第6話 閉店

 閉店後の店内は、まるで水の中に沈んだように静かだった。


 今夜は初めての夜勤だった。人手が足りないとかで、急きょ私に白羽の矢が立った。

 夜勤といっても、レジは閉まっているし、客も来ない。主な仕事は翌日の在庫確認と売り場の清掃。

 単純作業。でも、店内に一人きりという状況は、思っていたよりもずっと息が詰まった。


 蛍光灯の光が、棚の奥を白く塗りつぶしていた。清掃用のワゴンを押しながら歩くと、床のビニールがわずかにきしんだ。まるで誰かが、私のすぐ後ろで真似して歩いているような音。


 「……気のせい、だよね」


 声に出すと、安心できる気がした。私はコードレス掃除機を棚下に差し込み、黙々と作業を続ける。

 誰もいない。カメラに映るのは私だけ。

 そう言い聞かせながら、次の通路に進んだとき——


 ひとつの棚に、奇妙な商品が置かれていた。


 それは——ブラウン管テレビだった。


 今どき、そんなもの置いてるはずがない。少なくとも、私が働きはじめてからは一度も見たことがない。

 テレビの画面は黒く、電源コードも抜かれていた。でも、近づくと、画面の奥に“文字”が映っていた。


 見つけて


 それは、テレビの内部から滲み出てくるような、筆跡の太い手書き文字だった。

 白い背景に黒い字じゃない。黒い闇の中に、白い線が浮かびあがっている。しかも、にじんで揺れている。生きているみたいに。


 私はその場で固まった。息を止めるようにして見つめていると、画面の端が、わずかに揺れた。


 誰かが——中から覗いていた。


 人の顔? いや、それはもっとぼやけていて、白い塊のようなものが、じっとこちらを見ていた。


 「っ……!」


 思わず一歩後ずさると、ブラウン管がカタリと揺れた。


 そのとき、背後のスピーカー売り場から、カチ……カチ……という音が聞こえた。

 時計の針が秒を刻むような、乾いた音。スピーカーは電源が入っていない。展示品のケーブルはすべて抜かれている。

 けれど、“音だけ”が、鳴っていた。


 振り返ると、棚の中央のスピーカーが、わずかに開いていた。スピーカーは“開く”構造ではないのに、布のカバーが剥がれ、中から黒い影が滲んでいた。


 私は清掃ワゴンをその場に置き、事務所に逃げ込んだ。


 ドアを閉め、鍵をかけて、蛍光灯の下で息を整える。電話機、パソコン、監視モニター。すべてが静かだった。

 けれど、ふと見ると、モニターのひとつに何かが映っていた。


 ——私の立っていたスピーカー売り場。

 そこに、もうひとり、私と同じ制服の誰かが立っていた。


 画面は荒く、顔は見えなかった。でも、身体の角度、髪の長さ、立ち方、すべてが私そっくりだった。


 それがゆっくりと、こちらを向いた。モニター越しに、私と“目が合った”気がした。


 そのとき、事務所の電話が鳴った。


 けたたましい着信音。

 私は息を呑み、震える手で受話器を取った。


 「はい……もくもく電気……新波店、田嶋です……」


 無音。次に聞こえたのは、女の声。


 「見つけて。はやく見つけて。裏の、下の、奥に、いるの」


 その声は、私の声だった。


 私は受話器をそっと置いた。手が汗で濡れていた。モニターをもう一度見た。誰もいない。

 さっきまでいた“私”は、もうそこにはいなかった。


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