第7話 日記

――残り2週間


 ここでの生活は、一人で散歩に行けるぐらいには慣れてきた。

 トーナとは、あまり話が出来ていない。とは言っても、世間話や好きな物の話はする。僕が本当に知りたい、彼女の生い立ちを聞けずにいるのだ。

 聞かずに破壊するのも、聞くのも失礼だと言うのならば、聞いた方が良いと思っている。

 少しだけでも、破壊される者の苦しみも背負わせて欲しいのだ。

 そんなふうに思えるようになったのも、僕自身に心の余裕が出来たからだ。生きるだけで精一杯だったのが、人のことも考えられるようになった。

「椿様、お疲れ様です。何とか義手も形になりそうですね」

 シャロンがお茶を、リビングで休憩していた僕に渡してくれた。僕はそれを、ありがとう、と言って受け取る。

「テルミドールは?」

「買い物に行かせました。ここに居させても、うるさいだけですから」

 このやり取りも慣れてきた。心なしか、2人とも以前より気軽に話しかけてくれている気がする。

「義手の方も、間に合えばいいね。でも、なんで完璧な義手を求めるんだろう」

 彼女が求めているのは、意のままに操れる義手だ。

 僕も調べてみたが、この世界に現在流通している義手でも、きちんとリハビリをすれば細かい作業も問題なく行えるらしい。それなのに、どうしてそれ以上のものを作ろうとしているのだろうか。

