第5話 店の裏を掘って
電話応対なんて、事務的なものでしかないはずだった。
返品受付の電話、商品についての問い合わせ、営業時間の確認……相手は顔も見えないし、声も無感情だ。けれど、その日の電話は、明らかに“違った”。
それは午後のこと。私はカウンターの横で、返品伝票の入力をしていた。電話が鳴ったのは二回。近くにいたのは私だけだったので、内線用の黒い受話器を手に取った。
「はい、もくもく電気・新波店、田嶋です」
しばらく、無音が続いた。受話器の奥で、ひゅう……という風のような音がかすかに鳴っている。
無言電話? そう思ったとき、女の声がした。
「……店の裏を掘って」
声は囁くようで、でもはっきりと聞こえた。年配の女性だと思った。訛りもなく、抑揚もない。無感情な、自動音声のような話し方。
「失礼ですが、お名前を——」
「店の裏を掘って」
もう一度、まったく同じ抑揚、まったく同じトーンで繰り返された。
その瞬間、背筋に冷たいものが走った。
これは“人間の会話”ではない。
私は何かが反射的に嫌になって、受話器を置いた。留守電に切り替わる前に、ぷつりと音が消えた。
変な電話だったな……そう思ってメモを取ろうとしたとき、また鳴った。受話器のボタンが赤く点滅している。同じ番号、同じ内線。
私は震える指で、もう一度取った。
「はい、もくも——」
「店の裏を掘って」
まったく同じ声、同じタイミング。録音のように、秒単位で重なる。
私は思わず受話器を耳から離した。隣の席の柏木さんがこちらをちらりと見たが、何も言わない。
「お客様、どちらにおつなぎしましょうか?」
私は、マニュアル通りの言葉で対応しようとした。
「店の裏を掘って」
もうそれしか返ってこなかった。
そして——次の瞬間、受話器の奥で、何かが“笑った”。
くすくすでも、あははでもない。
ジャリ……ジャリ……と砂を噛むようなノイズの中に、空気を潰すような、不自然な笑い声が混じっていた。
私は受話器を置いた。息が荒かった。額にじっとりと汗がにじんでいた。
「田嶋さん、電話どうかした?」
柏木さんの声が、いつもより遠く聞こえた。
「……さっきから、同じ人が……『店の裏を掘って』って」
そう答えたとき、柏木さんの表情が一瞬だけ止まった。
「……出ちゃったんだ」
「え?」
「その電話、たまにかかってくるの。誰が取っても、同じことしか言わない。店の裏を掘って、って」
「それって、どういう意味なんですか?」
「わからない。でも、前にいた子がね……それを聞いてから、しばらくして辞めちゃったの。何か見たって言って」
「見た?」
「裏のフェンスの向こう。立入禁止のとこ。あそこ……」
柏木さんはそれ以上言わなかった。口元だけが、わずかに歪んでいた。
私はその日の帰り、裏口の非常階段を使った。
裏の敷地は、思ったより広い。資材置き場のような空き地の奥に、古びたフェンスがあり、その先には、砂利混じりの土が盛られていた。
掘り返したような跡。誰かがシャベルで突き立てたままにしたような、変な窪み。
そして——そこに立っていた。誰かが。
背を向けていたが、服は薄く、肌がやけに白かった。
動かない。風も吹いていないのに、髪だけがゆっくりと揺れていた。
私は息を止めて、ドアを閉めた。何もなかった。そう思いたかった。
でも、聞こえた。ドアの隙間から、確かに聞こえた。
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