第6話「フレグランス・メモリー」



「今日は特別な魔法を教えるわ」


放課後のビューティ・ソーサリー部。アリサ部長が小さな香水瓶を取り出した。光に透かすと、虹色に輝く不思議な液体が揺れている。


「フレグランス・メモリー。香りと記憶をつなぐ魔法よ」


ミオが説明を加える。「この魔法はね、自分の中に閉じ込めた記憶と向き合うためのもの。香りって、一瞬で過去に連れ戻されるでしょう?」


ひよりは少し不安になった。閉じ込めた記憶。それは触れたくないものばかりだ。


「大丈夫」ルカがひよりの肩に手を置く。「過去と向き合うことも、かわいくなるための一歩だから」


香水瓶を手に取り、ひよりは深呼吸した。


「フレグランス・メモリー、過去も今も、すべて私の香り」


霧のような香りが広がった瞬間――


『あんたなんか、"かわいい"って言っちゃいけない顔してる』


小学4年生の教室が目の前に広がった。机の上に散らばったピンクのペンケース。クラスメイトたちの嘲笑。


「ブスのくせに、かわいいもの持ってきて」

「似合わないよ、やめなよ」

「鏡、見たことある?」


あの日、私は二度とピンクを身に着けなくなった。かわいいものを好きだと言えなくなった。


記憶の中で、小さなひよりは机に突っ伏して泣いていた。誰も助けてくれない。先生も見て見ぬふり。


「やめて……もうやめて……」


現実のひよりも、膝から崩れ落ちた。涙が止まらない。あの日の痛みが、香りと共に蘇ってくる。


「ひより!」


ミオが駆け寄り、そっと抱きしめた。アリサも反対側から支える。


「苦しかったね。一人で抱えてたんだね」


ルカがひよりの前にしゃがみ込む。その瞳には、深い理解があった。


「でもね、ひより。その記憶も、今のあなたを作った大切なピースなの」


「大切なんかじゃない!」ひよりは叫んだ。「あの日から、私は自分が嫌いになった。かわいいって言葉が怖くなった。どうして、こんな記憶が大切なの?」


「だって」ルカは優しく微笑んだ。「その痛みがあったから、今のひよりは誰かの痛みに気づける。同じように苦しんでる子を見つけられる。そして……」


ルカは立ち上がり、手を差し伸べた。


「その痛みを乗り越えて、本当にかわいくなれたとき、それは誰よりも強い魔法になるから」


ミオが髪を撫でながら言う。「私もね、肌荒れがひどかった時、『汚い』って言われた。でも今は、その経験があるから、同じ悩みを持つ子の気持ちがわかる」


アリサも頷いた。「完璧に見える私だって、昔はいじめられっ子だった。だからこそ、変わりたいって思う気持ちの強さを知ってる」


ひよりは顔を上げた。部員たちの顔が、涙でぼやけて見える。


「みんな……」


「一人じゃないよ」ルカが言った。「あの日のひよりは一人だった。でも今は違う。私たちがいる」


香りが変わり始めた。苦い記憶の香りに、温かい花の香りが混ざっていく。


「心の傷に、ファンデーションは塗れない。でも、言葉なら重ねられる」


ミオの言葉に、ひよりは小さく笑った。泣き笑いだった。


「私……あの記憶、消したいってずっと思ってた」


「消さなくていい」アリサが言った。「その上に、新しい記憶を重ねていけばいいの。楽しい記憶、嬉しい記憶、かわいくなれた記憶を」


ひよりは立ち上がった。足はまだ震えていたけれど、一人で立てた。


フレグランス・メモリーの香りが、部室全体を包んでいた。苦い過去の香りと、希望の香りが混ざり合い、不思議と心地良い香りになっていた。


「過去のわたしは、いちばんわたしを守ってくれた勇者だった」


ひよりがつぶやくと、香りが一層優しくなった。


その日の帰り道、ひよりは小さなピンクのヘアピンを買った。明日、つけてみようと思った。あの日つけられなかった分まで。


部室に残ったルカは、窓の外を見つめていた。


「私も同じだった。でも、乗り越えられた。だから、あなたも大丈夫」


それは過去の自分に向けた言葉でもあり、現在のひよりへのエールでもあった。


翌朝、ひよりの髪に小さなピンクが揺れていた。クラスメイトが気づいて声をかけてきた。


「かわいいヘアピン!」


一瞬、体が固まった。でも次の瞬間、ひよりは微笑んでいた。


「ありがとう」


それは小さな一歩。でも確実に、呪いを解く一歩だった。


香りの魔法は、記憶を癒すだけじゃない。新しい自分を受け入れる勇気もくれるのだと、ひよりは知った。


あの涙がなかったら、今のわたしはなかった。


部室の窓から差し込む光が、ひよりの瞳を優しく照らしていた。

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