2話 『苺柄のパジャマ』


 日課が崩れたのは、ほんの僅かの弾みだった。


 いつも通り、ユウがラムネと魚肉ソーセージを手に、駅のベンチで夏の日差しを受けていると、目の前を一人の少女が通り過ぎた。

 そのリュックに吊り下がっていたウサギのキーホルダーに既視感があって、思わず、後を追っていた。


 あの子は、ユウの友だちではない。そんなことは、明らかだった。


 それでも、待ってほしかった。『行かないで』と叫びたかったが、大声の出し方なんて忘れてしまっていて、人混みに消えるその子の背中をただ眺めていただけだった。



 ――別の日。


 やっと、駅前の雑貨屋で、あの子を見つけた。

 ベンチでラムネと魚肉ソーセージを手にすることに加えて、あの子を探すことも、新しい日課に加わわりつつある日のことだった。


 あの子は、今日は、この前のリュックを背負っていなかった。あの子は、雑貨店の中で、苺の模様がついたパジャマを手に取って、しばらく動かない。


 何を思っていたのか、ユウには分かるはずもなかった。


 パジャマを棚に戻すと、今度は文具のコーナーで、サラサラとボールペンの試し書きをしていた。『ずっきゅんLoveLove』と、今まさに店内に流れている曲と同じ歌詞を、あの子が、そこに書いている。


 ユウは、ただその姿を黙って見ていることしかできなかった。

 あの日、あの子の中に、友だちの面影が見えたような気がした。

 けれど、それはユウにとっての話で、あの子からしたらユウは何でもない、ただの人だ。特別な何かなんかではない。


 けれど、特別ではないなりに、見ていた中で分かったこともあった。


 ときどき、あの子はひどく寂しそうな顔をしている。

 雑貨店の中で、スマホを取り出してはため息をついて、目を伏せる。まるで誰かの連絡でも待っているみたいに。

 あてもなく商品を見ては棚に戻しているその姿は、この雑貨店に目的はないという証拠のようだった。


 この場所は、恐らく、あの子の中の気の紛らわしではないか――ということに気がついた。

 ユウが、意味もなく、ラムネと魚肉ソーセージを持ってただベンチで座っているのと、似たような感覚なのかもしれない。


 髪は黒く長く、青いヘアゴムで、ひとつに束ねられている。

 けれど歩くたびに、そう、その毛先が揺れるたびに、どこかが不安定に見えた。揺れているのは髪ではなく、気持ちのほうなのかもしれない――ユウは、ふとそんなことを思った。


 ――ふと、友だちの、黒く艶のある毛先を思い出す。

 涙が溢れそうになり、近くにあったぬいぐるみを手にして、それを見るふりをして誤魔化した。


 ……もう帰ろうか。

 そう思ったとき、あの子が、ユウの前を通り過ぎてレジへ向かっていた。

 この雑貨店にいるのは、ただの気の紛らわしかと思ったのに、買いたいものがあったのか。

 とんだ決めつけをしてしまったようで、ユウは途端に自分が恥ずかしくなっていた。


 しかし、あの子が買っていた『付箋』に、はっと息が止まった。



 ――同じだ。友だちと。



 犬の形をした付箋。

 年頃の子なら、それを買ったとしてなんの不思議もない、かわいい付箋だ。

 

 そんなはずは、あるわけない。

 けれど、ユウはそのとき初めて、生まれ変わりを信じてみたくなった。


 結局、ユウは一度も、声をかけられなかった。

 あの子が雑貨店を出ていったあとも、ユウはしばらくその場に立ち塞がっていた。


 なぜだろう。何かを言えばよかった――ふとそんなことを思う。

『また会える気がした』なんて、嘘だ。


 でも、会いたかった。

 名前も知らないのに、また会ってみたかった。

 苺のパジャマの奥にまだあの子の気配が残っているような気がして、ユウはそれを手に取っていた。

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