第五話「あなたはあなた①」

――ぴょこんと揺れた、銀色の耳。


「……え?」


 私が思わず声を漏らしたその瞬間、もみじ君はびくっと肩を震わせ、両手で頭を抱えた。


 「や……見ないで……っ!」


 小さな身体がパタパタと逃げ出していく。私は反射的に立ち上がって、その背を追いかけた。



「も、もみじ君!?」



けれど廊下を数歩進んだところで、足が止まった。



――今、見たのは……本当に、あの子の耳……?



頭の中がぐるぐるする。

混乱して、うまく考えがまとまらない。



その時、背後から足音が聞こえた。


「どうしたの?コノハさん?」


榎木さんが、ふと廊下に現れた。


「……あ、いえ、何でもないです」



私はそう言うのが精一杯だった。



「そっか、疲れたでしょ。今日は上がっていいから、また明日、よろしくね」



 榎木さんは、それ以上何も聞かずに、ただ静かに微笑んだ。



翌朝、旅館に少し早めに着くと、玄関先ではもみじ君が黙々とホウキを動かしていた。


 

「おはよう、もみじ君」



 声をかけたけれど、彼は下を向いたまま何も言わず、掃き掃除を続けてそのまま奥へと行ってしまった。



――昨日のこと見なかったことにするつもりだったけど、やっぱり、難しいよね。


私、驚いた顔をしてしまったから……。



 罪悪感で胸がちくりと痛む。だからこそ、ちゃんと話がしたかった。



その日の午前中、昨日から連泊している家族の女の子が、もみじ君のそばに近寄っていった。


年は同じくらい。大きな瞳の、活発そうな女の子。


「ねえ、なんでみんなと目の色がちがうの? 髪の色も……銀色で、ふわふわだよね?」


 

もみじ君の手が止まった。明らかに、肩がすくんでいる。



「えっと……ごめん…へん、だよね……」



 絞り出すような声に、私は思わず駆け寄ろうとした。



けれど次の瞬間――



「へんじゃないよ! すっごくキレイ。お人形さんみたいな目だね。いいな〜、私もそんな目がよかった〜!」



女の子は、ぱぁっと笑って言った。


 

「えっ……?」


 

もみじ君が、ぽかんと口を開けて女の子を見た。



バカにされると思っていたのかもしれない。

女の子の意外な返答に、もみじ君は驚いていた。



「ねえねえ、わたしね、7回泊まるんだって! だから、よかったら一緒に遊ぼ?」



 女の子が手を差し出すと、もみじ君は少し戸惑いながらも、その小さな手をぎゅっと握った。



「うん。旅館のお手伝いが終わったら、遊ぼ」



 

――そのときだった。



 ふわりと、もみじ君の背後から白銀の尻尾が現れた。


「……あ」


今回は、見間違いなんかじゃない。


昨日の耳、そして今日の尻尾――。


でも、不思議と怖くはなかった。それよりも、私は彼の笑顔に目を奪われていた。

 


嬉しそうで、安心していて、無邪気で――もみじ君の最高の笑顔だった。




夕方。

結局その日は、もみじ君と話すことは一度もなかった。…というより、すごく避けられてる気がした。


夕食を配膳するときも、距離を取られていたし、目を合わせても逸らされてたし。


フォローしてくれたとき、お礼を言っても、小走りで逃げられた。


とても気まずいけど、どうにか話したいと頭を抱えていたとき、榎木さんから声をかけられた。



「お疲れ様、コノハさん。休憩時間に入っていいよ」 



「あ、榎木さん、お疲れ様です」



「なんだか、元気がないね。…まあ、もみじのことっていうのは、なんとなく分かるけど」



「あはは…。やっぱり分かりますよね」



笑顔を作って見せたつもりだったけど、多分苦笑いになってると思う。



「もちろん。僕はこの旅館のオーナーで、もみじの父親だからね。」 


もしかすると、気を使わせてしまっていただろうか…。


私は、罪悪感の気持ちでいっぱいになって、必死に謝った。



「本当にすみません。私…」



「大丈夫、大丈夫。コノハさんは、一生懸命もみじに話しかけてくれていたしね。ありがとう。


コノハさんが、この旅館に来てくれて本当に感謝しているんだ。それは、もみじも一緒だよ」



優しく微笑んで話していた榎木さんの顔が、ふっと真剣な顔になった。




「コノハさんは、妖怪の存在を信じる?」


「…え?」


「君がうちの旅館に来たとき、“ここには妖怪も来る”って言ったの覚えてるかな?」


「はい、覚えてます」


「あれはね、冗談ではないんだ。」


「はい…」


当時の私は、緊張をほぐす為の冗談だと思っていた。


だけど、もみじ君のフワフワの尻尾や耳を見てしまった。あれは、夢でも幻でもない。



「妖怪はね、本当にいるんだよ。僕たち人間の近くにいつもいるんだ。」



少し口角を上げて、でも悲しそうな顔をして榎木さんが言った。


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