第3話 救助活動
艦内の時間は、相変わらず静かに、正確に流れていた。
薄暗い艦内食堂の片隅で、作業服姿の乗員たちが、ぼんやりとスクリーンを眺めていた。
揺れるコーヒー。曇った味噌汁。朝食のトレイ。
その上で、テレビの画面だけがやけに鮮やかだった。
> 【速報】
中国斥候用の船がミス?触雷し排他的経済水域内で壊滅
──政府筋「中立違反の証拠なし、対応は慎重に」
──EEZ内の警戒レベル、一部で引き上げへ
画面の端では、何度も同じ低解像度の爆発映像が繰り返し流れている。
黒煙。油膜。識別不能の破片。
艦内は誰も声を上げなかった。
ただ一人、飛騨が味噌汁をすすりながら、言った。
「……でけぇ字だな、今日も。」
田金がパンをかじりながら返す。
「ニュースがでかくなる時ってのは、大抵中身が小さいか、都合が悪いか、だ。」
「で、その両方と。」
「ま、いつものことだな。」
食堂の空気に、笑いも怒りもない。ただ淡々とした“慣れ”だけが残っていた。
中立国・日本。
誰がどこで爆ぜようと、誰が何を仕掛けようと、
本土ではそれは「テレビの中のこと」だった。
日本海沖──遥か彼方。
そこでは、すでに戦争が始まっていた。
それも、ただの衝突や局地戦ではない。
国家同士の代理戦争が、本気の戦争へと変貌していた。
南から北へと縦断するように展開したのは、米国の支援を受けた台湾海軍部隊。
制空・制海を両立させるための混成艦隊。ステルス巡洋艦に加え、F-35Bを運用可能な小型空母。
対するは、ロシアの技術支援を受けた中国艦隊。
旧ソ連の設計思想と、現代中国の量産力が結合した、重量型・飽和攻撃型の艦隊編成。
弾道ミサイル、空中ドローン群、電子妨害艦……総数は200隻を超えた。
戦場となったのは、日本列島北西沖。
“中立国・日本”の排他的経済水域すれすれ。
地図上ではわずかに国境線を避けているが、
実際にはその一線がどれほど無意味な幻想であるか、
この海に関わる者なら誰もが知っていた。
──砲声、通信妨害、超音速の空中衝突。
──曳光弾とミサイルの炎が、朝焼けの空を染めていた。
そして、戦場の下では、誰のものでもない亡骸が沈み続けていた。
日本政府は声明を出さない。
いや、出せない。
何を言っても、どちらかの“圏”が動く。
中立を名乗るには、黙り続けるしかない。
「んで? 次はなんなんですか?」
艦橋で、田金は椅子を揺らしながら隣の男にぼやいた。
疲れた声と、もう慣れきった諦めが混ざっている。
飛騨はカップを置き、バサッと新聞紙を広げる。
紙面のトップは、昨日の爆発と今日の戦果で、ギッシリと黒々と埋め尽くされていた。
「うーん……多分、中国海軍の残骸処理じゃないかな。
米国海軍の支援を受けた台湾軍が、なんとか勝利。
……で、中国海軍の残骸が、あちらこちらに漂ってるそうだよ。」
「……なーんで、しわ寄せっつーか、ケツ拭くのは俺等なんすか。」
田金は露骨に眉をひそめながら、煙草をくわえた。
飛騨は、あっさりと肩をすくめて答えた。
「日本国民だから。
中立なんて、やらないよりはマシってだけで、
やってる間は、永遠に掃除係なんだよ。」
「うーん……」
田金は火をつけた煙草を見つめ、海の向こうを思った。
戦ってもいない。
でも、戦場の後始末は、全部こっちへ流れてくる。
そういう国になった。そういう立場だ。
それが、戦わないという選択の代償だった
そこは、様々なものが漂っていた。
焦げた救命ボート、割れた電子機器、艦番号の消えかけた船体の一部、
黒く焦げた布、そして真新しいタグの付いた軍靴。
戦闘の後、ゆらり、ゆらりと――
その破片たちは、中立国・日本の海域へと入り込んできた。
風と潮流に乗って、無言の死体たちが流れ着く。
若鷲は、海防線ぎりぎりのポイントで漂流物の観測を続けていた。
「……これは、軍用通信機の残骸か。機能は死んでるな。」
飛騨が小声でつぶやく。
「次。南側、白いブイに引っかかってる……なにか、浮いてる。」
オペレーターの声がやけに静かだった。
カメラが、ゆっくりとズームしていく。
画面には、救命胴衣を着た一人の男が映っていた。
泥のようにぐったりとしながらも、顔は水面から出ており、かすかに目が動く。
その顔つき、制服、そして右肩の布章。
映像に映る漢字の刺繍が、飛騨の目を細めさせた。
「……中国海軍だな。」
田金は無言のまま、映像を睨み続けていた。
しばらくの沈黙の後、静かに口を開く。
「生存者……か。
さて。これをどうするかで、また頭が痛いぞ。」
「下手に拾えば、“保護”じゃなくて“拿捕”だって言われかねんよ。」
「だが死なせりゃ“人道違反”だ。」
しばしの沈黙。
「……艦内に医務室はあるな?」
「ある。だが記録は全部残す。無線は録音、映像はアーカイブ。あとで外務省が揉むからな。」
田金は煙草を取り出し、火をつけずに唇にくわえたまま言った。
「拾え。だが“拾った事実”すら、証拠になる時代だ。忘れんな。」
「二级军士长(アールジージュンシチャン)……二級軍士長ぽいっすね。」
医務室。
マスク越しに声を落としながら、医務員がカルテをめくる手を止めた。
田金は、その報告に小さく頷きながら、腕を組む。
「んー、じゃあ、特別変なこともあるわけねーんだな。ちょっと安心したわ。」
部屋の片隅で、飛騨がくすくすと笑い声を漏らす。
「これで副大隊長とか拾ってたら、それこそ拿捕って言われたね。
艦長が外交問題の真っ只中に立たされるとこだったよ。」
田金は煙草をくわえながら、天井を仰いでぼやいた。
「しわ寄せは日本に来るからな。
……そしたら、もう一回海にほっぽり出すわ。」
「シャレにすらなってませんよ、艦長。」
医務員が苦笑を浮かべる。
だが、その言葉に含まれた苦味は、本物だった。
そして、ベッドの上。
救助された男――中国人民解放軍海軍・第12艦隊所属、二級軍士長「ジョン・ワン」は、
沈黙のまま、眠り続けていた。
額にはかすかな火傷。
腕には擦過傷。
口元には、海水と油の混ざった苦しみが、まだ少し残っている。
だが、敵意も、動きも、何もない。
彼は、ただの兵士だ。
上から命令され、乗せられ、戦って、そして――捨てられた。
田金は、しばらくその顔を見下ろしていた。
「……起きたら、通訳が要るな。」
「いるけど、どうせ“敵性個体につき応答拒否”とか言い出しますよ、軍人は。」
「まあ、それでも形式は踏まなきゃならん。中立だからな、俺らは。」
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静かな医務室に、機械の心電図の音が小さく響いていた。
ジョン・ワンはまだ、夢の中。
その夢が、戦場の続きでないことを祈る者は、艦内に誰もいなかった。
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