第21話 再び王宮へ

 数日後――宵は一人、暁国へと向かう道を歩いていた。

 庵を出る朝、鈴羽が宵の衣の裾を不安げに掴む。

 その小さな手は、まるで宵を引き止めようとするかのように、必死だった。


「おねえさま、行っちゃうの? もう、帰ってこないの?」

「ええ、でも、またすぐに戻ってくるわ。桂火さんと、鈴羽ちゃんのところにね。だから、いい子で待っていてちょうだい」


 宵は鈴羽の頭を優しく撫でる。

 桂火は黙って宵の荷物を背負い、その琥珀色の瞳で宵をじっと見つめた。


「無理はするな。辛くなったら、いつでも戻ってこい」


 彼の言葉に、宵は小さく頷いた。

 その言葉は、彼女にとって何よりも心強い支えだった。


「はい。桂火さんも、鈴羽ちゃんを、お願いしますね。寂しい思いをさせないでくださいよ?」

「当たり前だろう……気を付けて行けよ、宵」

「はい、ありがとうございます」


 二人の温かい眼差しに見送られ、宵は自ら選んだ道を踏み出す。

 その足取りは、過去の重荷を振り払い、新たな未来へと向かうかのように、確かな意志に満ちていた。

 一歩一歩が、過去との決別と、新しい未来への確信を刻み込むかのようであった。


 神子衣ではなく、旅衣に羽織を重ねたその姿は、簡素ながらも凛としていた。

 白銀の髪は高く結い上げられ、かつての柔らかさではなく、確かな芯のある雰囲気を纏っている。

 その瞳には、もはや過去の痛みや絶望の影はなく、静かで揺るぎない光が宿っている。

 それは、庵での日々が彼女にもたらした、内なる強さの証。

 風が吹くたびに、羽織の裾がはためき、彼女の決意を物語っているかのようだった。

 その姿は、かつて王宮で冷遇され、影のように生きていた神子の面影を完全に払拭していた。


 暁国の王都が近づくにつれ、人々のざわめきが大きくなる。

 城門をくぐり、王宮へと続く道を歩く宵の姿は、周囲の目を引く――彼女の存在は、まるで静かな波紋のように、宮人たちの間に広がっていく。

 嘗てて彼女を冷遇し、その存在を無視してきた者たちが、今、彼女の変貌に息をのんでいた。

 その視線には、驚愕、困惑、そして微かな後悔の念が混じり合っていた。

 王宮の廊下を歩く宵を見た宮人たちは、息を呑む。

 影のようにひっそりと生きていた神子の姿は、そこにはなく、彼女の纏う空気は、以前とは全く異なっていた。

 それは、単なる外見の変化に留まらず、内面から発せられる確固たる意志の顕れであった。


「まるで……別人のようだ……あの、地味で目立たなかった神子様が……」


 ある女官が、思わずといった風に呟いた。

 その声は、驚きと、そして微かな畏怖を含んでいた。

 彼女の隣にいた別の女官も、震える手で口元を覆った。


「いや……もしかしたら、この国の『妃』になって、帰ってきたのかもしれない……あの気配は、尋常ではないわ」


 別の者が、震える声で囁く――彼らの瞳には、かつて蔑んだ神子への後悔と、今、彼女が放つただならぬ気配への戸惑いが浮かんでいた。

 彼らは、宵の背中に、かつては感じられなかった威厳と、抗いがたい力を感じ取っていた。

 その力は、神子としての加護とは異なる、人間としての確固たる存在感であった。

 宵は、そんな宮人たちの視線や囁きに、表情を変えることなく、ただ静かに王宮の奥へと歩を進める。

 彼女の足音は、かつての王宮の冷たい床に吸い込まれるように静かだったが、その一歩一歩には、確かな意志が宿っていた。

 その歩みは、彼女がもはや誰の支配下にもないことを、無言で示しているかのようだ。

 彼女の存在は、王宮の古き秩序に、静かなる波紋を投げかけていた。


(私は、もう誰の命令でも、誰の都合でも、ここに戻ってきたのではない……これは、私自身の意志だ)


 彼女の胸の奥には、庵で得た温もりと、桂火と鈴羽との約束が、確かな光として灯っている。

 そして、過去を清算し、自らの意志で未来を切り開くという、揺るぎない決意が。

 その決意が、彼女の全身を貫き、凛としたオーラを放っていた。

 彼女の存在そのものが、新たな時代の到来を告げるかのようであった。


 王宮の奥、明照の待つ場所へ――宵の瞳は、ただ真っすぐに、その先を見据えていた。


 彼女の心は、もはや過去の傷に囚われることはなく、彼女の視線の先には、過去の清算と、自ら選び取る未来のみが存在していた。

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