《 5 》ありえない試練


 面接会場の出口が見える通路に差しかかろうとした。

不意に、鋭く突き刺さるような視線を感じる。


「君が、噂の奈落堕ちかな」


 声と同時に現れたのは、俺より頭一つ分は高い。

白金の髪を後ろで軽く束ね、整った顔立ちには冷ややかな光が宿っている。

目が合った瞬間、脳裏をよぎるのは――あの、子熊を抱いていた少女。ドトリア。


「何のご用件で? 枝の王レクス・グレイン殿」


 俺は振り向いて、ハイエルフの初期から紡がれる正式名称を口に出す。

枝の王。

聖獣――鹿角獣を俺たちには狩猟禁止にさせることで、その誇りを護っている。


「妹に何を吹き込んだのかな。……お前が、説く立場かなぁ?」


 その声音は静かで、そして恐ろしく冷たい。

まるで裁きの場に立たされているかのような錯覚を覚える。

罪を知らぬ者すら弾劾する、拷問官のような苛烈さだ。


 妹――やはりドトリアの兄か。


「母熊が迫っていたので、子熊を抱えた彼女に、その場を離れるよう強めに伝えました」


 俺の言葉に、ハイエルフの眉がぴくりと跳ね上がった。


「説ける立場かと聞いているんだがねぇ!」


 優雅さをまとっていた表情が怒りに歪む。

歯を剥き、声を張り上げて詰め寄ってきた。


「母熊を殺し、子熊の世話を妹に押しつける気かい?」


 俺の言葉が、余計に癇に障ったらしい。

ドトリアを【庇護されるべき存在】として見ているのは明白だ。


「俺に何をさせたいんです?」


 返す言葉に皮肉を込めながらも、俺は深くため息を吐いた。

言葉を尽くしても、どの道怒る気なのだ。ならば、遠慮も必要ない。


「あの戦争で愚か者と呼ばれるようになった俺には……ちょっと、わからないもので」


 自嘲ぎみに吐き捨てると、男は小さく鼻で笑った。


「何を言っている。お前たちは、元から愚かだったよ。我々は、やっと条約を結ばせて、それを正したまでだからね?」


 条約が無ければ、ドトリアはどうなっていただろうな?

