第1話 悩める聖剣・ヴァレンダール(人型)

 辺境の大地を見下ろす小高い丘の頂に、圧倒的な存在感を放つ一本の巨大なにれの木が、悠久の時を刻みながら佇んでいた。胴回り七メートル、樹高十メートル、枝張りは四十メートルを超え、樹齢は八百年を優に超える古木――その威容は、まるで世界を見守る巨人のようにそびえ立っていた。(※1)

 

 春の柔らかな陽光が木漏れ日を地面に落としている。根元に横たわるのは、白い長衣をまとった二十歳ほどの銀髪の若者だった。腰まで届くまっすぐな銀髪を背中で束ね、銀灰色の鋭い瞳で、枝葉の隙間から覗く空を睨みつけていた。


 その名はヴァレンダール。――創造神が自らの手で鍛え上げた、伝説の聖剣である。

 この村の守り精霊たる楡の木を仮の住処とし、勇者が力に目覚めるその日まで、影のように見守り続けてきた。

 本来の姿は、常人では持ち上げることすら叶わぬ、巨大な両手剣。だが今は人型を保ち、冷たく輝く瞳に、抑えきれぬ苛立ちを宿している。


 彼の使命は神に認められた勇者に仕え、共に戦い、人に害をなす魔物を打ち破ること。


 そしてもう一つ、ことだ。


 勇者は普通の人間では到達することができないほどの強大な力を神から与えられる。しかし、勇者も元は人間。悪鬼や獰猛な魔獣を倒し、名声を得たとたんに志を変えて富や美女を得ようと品格を落とす者たちがいる。


 それだけならまだしも、己が勇者であることを盾に、気に入らない他者を殺めようとするものすら出る始末。


 そのような変化を遂げた勇者を彼はこれまでに二人、闇に葬って来た。勇者を普通の人間が倒すことは不可能なほど強い。だから、彼が始末をつけなければならないのだ。


 いつしか、彼は「勇者殺しの聖剣グラデール オムシーダ」と呼ばれるようになった。


 そして。三人目の勇者候補カレン・バーラルがこの村に生まれ、ヴァレンダールは楡の木陰から彼女をずっと見守ってきた。候補であるのはまだ十六歳の少女だからで、正式に勇者として覚醒するのは十七歳の誕生日からだ。


 しかし、ヴァレンダールは不吉な予感に心を痛めていた。

 カレンの素行が悪すぎるのだ。 


 十六歳の少女でありながら、村と近隣の男たちを十人以上も手下に従え、日々貢物を巻き上げ、気に入らない娘には容赦ない嫌がらせを命じる――それはもはや、悪意の才能としか言いようがなかった。

 平凡な両親は、娘が「美しく聡明で清楚」と信じて疑わない。村人たちもまた、彼女を聖女のごとく崇め奉る。


(あの娘は、幼い頃から人を操ることに長けていた。手を汚さず、恐喝、窃盗、傷害、執拗な嫌がらせ……数え上げればきりがない。それでいて、誰も彼女の本性に気づかぬ。人間とは、かくも愚かで脆いものか)


 ヴァレンダールは眉間に深く皺を刻んだ。

 これまでの勇者たちは、少なくとも最初は高潔だった。恵まれた肉体、才覚、カリスマ、そして尊い志を抱いて戦った。だが平和が訪れると、欲望に堕ちた。


 神が選んだ三人目は、初めての女性。そして、勇者になる前から既に人の道を外れている。

 まだ殺人は犯していない。だが、もし彼女が誰かに殺意を抱いたなら――不吉な予感が、心臓を凍てつかせる。創造神は絶対だ。神を疑うなど、ヴァレンダールには許されない。だからこそ、彼は自分を責めるしかない。


(私は人間が嫌いだ。それでも、もうこれ以上……共に戦い、苦難を分かち合った勇者を殺すのは、耐えられない。聖剣などと呼ばれる私の存在意義はどこにある? 人の堕落を止められぬなら、私はただの邪剣にすぎない。もしカレンを殺さねばならなくなったとき――私も共に滅びよう)


 銀灰の瞳に、静かな決意が宿った。



 ――王都から遠く離れた辺境ベルガー村――


「カレンさん、今日も本当に綺麗……!」

「気品が溢れてて……もう、憧れちゃいます……」


 明日で十七歳になるカレン・バーラルは、通りを歩くだけで人目を引く美少女だった。艶やかでまっすぐなロングの黒髪をハーフアップにし、大きな黒い瞳にクルンと上を向いた長いまつ毛は愛らしく、淡い桜色の小さな唇にはいつも優しい笑みを浮かべている。