「……これはあくまで推測ですが、トーナ様も先代救世主様に影響されたのではないかと思います」

「先代に?」

「はい、先代に直接会ってはいないはずですが、彼は多くの物を残しましたから」

 色んなことに先代が出てくる。だが、良くも悪くもどちらでも話題が出てきていて、悪い方が多い。

 そういえば、この前……


――1週間前


「悪いねぇ、荷物を持ってもらって。しかも救世主様とそのお供様に……!」

「丘の上までこの量は大変でしょうからね。気遣いは要りませんよ」

「あぁ、椿様の何たる優しさ……!素晴らしい!これぞ救世主……!」

「本当にねぇ。忌まわしき先代もあなたみたいだったら良かったのにねぇ。あの能無しが……」

 僕は、その言葉に衝撃を感じると同時に、テルミドールの異変に気づいた。

 いつもの彼とは違う。明らかな軽蔑の目をおばあさんに向けていた。おばあさんもそれに気づいて言葉を止めたのだ。

 でも、僕はそれ以上そのことに関して聞けなかった。


――現在


「トーナに聞いてみよっかな、先代のこと」

 そうすれば、彼女の過去のことも自然に聞き出せそうだとも思った。だが、それは僕の中だけの秘密だ。

「そうですね、良いと思いますよ。なんとなく、彼女は一線を引いていらっしゃいますから、打ち解けるきっかけになるかもしれません」

 シャロンは微笑んで言う。

 多分、シャロンの年齢は見かけ通りではないのだろう。彼女の余裕のある表情や仕草から、なんとなくわかる。

「じゃあ、ちょっと行ってくる」

 決して広くは無い家の中。トーナの作業場まではすぐそこと言っても過言では無い。

 だけど、この道のりが長く感じる。今更ながら、目的地に近づくほど心臓が強く打つ。

 もう慣れているはずなのに、どう話しかけるかを悩んでいる。

 ドアの前についても、すぐにノックが出来なかった。

 10秒、20秒、30秒……

 一瞬やる気が出た、その勢い任せにドアをノックする。返事がないが、それはいつもの事なので、ドアを開ける。

 彼女は、ドアを開けた僕に気がついたようだ。こちらを見て、ニッと笑ってくれた。

「そろそろ、休憩しない?」

 僕も軽く微笑んで言った。ぎこちなくはないだろうか。

「そっスね。お昼も近いですし」

 僕は、彼女の隣にある背もたれの無い椅子に腰掛ける。

 トーナは昔からの癖で、立って作業をすることが多いらしい。だから、この椅子もあまり使っていないのだと、前に教えてくれた。

 さて、どう話を切り出そう。何か言わないと、不審に思われるだろうか。いや、今更そんなことはないか……。

「シャロンとかテルミドールがさ、先代救世主と関わりがあるみたいな話をしたんだよね。トーナも歳が近いと思うんだけど、何か関わりがあったりするの?」

 言ってからはじめて、不自然すぎたかな、と思った。少し違った世間話から上手く話をスライド出来たら良いのだが、僕はそんなに弁が立たない。

「同じ救世主だし、色んな話を聞くからもっと色んなことを知りたくって……」

「そうっスねぇ、関わりと言っても直接ではないんスけど……」

 そこまで言って、トーナは椅子を2つ、奥から引っ張り出してきてくれた。背もたれのある、柔らかい椅子だ。

「アタシは先代救世主の日記、“ペリシング”の複製を読んだんス」

「ペリシング?どういう言葉?」

 彼女は、奥の引き出しから一冊の本を取り出してきた。

「これがペリシングっス」

 トーナが、タイトルに関する記述は……、とつぶやきながら数ページめくる。

「あっ、あった。えーっと……」


――この世界には名前が無いと聞く。

この世界の人間は、実に怠慢である。この世界の人間は、まるで、この世界が滅ぶことを前提にして生きているこのようだ。

この日記を書くに当たって、この世界に名前が無いのは不便だろう。

だから、俺の元の世界を“地球”と呼び、この世界を“ペリシング”と呼ぶことにする――


「これが、先代救世主……」

 直筆で書かれた文字を指でなぞる。複製品だから、凹凸は感じられない。だが、人間らしいあたたかみは感じる。

「あっ、そうだ。名前……」

 像には書かれていなかったが、ここには書いてあるかもしれない。せめて名前だけでも知っておきたい。

 シャロンとテルミドールに聞いてもわからないと言われた。多分それは、名前が読めなかったからだろう。特殊な名前の人もいる。勉強しただけじゃわからない読み方のものもあるけど、僕ならわかるかもしれない。漢字だけでも知りたい。

「この日記に名前は書いてないっスよ」

 思わず、え?と声が漏れる。

「これ、黒塗りされた部分が多くって……。その中に名前があるかもしれないんスけど」

 トーナがページをどんどんめくっていく。後半になるほど黒塗りされた部分が増えていき、最後らへんは真っ黒だ。

「でも、この日記はアタシにとって、学校の教科書よりも教科書なんス」

 そう言いながら、あるページを開いてくれた。主に、僕の世界について……、日本について書かれている。

「彼の住んでた国、日本の技術の素晴らしさが書いてあるページっス」

 これが、彼女が完璧を目指そうと思っている理由なのだと、すぐに理解できた。

 彼女の表情は、いつもより大人っぽく見える。

 当然だ。マークなんて、苦しみが増えるカウントを示しているようなものだろう。覚悟が違うのだ。

 みんな、マークの部位が無くなることを前提にして人生を送っている。

 未来がわかるのは良いことか、苦しみでしかないのか。当事者でない僕にはわからない。

 でも、ただ傍観するしかない人間たちとは違う。僕だって、世界救済に直接関係のある人間のひとりだ。

 少しは、マークを持った人の気持ちを理解したい……、話して欲しい。

 背もたれにもたれかかって座っていた僕は、真っ直ぐ座り直した。

 それでも、僕から問いただすことはできない。僕にできることは、信頼を築き、向こうから話してくれるのを待つだけだ。

「男前になったんじゃないっスか?ずっとビクビクしてたのに、背筋、伸ばせるじゃないっスか」

 トーナの瞳が輝き、揺らいだ。

 あと2週間、これ以上短い2週間に出会うことはもう、ないだろう。

 ごーん、ごーん……

 鈍い音が鳴る。廊下の時計が、12時を告げる音だ。

「じゃあ、ご飯食べに行くっスよ」

 トーナと一緒にリビングに行くと、テルミドールが台所に立っていた。

 彼は僕の気配にすぐに気がついたようで、振り返った。

「お久しぶりです!椿様」

「うん、数時間ぶり」

 テルミドールが料理をしているところは初めて見た。シャロンが新聞を広げているから、問題は無いのだろう。

 それでも、料理ができる人間には到底思えないから心配だ。それに……

「片目が無い状態で料理できるの?その、不便とか……」

 見えない部分があると危なくは無いだろうか、という疑問が浮かんできた。

「ご安心下さい!幼い頃から、左目を隠して生活していましたから。もう慣れてますよ!」

 僕は胸が傷んだ。心臓が跳ね上がったような気さえした。

 僕がこの世界に……、ペリシングに来る前からこの世界は存在していて、物語があったのだと、刻みつけられたように思えた。

 何も思ってないであろうテルミドールの言葉は、僕の胸に深く染み込んだ。

 わかっていたはずなのに、何もわかっていない。

 僕は、僕が嫌になる



──────────────────────

お読み下さりありがとうございました!

次回は8月10日 20時に投稿予定です。

【小ネタ】

マークを破壊していただいた人間も、形式上かなりありがたい存在として扱われます。

ですが、テルミドールのような人間はみんなから、なんで?って思われてます。

嫌われ気味の存在が、謎に救世主の近くにいますからね。





 

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