俺も流石に熊を殺さなかったかもしれないというのに。


「お前に、【知られざる試練】を課してやるよ。それをもって、罪を贖うんだよ?」


 そう言うなり、男は顎をしゃくった。

無言の合図。まるで犬を呼びつけるような、屈辱的な仕草に思わず、眉間の皺がよる。


 この試練、筋が通っていない。

ドトリアがそこにいた理由すら知らないのに――。


「ここさ。準備する。そこに立って待て。勝手な行動をすれば、お前の入学を取り消すことなど造作もないよ」


 案内された先は、学園の旧校舎の地下施設。

立ち入り禁止と記された札を超えた先に広がるのは、薄暗く陰鬱な空気が満ちた空間だった。


 岩肌の壁に囲まれたそこは、まるで地下墓地か、あるいは古代の牢獄のようにも見える。

部屋の片側には、後付けされた棚が幾つも並んでいた。


「……試練とは、いったい何です? その内容、そして実施する権限は……」


 言葉を選びながら問いかけると、男は棚を乱暴に開けながら答えた。

相当イライラしている。今にも物に当たりそうだ。


「【禁じられた試練】の文言を、知っているかな?」


 俺が想像する間もなく、奴は勝手に喋った。


【五つ――耐久の試練。己の生命力をすり減らし、耐久す】


 最初の試練――筋力の試練で必然的にそうなった。

できれば、二度と岩で圧縮されたくない試練だ。


「お前のせいで、優秀な指揮官が謹慎処分を受けた。あの獣人がそそのかしたおかげで、多少は軽くなったよ」


 ハイエルフは薬瓶を見やりながら、言い聞かせる。


「階級の低い者の言葉に耳を貸さねばならぬ時代……心中お察ししますよ」


 皮肉を返すと、棚の扉が乱暴に開く音が響く。

怒りを隠す気は、もとより無いらしい。やがて、次の文言を紡ぐ。


【六つ――精神の試練。己の心をすり減らし、意識を保つ】


 二つ目の試練、神秘だけだと俺も本気で思っていた。

ナグルの精神干渉は二度とかかりたくない、屈辱的な試練だ……。


「ナグルの奴も、お前も。良い顔ばかりして……」


 彼の顔にわずかな影がにじむ。

しかし次の瞬間、余裕を見せるために口端を上げていた。


「だが覚えておくんだ。お前も奴も信用に足らない屑さ。我々、選ばれし者だけが制御できる」


 目の前にいるハイエルフはそう自称した。制御、か。

あまり二足歩行の知的生命体を意思の無い者と見ない方が良い。

痛い目を見る。


「彼が正しくなければ、彼を告発しようという心行きはあります」


 俺も、あのナグルという男に多少の恨みはあった。

しかしハイエルフの男は俺の話なんて聞いちゃいない。

奴が最後に告げたのは、口にする事すら封じられた試練。


【七つ――運命の試練。己の抗えぬ運命を覆し、生き残る】


 その瞬間、棚から取り出された小瓶に、強すぎる酸の匂いが立ち上る。

これは――俺を生かすつもりの試練じゃない。明確に、そう確信した。


「飲むんだ。それに耐えられれば、入学を歓迎してやろう」


 ハイエルフは善意めいた笑みを浮かべる。

しかし、その心は荒んでいると判断されてもおかしくない。


「……貴方を、告発します。知ることすら禁じられた試練を、俺に強いたことを」


 静かに告げると、ハイエルフは鼻で笑った。


「お前の穢れた戯言と、我らの清き一票。どちらが信じられると思う?」


 清き一票とは笑わせる。もはや堕ちたな、ハイエルフ。

いや、むしろ【ローエルフ】とでも呼ぶべきか。


「これは……もはや俺の資質を測る試練じゃない」

「だから【運命の試練】だよ。理解できないのかな? お馬鹿さん」


 明らかに俺の答えになってない事を話すハイエルフ。

――俺が馬鹿だった、そう痛感しながら、額に手を添える。

ついてきた時点で、覚悟が足りなかった。


 だがその時、空気を切り裂くような少女の声が響いた。


「お兄ちゃん……何してるの?」


 ドトリア。どうしてここに……?

この子の出現の前兆が全く分からない。


「ドトリア……!」


 ハイエルフの焦燥顔。

――これが、【運命の試練】か。


「貴方様の敬愛なるお兄様は、俺に飲ませたいものがあるらしい」


 俺はドトリアに止めて貰うよう、賭けた。

できうる限りの丁寧な申し出でのようにお辞儀をする。


「このっ……反逆者め! 【蛇のOphis冠を戴くStephanos石化魔眼Oculus】!」


 詠唱が響いた瞬間、奴の瞳が澄んだ空色から、毒のような黄色へと染まる――その直後、全身が重くなった。


 呪縛魔法だと……!?

まさかハイエルフが下劣な麻痺魔法を扱うとは。


「お兄ちゃん、それ……禁術だよ!」


 意識はある。だが、身体が石のように動かない、重いだけで感覚さえない。

まさか、ただの麻痺ではなく、本物の石化魔法?

こんな形で、終わるのか……?


「私のせいで……!」


 違う。まだ、俺は――嫌だ。終わりたくない。


「イヤ!」


 抗いたい。絶対に呪いを解いてやる。俺自身の力で――!

だが、何だ。この焦燥感と恐怖は……!?

……冷たい。諦めて全てを憎みたい……!


「動いてよッ!私のお友達になってッ!」


 頬を濡らす、温かい雫。ドトリアの涙。

それが肌に触れると、凍りついていた身体に微かな熱が戻りはじめる。

彼女の雫に触れた瞬間、讃美歌が脳裏によぎった。


「これが……運命の試練か。誰かの助けこそ、運命を変える鍵……」


 俺は、いまだに両手をつきながら、ただ呟くしかなかった。

己では抗えない運命――直面する事で呆然としていた。

いかに人との繋がりが重要か、心を強く震わせる感覚――その体験が続く。


「うわぁんッ! 目が覚めてよかったよぉ……!」


 泣きながら俺に飛びついてくる少女。

その温もりに、俺は複雑な感情を抱いた。

――こいつは、悪くない。それだけは確かだ。


「お兄ちゃん、絶対に許さないから! お父さんに全部話すもん!」

「そんな……僕は可愛いお前のために……」

「私だけに優しくする貴方なんて嫌い。これからは私のせいにしないで」

「くっ……! お前は星に導かれすぎて、不安だっただけなのに――!」


 ハイエルフは足早に去っていった。

残されたのは、俺とドトリアだけ。


 妙な沈黙が生まれた。

俺は何を話すべきか、目を見開くだけで見当たらない。

だが、彼女がその沈黙を破る。


「私ね、占いでここに来たの。最初に貴方と出会ったときも」


 ドトリアは俺の視線を合わせるように顔を近づける。

占い――それは魔術師の基礎にして、運命を読み解く神秘の権化。


「“私の過ちを知らせる人。そして運命を変えてくれる人”って、星の子達が教えてくれたんだ」


 その瞳は、まっすぐで、俺の手を静かに取る。

俺が運命を変える者――少なくとも、今回はお前自身が変えてくれた。


「助けてくれて――ありがとう……」


 彼女の手をゆっくりと握り返す。

応えるように俺の手を握り返し、運命を確かめた。


「うん、貴方が元に戻って良かった……!」


 笑みいっぱいに俺の帰還を歓迎する。

彼女の髪には白い後光がさす。


 俺は複雑な感情で、今の体験を胸に刻んだ。

本当はハイエルフたちの傲慢に怒りたかった。


 でも、彼女にだけは――その怒りをぶつけられない。

その瞳が、あまりにも……澄み切っていたから。

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