 華奢な身体に小花模様のワンピースと絹張りの赤い靴がとても似合う。カレンはセンスもよく、しとやかな仕草と愛らしい声と穏やかな性格で多くの村人に好かれていた。


 ただし、それは表向きだけ。カレンが生まれたときから、固有のスキル: 監視モニトリーでずっと傍で見守って来たヴァレンダールだけはカレンの本性を見抜いていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 カレンは村のはずれの小高い丘の頂上にある大きな楡の木の下で村の若い男三人と会っていた。


「じゃあ、ルッチ。今週の贈り物ちょうだい」

 村の中を歩いていたときの優し気な表情から一変し、カレンはもともとの性格である意地悪な本性を露わにした顔で言った。


「す、すいません、今日はこれで――」

 おどおどしながら十三歳の少年・ルッチは青い勿忘草わすれなぐさの花冠を差し出した。


「何これ。そのへんに咲いてるやつじゃない。食べられもしないし。ばっかじゃないの? そんなんじゃあ、あんたの小さな妹たちになにか悪いことが起こっても仕方ないわね」


 カレンはその花冠に指を入れてクルクル回した後、遠くへ放り投げてしまった。


「そんな……、その花が好きだって言ってて、すごく綺麗にできたのに――。妹たちは……勘弁してください! 今週は父さんがケガしてて身入りがほとんどなかったんです」

 

 ルッチはオロオロしながら頭を下げた。

 くたびれた、ツギハギだらけの服を着た貧しい少年には、カレンが要求する薔薇の髪飾りのような高価な貢物などできるはずがない。それをカレンは知りながらルッチに無茶な要求をしていた。その理由は、彼の泣き顔が情けなくておもしろい。ただそれだけだ。


「その花が好き? そんなの、嘘に決まってるじゃない。その方がウケがいいからよ。そうね……じゃあ罰として四つん這いになりなさい」


「え――?」

「ほら、早く! のろま野郎」


 男二人はカレンの後ろからニヤニヤと笑いながら見ている。ルッチは何をされるかわからない恐怖と羞恥で顔を赤く染めながら四つん這いになると、カレンは、どすん、と音を立ててルッチの背中に腰掛けた。


「い、痛っ」

「あー、低いし座り心地悪いわね。まあいいわ、今日はそのまま椅子になってなさい。で、あんたたち、うまくいった?」


 カレンはルッチの背中の上で足を組みながら聞いた。

 ルッチの顔が痛みに歪む。彼の下には小石が散らばっていて膝が傷ついていた。


(なんという女だ。少年を椅子代わりにするとは。他人に対して一切の尊重の心がない。これが勇者になるのか?)


 ヴァレンダールは、勇者候補には干渉は許されていない。今すぐ飛び出して、平手打ちを食らわせ、徹底的に叱りつけたい衝動に駆られるが――耐えるしかない。


「おうよ。あの女の背中に毛虫をこっそり入れてやったぜ。肩から喉まで真っ赤に腫れてたから明日はとても外には出られないな」

「もう一人の方は靴に錆びた釘を入れてやったからな。丸一日は歩けないさ」


「いいわね! あの子たち、ルクサスに色目使ってたんだもの。明日二年ぶりに帰って来るのに、あんな子たちがいたら感動的な再会にケチが付いちゃう。よくやったわ、お礼ははずむわよ」

「やったぜ」

 男二人は声を合わせて喜んだ。


 ルクサスはベルガー村で一番の美丈夫の二十二歳の青年で、カレンのお気に入りの男だった。明日はカレンの誕生日で、その日に二年間の修行を終えて帰ってくることで、カレンは自分のためだと思い込んでいた。恐らく大勢の村人たちの前でカレンにプロポーズをしてくれるのだろう、と。


 だが、ヴァレンダールは知っている。カレンの恋は実らない。

 そのことがどんな惨劇を招くか。ヴァレンダールの眉間の皺はますます深くなるばかりだった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

※1 この世界の単位はすべてメートル法に翻訳されています。


(作者注)エピソード丸ごとシリアスなのは第2話までです。第3話からはちょくちょくギャグパートが混ざります。


※2026/1/06日追記:ヴァレンダールの剣のイメージ画像を近況ノートに掲載しました。よかったら見てください。

https://kakuyomu.jp/users/yamabudoh/news/822139842642530570

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る