第22話 囁かれる噂
宮中では、宵が王宮に戻ったという噂が、瞬く間に飛び交った。
その報せは、まるで乾いた大地に火が走るかのように、宮の隅々まで広がり、人々の間に波紋を広げた。
「まさか、あの神子様が戻られるなんて……子を成せぬと追放されたはずなのに、一体どういうことだ?」
「いや、見たか?あの凛としたお姿……かつての妃とは思えぬ威厳だ。まるで、別人のようだ。一体、この数年の間に何があったというのだ?」
宮人たちは、好奇と畏怖の入り混じった視線で、ひそひそと囁き合う。
彼らの声には、かつて宵を蔑んだ傲慢さはなく、ただ困惑と、そして得体の知れない気配への警戒が混じっていた。
その噂は、側室である澪音の耳にも、すぐに届いた。
(あの役立たずが、なぜ今さら……この私が築き上げてきた全てを、あの女が壊すというのか!?ありえない!)
澪音の胸には、焦りと、そして得体の知れない不安が広がる。
その不安は、まるで冷たい蛇のように彼女の胸を締め付け、呼吸を浅くさせた。彼女は、自室の窓から、神殿の方向を睨みつけた。
その瞳には、憎悪と、そして微かな恐怖が宿っていた。
(何を企んでいるのかしら……まさか、本当に神の加護を取り戻したとでもいうの? そんな馬鹿な話があるはずがないわ!)
澪音の考えている事など知らず、宵は、かつて自身が祈りを捧げた離宮の社ではなく、王宮の中心に位置する大いなる神殿を訪れた。
そこは、神子の不在により久しく閉ざされ、香も灯も途絶えていた場所だ。
埃が積もり、冷たい空気が淀んでいる。
神官たちは、彼女の突然の訪問に戸惑い、制止の声を上げたが、宵はそれを無視し、静かに神殿の奥へと進んだ。
その足取りには、迷いが微塵もなかった。彼女の纏う空気は、神官たちの畏怖を誘い、誰も彼女の行く手を阻むことはできなかった。
そして、中央に置かれた祈りの灯台に、自らの手で一つ、灯を灯す。
瞬間、沈黙していた神殿全体に、古来より伝わる清らかな香が再び立ち昇った。
それは、長年閉ざされていた神殿に、再び生命の息吹が吹き込まれたかのようであった。
天窓から一条の光が差し込み、光は、埃を舞い上げながら、宵の立つ場所に降り注ぎ――その光は、まるで神の祝福が再びこの地に降り注いだかのようであった。
神殿の壁に飾られた古い絵画が、光を受けて鮮やかに浮かび上がり、色褪せていたはずの祭壇が、微かに輝きを取り戻した。
「まさか……神の加護が、戻ったとでもいうのか?この国に、再び神の恩寵が!」
神官たちがざわめく中、元侍女頭は、その光景に息を呑む。
彼女の目に、熱いものが滲む――かつて宵に仕え、彼女の孤独と、誰にも届かぬ祈りを知っていた侍女頭は、この奇跡のような光景に、胸を震わせていた。
彼女は、宵がどれほどの苦難を乗り越えてきたかを知っていたからこそ、この光景に深い感動を覚えていた。
「いいえ……戻ってきたのは、加護などではない。あれは、彼女自身の『意志』が、神に届いた証なのだ!神子の祈りが、真に届いた証……神に命じられたのではなく、自らの心から生まれた祈りが、奇跡を起こしたのだわ!」
元侍女頭は、そっと涙を拭いながら、震える声で呟いた。
その言葉は、神殿に満ちるざわめきの中でも、確かな響きを持っている。
神官たちは、その言葉に、驚きとそして新たな畏敬の念を抱き始めた。
彼らの心には、かつて宵を蔑んだことへの後悔と、彼女の真の力への畏怖が、同時に芽生えていた。
その光景は、遠くから見ていた澪音の目にも、はっきりと映っていた。
神殿全体を包み込む柔らかな光と、その中心に立つ宵の姿――その姿は、澪音が知る、あの地味で目立たなかった、そして蔑んできたはずの神子とは、あまりにもかけ離れている。
彼女の心に、冷たい氷が張っていくのを感じた。
(嘘……そんなはずは…・・あの役立たずがなぜ、こんな力を……私が手に入れたはずの全てが……この宮の、王太子の隣の座は、私のものだったはずなのに!)
澪音の顔から血の気が失せ、その場に立ち尽くすしかなかった。
彼女の心の中で、これまで築き上げてきた優越感が、音を立てて崩れ去っていくのを感じ、それは、彼女の計算を遥かに超えた、宵の『真の力』の顕現であった。
彼女の野望は、今、目の前で静かに、しかし確実に打ち砕かれた。
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