第10話 さようなら

 シャロンとカートを運んでいる病院の人が解剖室に入ってきた。カートには布がかけられているが、その下に何があるかは分かりきっている。

 病院の人は運ぶだけ運んで出ていった。

 それを目で確認したシャロンは布を取り、あらわれたそれを解剖台の上に置く。

 それは、トーナの腕である。

 昨日まで、僕に手を振り、工具を握り、ご飯を作り、花冠を作っていた手だ。

 白かった彼女の腕が、今はもっと白く感じる。

 冷たいものが背筋を流れる感覚がした。妙に寒いのはどうしてだろう。

「椿様がご希望でしたら、私たちは退出しますが、どうされますか?」

 本当は見たくないが、トーナの腕から目が離せない。

「1人にして」

 無機質につぶやく。2人の方を見てはいないが、頷いていることが気配でわかる。

「それでは、ひとつだけ……。これまでの資料から、ノコギリで細かく刻み、ナイフで細かくするか、何かですり潰すやり方が多く行われていたようです」

「わかった、そうする」

 僕の返事を聞いた2人は出ていった。

 完全なる静寂。まだ、心臓は踊っていない。僕は落ち着いている。そう、平常心である。

 だって、目の前にあるのはトーナじゃないんだ。腕だ。そう、ただの腕なんだ。……いや、違うな。得体の知れない何かだ。僕はその何かを切り刻み、すり潰すだけ。なんて事ない単調作業だ。そう思うと笑みがこぼれる。

「ふふっ、あは」

 でも、あまり笑っているといけない。これは仕事なのだ。僕にしかできない仕事。仕事は真剣にやらなくては。そういうものだろう?あぁ、そうだね。

 僕は軽やかな手つきでノコギリを握る。

 このままでは切りにくいと気づいた僕は、解剖台を下げることにした。近くにあったペダルを踏むと、低く唸りながら台がゆっくり下がっていく。そのまま、片足をのせるのに丁度いい高さまで下げた。

 足でそれを押さえつけ、動かないようにして切り始める。

やわらかい、かたい、かたい、かたい、やわらかい。

 赤いものが滴る。

やわらかい、かたい、かたい、かたい、やわらかい。

 白い表面に赤が滲む。

やわらかい、かたい、かたい、かたい、やわらかい。

 細かく刻むよ。

やわらかい、かたい、かたい、かたい、やわらかい。

 未来の僕が潰しやすいように。

やわらかい、かたい、かたい、かたい、やわらかい。

やわらかい、かたい、かたい、かたい、やわらかい。

やわらかい、かたい、かたい、かたい、やわらかい。

やわらかい、かたい、かたい、かたい、やわらかい。


「……」

 何も考えない、考えない。次は潰さないと。

 ノコギリを置き、棒状の何かを手に取る。

かたい、かたい、かたい、かたい、べしゃ。

 過去の僕は素晴らしい仕事をした。

かたい、かたい、かたい、かたい、べしゃ。

 念入りに細かくしたから潰しやすい。

かたい、かたい、かたい、かたい、べしゃ。

かたい、かたい、かたい、かたい、べしゃ。

かたい、かたい、かたい、かたい、べしゃ。

 あれ?

