの白い肌を青く照らし、その髪を輝かしている。容姿に惹かれて近づいた訳では無いが、彼女は間違いなく魅力的だった。
「草のお味は如何です?」ベネリアルが言った。「最高級の品を取り寄せたのです」
「悪くない……最高だ」
「それは何より」とベネリアルは笑った。「ですが、用量はお守りください。吸いすぎると危険でございますので」
「わかっている」サーヴィアは思いっきり煙を吸い込むと、目を閉じて堪能した。「それにしても」快楽の渦の中で意識を保つ。「我が姪は予想以上に手強いな。外国や元老院の連中に揉まれて自信を失うとばかり思っていたのだが」
「ええ、陛下は幼きながらよくやっております。まるで先帝のように」
「……あれは兄よりも上かもしれん。このままだと、我々は終末の日まで野望を果たせん」そう言うと、サーヴィアは微かに笑った。「……まぁ、それもいいかもしれんが……今でも十分──」
「サーヴィア様らしくないですな、そんな弱音を吐かれるとは」表情は穏やかだったが、ベネリアルの目は真剣だった。「お忘れですか? 共に帝国を支配しようという約束を」
「もちろん、忘れてなどいない。だが……」
それを果たすには一つしかない。言葉にはしなかったが、それは明白だった。レンディアヌの暗殺。皇帝の座を得るにはそれしかない事は明らかだった。
太陽が全ての暗闇を照らすことができないように、どんなに暗い夜でも全く光がないわけではない。夜空に浮かぶ星の僅かな輝き。微かな心のざわめきがサーヴィアを揺るがしていた。
ベネリアルはそんな彼女の迷いを打ち消すかのように、彼女を包み込み、渦へと誘い込むのであった。
◇
アランは、詰所の椅子に深く腰を預け、背筋をひとつ鳴らした。窓から差し込む月明かりと、テーブルの燭台の炎が食べかけの黒パンと書きかけの報告書を照らしている。
書類に目を落としたまま、アランはペン先を止めた。扉の向こうから静かな足音が近づいてくる。夜間の巡回といえど、この時間に人影が現れることは珍しかった。慎重に顔を上げると、薄暗がりに紛れて細身の影が詰所に滑り込んできた。
「……誰だ」アランは低く呟いた。
影は一礼してから、そっと扉を閉める。そこに立っていたのは、密偵だった。表情は冷静だが、目の奥には鋭い光が宿っている。
「夜遅くに申し訳ありません」密偵は小声で言った。「情報の確認を」
「今日は定期報告の日ではない」アランはゆっくりと眉を上げる。「対象に変わった動きでも?」
密偵は頷いた。「左様です」と、書状をアランに手渡す。
アランは受け取った報告書に目を通した。
「ここのところ監視対象の邸宅にベネリアルが出入りしているようでございます」報告書を確認するアランに密偵は補足した。「夜遅くに邸宅を訪問し、朝日が出るまで滞在しているようです。恐らく逢引の類かと思いますが、念の為ご報告を」
「……ふむ」
ベネリアル──彼はタロディム帝時代に奴隷事業で財を成していた人物であり、ドーリンが即位し、奴隷制が違法となった際には事業を畳んで貿易業に鞍替えした。未だに奴隷を所有しているだとか、奴隷の売買を行っているだとか、私兵軍を隠しているだとか何かと黒い噂が絶えないが、真実は定かではない。そんな彼が“監視対象”に近づいている。ただの逢引かもしれないが、懸念すべき事案だ。
密偵は静かに立ち、アランの指示を待った。二人の間に言葉は少ないが、沈黙の中には緊張が漂う。アランの視線は書類から密偵へと移った。
「リリアント様に報せる」アランは低く命じる。「監視を続行し、異常があれば即座に知らせろ。報告は今後も全て私を通せ」
密偵は深く頭を下げた。「承知しました。万全を期します」
出ていく密偵。
アランは窓の外に視線を移した。夜の帝都は静かだ。しかしその静けさは、嵐の前触れのようでもあった。
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