第29話 約束の再会

 城門を越えた先、白い雪がしんしんと舞っていた。

 朝の光はまだ淡く、吐く息は白く溶けていく。その冷たさは、宵の頬を優しく撫でるが、心の奥には、これから訪れる温かい再会への予感が満ちていた。

 雪の結晶が、宵の白銀の髪に舞い降り、きらきらと輝いている。


 その雪景色の中に――彼がいた。


 王都の喧騒を背に、ただ一人、宵を待つ桂火の姿。彼の存在は周囲の全てを霞ませるほど、宵の目に強く焼き付いた。


 桂火は庵から歩いてきたのだろう。

 衣は雪に濡れ、肩にも髪にも白い粉が積もっている。

 それでも、彼の瞳はひとつの場所だけを見つめていた。

 門を出てきた宵へと。

 その視線は、周囲の雪景色や、王宮の威圧感すらも霞ませるほど、まっすぐで揺るぎない。

 彼の琥珀色の瞳は、宵の姿を捉えると、微かに安堵の色を浮かべた。

 宵は足を止め、しばらくその姿を見つめるだけ。

 彼の姿は、まるで夢にまで見た幻が、現実となって目の前に現れたかのように見える。

 胸の奥に溢れる感情が言葉にならず、声を出そうとしても喉が震えてきた。

 喜び、安堵、そしてこれまでの全ての苦しみが、一気に込み上げてくる。

 三年間耐え忍んだ孤独と、庵で得た温もりの全てが、この瞬間に収斂されていくかのようだった。


 ――けれど。


 桂火がゆっくりと口を開いた。

 彼の唇から紡がれたのは、たった数文字。

 しかし宵にとっては何よりも重い、温かい言葉だった。

 その声は、雪の静寂に吸い込まれるように、しかし宵の心には深く響いた。


「……おかえり」


 宵の視界が滲む。

 熱い涙が、瞳いっぱいに広がり、雪景色を歪ませる。

 その言葉を、どれほど待ち望んでいたのだろう?

 王宮では決して与えられなかった、ただ人としての、無条件の『帰る場所』が、今、目の前に差し出されたのだ。

 その一言が、宵の心を、過去の全ての傷から解き放つかのようだった。

 堪えきれず、宵は震える声を返した。

 その声は、嗚咽に混じり、雪の冷たさに消えそうだった。


「本当に、私……帰ってきていいのでしょうか?何も守れなくて……王妃として、子も授かれず……神子としても、国に加護をもたらすことができなくて……」


 嗚咽混じりの言葉が、雪の冷たさに消えていく。

 過去の失敗と、自分を責める言葉が、止めどなく溢れ出す。

 彼女の心に刻まれた、深く冷たい傷跡が、再び疼いているかのように。

 その傷は、彼女が背負ってきた重荷の全てを物語っていた。

 桂火は一歩近づき、その声を遮らずに受け止めた。

 そして、宵の瞳をまっすぐに見つめ、揺るぎない言葉を紡ぐ。

 彼の琥珀色の瞳は、宵の涙を静かに映しながらも、確かな光を宿していた。


「それでも。あんたは俺にとってはただの『宵』と言う女だ。それ以上でも、それ以下でもねぇ。あんたがここにいる、それだけでいいんだ……俺にとって、あんたはあんたでしかない。他の誰でもない、宵というあんた自身が、俺の隣にいてくれることが、何よりも大切なんだ」


 その言葉は、宵の心を深く、深く揺さぶった。

 王宮で『器』として、故郷で役目を終えた『者』として扱われてきた宵にとって、その無条件の肯定は何よりも大きな救いだった。

 彼女の存在意義を、誰かの都合や役割ではなく、ただ宵である事そのものに置いてくれる言葉。

 それは、彼女がどれほど渇望していたかを知る、真実の響きだった。

 宵は涙を拭いもせず、まっすぐに彼を見つめた。

 その瞳には、過去の悲しみと、今、芽生え始めた確かな希望が混じり合っていた。

 彼女の心に、新たな光が満ちていくのを感じた。


「……私、やっと分かったんです。私は必要とされるためじゃなく……並んで歩くために、生きたいんです。誰かに従うのではなく、誰かと共に、同じ景色を見て、同じ道を歩きたい。桂火さんと、鈴羽ちゃんと……」


 桂火の口元に、穏やかな笑みが浮かぶ。

 その笑顔は、雪の白さにも負けないほど清らかで、宵の心を温かく包み込んだ。

 彼の瞳は、宵の言葉を全て受け止め、その決意を静かに称えているようだった。


「……俺は、あんたの隣を、ずっと歩いていきたい。どんな道でも、どんな困難があっても、決して離さず、共に歩もう」


 その言葉に、宵の頬を新しい涙が伝る。

 それは、悲しみでも、絶望でもない。

 心の奥底から湧き上がる、温かい、幸福の涙だった。

 彼女は深く息を吸い、そして初めて、心の底から頷いた。

 その頷きは、彼女の魂の全てを込めた、確かな誓いだった。


「はい……私も、あなたと並んで歩きたい。どこまでも、あなたと共に……」


 雪が舞う朝――二人の間に交わされたのは、王族間の契約でも、神への誓約でもない。


 それは、過去の全てを乗り越え、ただひとりの女と、ひとりの男が、互いの存在を真に認め、共に未来を歩むと決めた――静かで、確かな約束。

 その約束は、降り積もる雪のように清らかで、しかし、何よりも強固な絆を、二人の間に結びつけたのである。


 彼らの足跡は、雪の上に、二つの線となって、未来へと伸びていた。

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