かたい、かたい、かたい、かたい、べしゃ。

 そういえば、これはなんだっけ。

かたい、かたい、かたい、かたい、べしゃ。

 あぁ、思い出した。

かたい、かたい、かたい、かたい、べしゃ。

 トーナの腕だ。


「……」

 何かわからない肉塊、解剖台から滴る血、汗だくな僕の体、乱れた呼吸、嫌な匂い、ムカムカする胸、熱い涙袋。

 ゆっくりと出口に向かう。扉を開ける時、扉を赤く汚してしまった。

 シャロンとテルミドールがドアのそばに居た。話しかけようとした2人を目で止め、僕はまたゆっくり歩きだす。

 通り過ぎた者は、僕のことを異様な目つきで見る。それがわかっても、どうでもいいと思えた。

 僕はトイレで吐いた。

 胃の中のものが全てなくなる感覚がある。吐き尽くしても気持ち悪い。

 曖昧な記憶の中に、破壊した感触だけがはっきりと残っている。

 口をゆすぎ、血を綺麗にしてからトイレを出る。ふらふらと、どこに向かっているのか定かではない。

 僕は最低な人間だ。でも、破壊をせずにこの世界が滅んだら、もっと最低な人間になる。

 見知った個人にとって最低な人間になるか、より多くの人間にとって最高の人間になるか。二つに一つだ。

 僕はトーナに会えない。トークライにも……。シャロンとテルミドールに言って、こっそり病院を抜け出そうか。それがお互いにとって1番だろう。

「あ、こんなところにいたんスね。ふらふらっスよ、大丈夫っスか?」

 僕の顔を覗き込もうとしたトーナから顔を背ける。

 なぜここにいるんだ。なぜ平気に僕に話しかけれるんだ。

「ほら、見てくださいよ、この義手。ジャストフィットで使いやすくてアタシもびっくりしたっス」

 腕なんて、見れるわけがない。僕はトーナの足元と、彼女の動きに合わせて動く薄い影しか見れないでいる。

「病院の人にも褒められちゃったんスよね〜。で、量産できるようにならないかって言われちゃって。いや〜、将来安泰かもっス」

 僕は、良かったね、と言うべきだろうか。そもそも、彼女は何を望んで僕と話しているのだろう。

「……君は、困ったらいつもそうしてるんスか?」

 僕の指先がピクリと反応する。

「黙ってれば誰かが助けてくれると思ってるんスかね?まぁ、助けてくれるでしょうね。君は救世主だから……。この世界一、特別だから」

 ゆっくりとトーナに顔を向ける。彼女は笑っていない。僕は泣いている。

「教えてあげるっス。あたしのこと……」

 トーナの体温が感じられ、耳元では彼女の息遣いが聞こえる。

「初めて会った時、君のこと、殺そうと思ったんスよ」

 知っている。きっと彼女は、僕が知っていたことをわかっていた。

 トーナの顔は再び笑顔に包まれた。

「次会えたら、もっとお互いを知れる関係になれると良いっスね。じゃ、さようなら」

 彼女は振り返ることなく歩き去っていった。僕は彼女のいたところをしばらく見つめていた。


 解剖室まで行くと、まだシャロンとテルミドールは居た。

「椿様、もう大丈夫そうですか?」

 テルミドールが心配そうに話しかけてくれる。もちろん、シャロンも同様だ。

「うん、ちょっとすっきりしたよ」

 2人は安堵の表情を浮かべる。

「トーナ様が見当たらないのですが、どこにいらっしゃるかわかりますか?」

「帰ったんじゃない?でも、もうさようならを済ませたから会わないよ」

「そうですか」

 何かを察したのだろうか。2人はそれ以上、トーナについて言及することはなかった。

 

 病院を出た僕らは町に行き、ご飯を食べることにした。次のマーク保持者について話もしたいらしい。

「次のマーク所有者は、ケルブ教の信者とその教祖です。信者の方はすぐに破壊が可能だと思います。ですが……」

 シャロンはそこで言葉を切り、気まづそうに僕を見つめ直した。

「教祖が誰なのか、わからないのです。すみません、私の調査力不足です」

 そんなことないよ、と僕は笑って言う。でも、わからないとはどういうことだろう。教祖は人の前に立ち、教えを説くものだと思っていた。それは僕の勘違いなのだろうか。

「普通は、産まれた病院からナイト家にマーク保持者の情報が伝えられるのです。ですが、教祖様のことは一切不明……」

「病院で産まれたのかも怪しいところですよ」

「出自不明ってこと?」

 2人が同時に頷く。

「じゃあ、僕は教祖も探さなきゃいけないんだね?」

「はい、そういうことです。もちろん、私達も探しますが……」

 見つけられる算段はあるのだろうか。

 でも、案外簡単に見つかりそうな気がする。教祖もきっと、世界が滅ぶことは望んでいないだろう。

「あ、そうだ。教祖の家族はどう?直接教祖を探すより、家族経由で探した方が見つかりやすそう」

 家族なら情報も入りやすいだろう。それに、親であれば子供の顔もわかっているだろうから、すぐに見つかるのではないか。

「教祖様に親という存在はありません。教えを広めるために天界から遣わされた自然現象のようなものなので……」

「そういう設定です」

 シャロンの説明に割り込んで、テルミドールがあっさりと言った。

「それで、結局家族には会えるの?」

「親の存在は聞いたことがありません。死んでるんじゃないですか?」

 シャロンが言いにくそうにする宗教事情を、テルミドールはあまりにも簡潔に述べるから、笑ってしまいそうになる。

 シャロンの方は、公共の場ですよ、とテルミドールを小突いている。

 2人を見ると安心するのは、僕もこの世界に居場所が出来たということだろうか。

 2人がいなければ、僕は完全に壊れていただろう。

 僕は、温かいご飯の最後の一口を口に運んだ。



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お読み下さりありがとうございます!

次回は8月31日 20時に投稿予定です。

【小ネタ】

トーナは再登場します。トーナ関連の伏線も全て回収するので安心してください。どこで回収するかも決まってますのでね。

 

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