3話 『シトラス』

 最初にその人を見たとき、ユウは思わず視線を逸らした。


 駅前のコンビニ。

 今日もラムネと魚肉ソーセージを買いに行くために、ユウはそそくさとそこへ向かっていた。夏の厳しい暑さから早くひと息つきたい、というのもあった。


 その途中、コンビニの駐車場で誰かに向かって声をかけていたのが、その人だった。


 自分より二倍は歳をとっていそうな初老の男に、注意をしているようだった。……タバコのポイ捨てがどうたら。

 初老の男は怒鳴っていたけど、その人は顔色一つ変えていかなった。ただ、言うべきことを言っているようで、淡々と話しをしているだけだった。

 まるでその人の中に仕込まれた言葉の刃物で、的確に突いているような、そんな怖さがある。


 コンビニで買い物を済ませそこから出ると、まだその人が、駐車場にいた。

 けれど、初老の男はもうその場に居なかった。

 代わりにその人は、手すりに寄りかかるように立ち、今度は誰かに電話をしている。そしてその電話の先の人にも、また何かを注意しているようだった。

 さっきは敬語だったけど、今はそれよりも距離の近い相手と話しているような口ぶりだった。

 

 ユウはやっぱり、その人が少し苦手だった。


 誰かに何かを指摘をすることは、いつの間にかユウにとって怖いものになっていた。

 

 その向こうにいる相手と、向き合っているということだから。

 誰かと向き合うだなんて、そんなやり方はとうに忘れてしまっていた。


 その人を尻目に、いつもの駅前のベンチへ向かう。

 いつの間にか早足になっていた。


 コンビニ袋から覗いた魚肉ソーセージ。それが目に止まり、ハッとする。



 ――それは後で食べるの! 返して!



 友だちに、注意をしたことが、自分にもあった。


 そのときの記憶が、パズルのピースを集めるように、一つずつ、はまっていく。

 さっきの、あの人のような冷静な言い方ではなかったけれど、ユウは、確かに誰かと向き合っていたことがある。


 胸が詰まっていくようだった。


 いままで、思い出すのは、たいてい、楽しかった時の記憶だった。

 海へ行った日、キャンプへ行った日、ちょっと良いカフェで一緒にご飯を食べた日。友だちはマイペースだし早食いだったから、ユウはいつも置いてけぼりをくらっていたけれど。


 だけど、今日、友だちに注意をしたときの自分を思い出した。


 それは、どんな特別な外出よりも、ずっとずっと、愛くるしくて。

 ユウは気づいたら涙が流れて止まらなくなってしまっていた。


 力なく、いつものベンチへ座り込んだ。

 子供じゃないのにボロボロ泣いているユウに、通行人たちが好奇の目を向けている。

 けれどそんなことは、気にならなかった。ただ友だちとの思い出に、もう戻らないあの日常に、帰りたいと思っていた。

 ラムネのビー玉を落とす。いつも以上に、しゅわしゅわと中身が溢れでてきて止まらなかった。



 ふと、目の前にハンカチが差し出される。

 視線を上げると、さっきのあの人が黙ってそこに立っていた。

 泣いているところを真正面から見られてしまった。でも、なぜか、あの人も目を赤くして、泣きそうなくらい、寂しそうな顔をしていた。


 ユウは黙ってそのハンカチを受け取った。今は、何を話しても、声がしゃくり上がって会話にならないような気がした。

 ますます、涙がでてきた。


 誰かに優しくしてもらえたのは、ひどく久しぶりだったと思う。


 あの人は何も言わずに、目の前を通り過ぎていった。

 そこに、かすかにシトラス系の香水のような、どこか夏らしい香りを残して。


 冷たいようで、どこか温かい。不思議な香りだった。



 八月十五日。

 そんな、八月の折り返し地点。

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