死すべき定め

 その日、レンディアヌは父の隣にいた。窓の外から差し込む太陽の光が二人を照らし、包みこんでいた。


 ドーリンは穏やかな表情で娘の寝顔を眺め、しわくちゃな手でレンディアヌの頭を撫でる。彼の老いた体は苦難に打ち勝ち、しばしの平穏を手に入れたのだ。


 暖かいレンディアヌの肌の感触、それから冷たい涙の跡。


 皇帝は微かに微笑み、娘の額にキスをする。その笑みには優しさと哀しみが籠もっていた。


「……すまんな」

 

 小さく呟くと、レンディアヌは寝相を僅かに変えた。ドーリンはもう一度、娘の髪を撫で、深く息を吐いた。



 寝室の扉が、きいと静かな音を立てて開いた。入ってきたのはスリンデルであった。


 ドーリンは、軽く手を上げて忠臣に合図をした。スリンデルはそれを了承と受け取り、ゆっくりと近づいた。


「やはり、ここにおりましたか」

 スリンデルはレンディアヌの姿を見ると、表情を緩ませた。

「朝から今まで?」


「昨日の夜からつきっきりでな。リリアントが窘めても、離れようとせんのだ」

 

「なんと」

 スリンデルは微かに笑った。

「陛下がお目覚めになったのが、さぞ嬉しいのでしょう」


「久しぶりに父親と話せたからな」


 微笑む皇帝。彼はレンディアヌの体に毛布を掛けた。


 娘を見つめるドーリン。しばらくして彼の皺だらけの顔に一筋の涙が流れる。スリンデルは、その涙を目にしたとき、思わず胸を突かれたような感覚に襲われた。


「……陛下」

 低く、それでいて敬意を込めた声を洩らす。


「すまぬ。これも老いのせいだ。昔と違ってすっかり弱くなった。心身ともにな」

 皇帝は涙を拭い、小さく息を吐いた。

「スリンデル、我が友よ。私が病を告げられたときのことを覚えているか?」


「覚えておりますとも。あれは百歳の誕生日の日。陛下の病が神官から告げられた時、陛下は泣き喚く私を慰め、元気づけて下さいました。一番辛いお気持ちだったのは陛下ご自身だったというのに」


「そのようなこともあったな」

 皇帝は微かに笑った。

「あの時は正直、実感がなかった。まだ体は丈夫だし、老いなんて全く感じなかったからな……細かく病の詳細が知らされても、私は恐れなかった。その時が来たら私は古の先祖のように老いて神の国に旅立つのだと、妙な高揚感と優越感があった。しかし、時が流れ、いざその時が近づきつつあるのを実感した今、私はとてつもない恐怖に襲われている。サーヴェのもとへ逝くのには私は恵まれすぎたのだ。妻や娘、それから友にな……それらと別れなければならないという現実が、私の覚悟を揺らし、悩ませるのだ」


 ドーリンは窓から見える空を見つめた。


「……その昔、我らが老いて死すべき定めの人間であった頃、死者は家族や友人に弔われ、あの世での再会を約束して黄泉の国へと旅立った。死は、たしかに哀しみを伴うものではあったが、それは一時の別れであった。生き残った者は涙を流し、やがて己も寿命を終えて、あの世で再会を果たす……それが普通の考えであり、死者と残された者にとっての希望であった。だが、私にはそれが許されない」


 ドーリンの声は震え、しわだらけの拳が毛布を握りしめた。


「私は永遠に一人でおらねばならぬ。世界が終わるその日まで。私が旅立ったら、この子は私を二度と見ることはできぬ。私の声も姿も、娘にとっては記憶の中の存在となる。それも、途方もない長い年月を生きてゆく中で薄れゆき、やがて消え去るであろう。……人の時代にあった『また会える』という死者への慰めすら、私にはないのだ」


 ドーリンは細かく肩を震わせた。


「スリンデル……私は……まだ共にいたいのだ……お前や家族達と」


 今度は止めどなく涙を流した。スリンデルは慰めることができない自分に無力感を感じつつ友と共に静かに泣いた。


 その時、レンディアヌは寝息を立てたまま、父の手を握っていた。その力は優しく、その寝顔はとても穏やかだった。



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