3 放課後

 教室に入ると、帰る様子が全く見受けられないクラスメイト達がいた。

 意地で来ちゃったけどやっぱり時間ずらせばよかったな。「やるな」と言われるとやりたくなってしまうさががあるの、どうにかしたほうがいいかもしれない。

 静かに息をひそめて入ったはずなのにほんの数歩で注目の的となった。アイドルもこんな気分なんだろうか。

 カバンを背負い出ていこうとしたところで呼び止められた。


「ちょっと!」


 甲高い声。怒りを孕んだ声。ああ、いやだな。

 一時的にでもその声音を出した人間がまるで正しいと思わせられてしまう。

 そのまま無視しても良かっただろう。だけど反応してしまった。


「なに?」


 振り向くと、クラス委員の根岸だった。責任感が強くて二年連続クラス委員をしている。

 彼女の目が吊り上がっているのを見てめんどくさい話になると察し、やっぱり聞こえないふりして帰ればよかったと後悔した。


「なんでそんな平気な顔していられるの!? あんた、友達だったんでしょ!?」

「……」


 友達。そうだろうか。

 確かに江夏とは中学から一緒だったけれど、あんまり積極的には関わりたくなかったから友達といっていいかも分からない。

 

「……平気ではないけど」

「本当に!? 全然そう見えないけど!」

「ちょっともうやめなってエミ」

「そうだよ、落ち着いて」


 他の女子に止められているけど根岸は怒りが収まらないようだった。

 記憶にある限り江夏と根岸はそこまで深い関わりはないはずなんだけどな。正義感が暴走しているのかもしれない。

 それとも、恐怖を怒りに変えて誤魔化しているとか。


「あんたがなんか言ったから江夏さんが死んだんじゃないの!?」

「僕のせいだってこと?」


 思ったよりも低い声が喉から這いだす。

 しん、と。あたりが静まり返った。

 そこでようやく根岸は自分の過ちに気づいたようだ。

 ポケットに入れた僕の手が小刻みに震えている。どこか他人事のようにそれを知覚していた。


「それが君の意見なの? いや、の意見?」


 意外と冷静に周囲の顔を見回すことが出来た。誰も彼も面白いぐらいに固まっている。

 マズい! という表情だとか、興味津々な表情だとか、それぞれだった。

 当の根岸は真っ青な顔をしている。


「ちがっ……」

「違うなら、なんで――」


 そこまで言って僕は喉をぐっと押さえる。

 これ以上はもうだめだ。どうせ言いすぎて、あとからそのことを突かれるに決まっているんだから。

 この空間じゃ誰も弁護してくれないだろう。なら、軽率な言動を避けるほうが賢い。

 でも、これだけは言わせてほしかった。


「殺してないよ、僕は――誰も殺してない」


 根岸やクラスメイトへの弁明というよりかは、自分へ言い聞かせているような口調になってしまう。


「……もう帰っていい?」


 誰も返事してくれなかった。それはそうだろうな。むしろこの場の最適な返事なんてないのかもしれない。

 もしかしたら謝ってくるかなと思ったけれど、根岸は黙りこくったままだ。

 一秒もこの場にいたくなくて廊下に出ると他のクラスの生徒が詰めかけていた。もしかして廊下からやり取りを聞いていたのか?


 僕を見ると一斉に小声で身近な人に耳打ちしていく。

 「あれが」とか「噂の」とか断片的に聞こえてきたけれど、マシな内容はどこにも含まれていないという確信はあった。

 逃げるように足早に階段を下りる。


「最悪だ」


 ため息交じりに呟く。

 覚悟していたとはいえ、やはり直接言われるとクるものがある。


「最悪」


 強張った表情筋をほぐしながら、僕は詩杏を迎えに行った。



 おととい梅雨入りと発表されてからというものの、飽きもせず雨が降っている。

 さすがに三十分以上時間をずらしたためか昇降口に人はまばらだ。


「しぃくん」

「ん」


 傘の留め具を外す。この黒い折り畳み傘は姉さんからのプレゼントだ。

 詩杏のほうは濡れると柄が浮き出るミントグリーンの傘。あまり派手なものを好まないわりには、持つ小物は原色のものが多い。聞けば「無くしにくいから」らしい。そういうもんなのか。


「なんかクラスの人に言われた?」

「まあ……」


 あいまいに濁す。

 それだけでもう詩杏にはお見通しだろうな。僕らの付き合いは長い。


「江夏が……いや」


 根岸のあの発言は、僕以上に詩杏がダメージを食らうのではないか?

 言葉を止めた僕へ、彼女は首をかしげる。


「加代子ちゃんがどうしたの?」

「なんでもない。しぃちゃんには関係ないよ」

。関係あるんでしょう?」


 これも嘘認定なのか。

 詩杏のこの厄介な体質に出会った時から付き合わされているが、こういう気遣いですら無効化されてしまうのは互いにつらいな。

 彼女の目を見る。……これは引き下がらない顔だ。僕にだけは強気に出やがって。


「いいか、しぃちゃん。これはな、しぃちゃんに向けられた言葉ではないからな。それだけは分かってほしい」

「……もう嫌な予感がする」

「やめとく?」

「聞く」


 一呼吸置く。


「僕の発言のせいで死んだんじゃないかって」

「……。そっか……」


 僕から目をそらし、うつむく。

 だから言いたくなかったのに。その後頭部を見ながら独り言ちた。


 僕と詩杏には共通点がいくつかあって、もっとも共通してほしくないものがある。


 死因こそ違うが――両親が死んでいること。


 そこに至ってしまった原因が、自分の軽率な、ほんの一瞬我慢すればよかったはずの一言だ。

 僕はそれがきっかけで作文が書けなくなってしまったし、詩杏は過度に黙するようになってしまった。

 それがもう今更の後悔だとしても、だ。


 彼女は無意識に自分の首をきつく掴んだ。

 第一ボタンまで閉めたブラウスの下には黒いチョーカーがつけられている。校則自体は緩い学校なのでこの程度で目くじらを立てられたりはしないし、詩杏にとって大事なアイテムの一つでもあった。

 まるで首を絞めるような行為に、僕はもう何度も見てきたこともあって至極冷静にその手を叩いた。


「しぃちゃんのことじゃないって言っただろ」

「あ、うん……ごめん、しぃくん」


 自罰的すぎるのも考えものだな。彼女の家族のことを考えると、仕方ないことなのかもしれないけど。

 僕は彼女にかける言葉をさがす。でも気の利いたことは浮かばず、結局いつも通りの言葉になった。


「いっしょに帰ろ」

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