第六話「あなたはあなた②」
「もみじはね、とても良い子なんだ。」
榎木さんの声は、いつになく静かだった。
「はい、私もそう思います。」
即答した私に、榎木さんはゆっくりとうなずいた。そして、ふっと目線を遠くに投げる。
「でもね、あの子は……自分に妖怪の血が流れているってことを、苦しんでいるんだ。」
榎木さんの言葉に、私は胸がきゅっと締めつけられた。
「もみじはね、子どもながらに、自分が『ふつう』じゃないってことを理解してる。だからこそ、誰よりも“ふつう”に見られたがってるんだ。耳も尻尾も、隠そうとしてるのはそのため」
私は何も言えずに、ただ黙って聞いていた。
自分と重なる部分が、いくつもあった。
私も、家族の中で“いらない存在”だと感じてきた。母からの無関心。義父の目線。家の中にいても、そこにいないような日々。
“普通の家族”が羨ましかった。
“普通の子”になれたら、もっと愛してもらえたのかな――なんて、何度も思った。
もみじ君も、同じなのかな。
「もみじにとって、この旅館は安全な場所なんだ。けど……ほんの少しでも、人の目が変わるだけで、不安になるんだと思う。」
「それで、昨日のことがあって……きっと、怖くなったんですね。私が、驚いた顔をしてしまったから……」
「あ、違うんだよ、責めてるつもりはなくて。誰でもはじめは驚くと思うからね。
ただ、コノハさんには、わかってほしくて。もみじが距離を置くのは嫌いになったんじゃなくて自分を守るためだって。」
私は、もみじ君の震えた背中を思い出した。
――あの時、ちゃんと呼び止めて言葉をかければよかった。大丈夫だよって。
「……私、何もできないかもしれません。でも……ちゃんと話がしたいです。もみじ君と」
そう言うと、榎木さんは安心したように微笑んでくれた。
その日の夜、もみじ君は厨房の隅で、小さな身体を丸めながらお皿を拭いていた。
私はお盆を片付けながら、そっと近づく。
もみじ君と話すキッカケをとにかく作らなければ!そう思って話しかける。
「今日の夕飯、お客さん喜んでたよ。特に、お吸い物のお出汁がおいしいって」
「……それはお父さんが、がんばったから……」
「それを運んでくれたのは、もみじ君でしょ?」
もみじ君は一瞬、こちらを見て、また視線を伏せた。
私はしゃがんで、目線を合わせるようにして言った。
「昨日はごめんね。驚いた顔してしまって……怖がらせちゃったよね」
「……ううん、コノハさんは……悪くない。ぼくが……かくしてたから、びっくりさせちゃっただけ……」
少しずつ、言葉が返ってきた。
沈黙が流れる。
それでも、私は逃げずにそこにいた。
すると、もみじ君が、そっと口を開いた。
「……ぼくね、夜になると、かくせなくなっちゃうんだ。耳も、しっぽも。だから、夕方まではだいじょうぶだけど……夜は、あんまり人の前に出たくないの」
「……うん。」
私はゆっくりとうなずいた。
「ぼくのこと、怖い?」
「……ううん。びっくりはした。でも、怖くなんてなかったよ。だって、もみじ君は、もみじ君だから」
その言葉に、彼の手がぴくっと震えた。
私は、そっと笑いかける。
「だから、耳があっても、しっぽがあっても、私はもみじ君が大好きだよ。」
その瞬間、もみじ君の目が潤んだ気がした。
口をきゅっと結んで、小さくうなずく。
そして――ふわりと、銀色のしっぽが出ていた。
「……あ。」
「ふふ、照れてるの?」
「……ちがうもん……」
ふくらんだ頬と、ちらっとこっちを見る視線が、なんだかすごく可愛かった。
私は、彼の頭をそっと撫でた。
もみじ君は、一瞬びくっとしたけど、すぐに目を細めて、うれしそうに笑った。
――ああ、この笑顔をもっとたくさん見たい
たとえ、私にできることが少なくても、もみじ君はそのままで良いんだよって伝え続けたい。
そう思った。
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