day3「鏡」

鏡の中の女王様

「鏡よ、鏡」目の前で、女の唇が言の葉を紡いだ。「世界で最も美しく気高いのは誰?」

「あなたでございます、女王様」と、わたしは言った。

「本当に?」女の表情は自信なさげで、化粧ではごまかせないほど憔悴していた。とてもではないが、一国の女王の表情には見えない。

「ええ、もちろんですとも」わたしは続ける。「自信をお持ちなさい。あなたは美しく、そして気高い。慎ましくも優雅で、野薔薇のように美しくも逞しくあられる」

「でも花はいずれ枯れる。わたしだってきっと……」

 目の前の女は齢三〇に差し掛かろうとしている。客観的に見て、それよりはずっと若く見える。いや、むしろいっそ幼く見えるほどだ。まるで、暗い森に迷い込んだ幼子のように。

「しかし、いまはまだそのときではない」わたしは諭した。「そうでしょう? あなたの謙虚さは得難い美徳ですが、それも過ぎれば卑屈さになろうというもの。それ以上、自分を卑下すべきではありません。それはあなたの美を損ねる行為だ」

「わかってる。あなた以外にこんなことは言わないわ」

「ならばけっこう」わたしは言った。「さあ、女王様。公務の時間です。今日も凛々しく咲き誇り、民と臣下たちにその威光を示すのです」

 わたしはそれきり沈黙した。しばし眼前の女と向き合い、その顔が女王のそれに変わるのを待つ。目の前の迷子が暗い森を抜け出すのを待つ。

「しっかりしなさい、白雪姫﹅﹅﹅。いいえ、女王」わたしはたまらず叱責した。「あなたはもうお姫様ではない。この国の女王なのですよ」

「わかってる。わかってるから」

 かつて白雪姫と呼ばれた女は体の前で手を組み、深く息を吐いた。やがて、その表情に凛々しさが宿る。女王の顔になる。それでいい、とわたしは心の中で独り言ちた。

「いつもありがとう。あなたのおかげでわたしは女王でいられる」

 優雅に頭を垂れ、女は踵を返す。

「あなたは女王。あなたは女王」わたしは繰り返した。煮え切らない女王様に言い聞かせるように。しかし、すでにもう、目の前に女王たらんとする女の姿はなく、薄暗闇があるばかりだった。

 きっと、ずっとそうなんだ、とわたしは思う。わたし﹅﹅﹅はいつまでも、たった一人、暗闇を彷徨う迷子なのだ。


 先代の女王が残した年代物の鏡――問いかければ何でも答えてくれるという魔法の鏡。

 しかし、その正体は何の変哲もない姿見にすぎなかった。

 鏡は何も答えない。鏡の前で、一人芝居を演じるわたしがいるだけだ。未だ、民を率いる覚悟が持てない未熟な女王の。

 しかし、民や臣下にそのような姿を見せるわけにはいかない。わたしは公には常に女王の顔でなくてはならない。女王の顔を作らなくてはならない。

「陛下、馬車の準備は整っています」

「ご苦労。すぐに向かいます」

 わたしはしばらく城を留守にする。泥沼に陥りつつある隣国との小競り合いの停戦交渉に赴くのだ。

 舐められてはいけない。馬車に乗り込みながら思う。自信を持て。堂々としていろ。鏡には頼れない。魔法なんかなくたって、あなたは女王にならなくてはいけない。民を導く光でなくてはならないのだ。

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