2 土屋詩杏

 保健室へ向かう途中の廊下で、女子生徒がうずくまっていた。

 確認するまでもなく後ろ姿で分かる。土屋詩杏つちやしあんだ。


「しぃちゃん」


 遠い親戚で幼馴染の関係である僕らが二人きりの時だけつかうあだ名で声をかけると、彼女はゆっくり顔をあげる。真っ白な顔色、額は汗ばみ黒髪が数本へばりついていた。


「あ、しぃくん……」

「なにしてんだ」

「全校集会に……行きたくて……」


 そこまでして行かないといけないものではないだろう。僕なんて参加不可だぞ。

 詩杏を立たせ保健室に連れて行く。まだ全校集会がとか呟いていたが、このまま参加したらぶっ倒れて迷惑をかけるだけだ。


「保健室は開いてる?」

「今はどうだろう……」


 怪我をした生徒がここまで行きつけるのか疑問に思う場所に、保健室はある。幸いドアは半開きで僕は中を覗いた。


「すいませーん」

「あら、小谷くん。どうしました?」


 養護教諭の湯沢先生がぱちくりと目を瞬かせながら僕を見た。そして後ろにいる詩杏を見て察したようだった。


「だから無理していかなくていいって言ったのに……」

「うう……」

「こいつこんな感じなのでベッド使っていいですか?」

「ベッドは構わないけど、これから私も全校集会に行くから誰もいなくなりますよ。それでもいいですか?」

「はい。なんかあったら呼びに来ます」

「そうしてください」


 よろしくね、と言い残して湯沢先生は出ていった。

 詩杏はここの常連客で、毎日迎えに来る僕もまた常連客みたいなものなので慣れてしまったのだろう。薬品は鍵のある棚に入っているし、湯沢先生がいないところで危ないことをする気もない。

 カーテンを引き、もそもそとベッドに横たわった詩杏は「うー」と呻いた。しばらく呻いたあと布団を少し下げて僕を見る。


「しぃくん、どうだった? クラス。大丈夫だった?」

「ダメだな。殺人犯確定みたいな雰囲気だし、佐々木に至っては微妙に迷惑そうだった」

「佐々木先生はね……。事なかれ主義だから……」

「ほとぼりが冷めるか犯人が捕まるかまであの空気は続くんだろうなぁ。やだな」

「やだね……」


 僕はスマホを取り出す。ニュースを見ようと思ったけど気分が乗らず、代わりにソーシャルゲームを開いた。


「あ、学業以外の目的でスマホを弄ってる。いけないんだ」

「世界を救うというやむを得ない使用だからセーフです」

「それゲームの話でしょ……」


 ぽちぽちとキャラクターを育成しているうちに、詩杏は眠ったようだった。結局無理をしていたらしい。

 ……彼女は、一年生の時はどうにか教室に通えていたが二年生に上がってすぐに彼女の唯一の肉親である祖母が亡くなり、それから人の多いところに行けなくなった。もともとにぎやかな場所が好きではない奴だが、更に悪くなったというか。

 事情が複雑なのだ。僕も、彼女も。


 ゲームに飽きて顔を上げる。もうじき1限が終わる時間だった。

 ぐるぐる周る秒針を眺めながら、江夏を思い出す。

 中学からの付き合いで、僕と詩杏の家庭事情をいつのまにか知っていた情報屋みたいな女子だった。人の粗を探すのが好きなタイプ、と言っても間違いではないか。

 雨の音を聞きながら、交わした言葉を思い返す。


『ねえ小谷くん、この学校に伝わる"おまじない"って知ってる?』


 知らない、と僕は答えた。

 七不思議や幽霊の話は聞けど"おまじない"なんて初めて聞いた。


『生贄を差し出すとね、誰かを蘇らせることが出来るんだって。反魂の儀ってやつね』

『……だからな、江夏。僕はオカルトに興味はないんだってば。部活で話せばいいじゃないか』

『あたしは小谷くんに聞きたいことがあるから言ってるの!』

『はぁ、そうすか』


 無邪気に、彼女は言う。



『小谷くんは家族を蘇らせることができるって言われたら、どうする?』



 あのあとあまり記憶にない。

 だけど「ふざけるな」と怒鳴ったことだけは覚えている。それから言い争いみたいなことをして、彼女の前から去った。

 それが江夏との最後の会話だ。


 あんな無遠慮な質問を繰り出すやつが僕に怒られたぐらいで自殺に走るだろうか。

 「詩杏ちゃんにも聞いてみていい?」とかいう無神経が新幹線に乗ってやって来たみたいな制御不能なあいつが、自殺するか?

 どうだろう。

 分からない。


 僕はただ安心したいだけだ。江夏の死に自分が関わっていないと思いたくて。

 だって、ひとの命を奪う行為に、自分は耐えきれる気がしない。あまりにひどい話だが、事故であってくれと願ってしまう。

 好奇心に引きずられた末の転落死でありますようにと。

 ――最低だ。


「加代子ちゃんのこと、考えているの?」


 いつのまにか起きていた詩杏がぼそりと呟く。


「全然考えてない」


 ふぅとため息を吐いて彼女は頭を押さえた。

 詩杏の前では嘘などすべてお見通しだ。そういう謎めいた体質だから。


「思いつめた顔してる。自分の中だけで考えて、答えを出そうとするのはしぃくんの悪い癖」


 むしろ詩杏のほうがひどいほうだろ。

 そう抗議しようとしたところで、保健室のドアが開く音がした。すっと口を閉ざし、彼女は布団にもぐり直す。詩杏は人の気配がすると口の開きが悪くなる。


「戻りました。何もなかったですか?」


 湯沢先生だ。無断でカーテンを開けるのはどうかと思う。


「今日はこれで学校はお終いで、生徒は完全下校です。土屋さん、帰れそう?」

「……はい」

「これから一気にみんな帰るでしょうし、時間をずらして帰ってもいいですよ」

「ありがとう、ございます」


 僕は立ち上がる。


「土屋。僕、教室戻ってカバン持ってくるよ。またここに来るから待ってて」

「今? まだ、みんな、いると思うけど……」

「僕は悪いことしていないからビクビクする必要はないだろう? 平気だよ」


 笑って見せたがそれでも心配そうな詩杏と湯沢先生を置いて、僕は保健室から出た。

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