第7話「『かわいい』って言わないで」



朝の廊下。ひよりがいつものように俯き加減で歩いていると、クラスメイトの山田くんが声をかけてきた。


「おはよう、蒼月さん。最近かわいくなったね」


その瞬間、ひよりの体が石のように固まった。


かわいい。


その言葉が耳に届いた瞬間、心臓が早鐘を打ち始める。息が苦しい。逃げたい。消えたい。


「あ、あの……私……」


言葉が出ない。山田くんは不思議そうな顔をしている。ただの褒め言葉だったのに、なぜこんな反応をされるのか理解できないという表情。


「ごめん、何か変なこと言った?」


ひよりは首を横に振って、そのまま走り去った。トイレの個室に駆け込み、震える手で顔を覆う。


どうして。

せっかく魔法で変われたのに。

褒められて嬉しいはずなのに。


「『かわいい』って言わないで……」


涙がこぼれそうになった時、ドアがノックされた。


「ひより? 大丈夫?」


ルカの声だった。


放課後、ビューティ・ソーサリー部の部室。ひよりは朝の出来事を打ち明けた。


「褒め言葉なのに、受け入れられない。『かわいい』って言われると、馬鹿にされてる気がして……」


ミオが優しく頷く。「分かるよ。長年否定されてきた言葉は、急に肯定的な意味で使われても、心が追いつかないんだよね」


アリサも自分の経験を語る。「私も最初はそうだった。『かわいい』って言われるたび、『嘘だ』『からかってる』って思ってた」


ひよりは膝を抱えた。「せっかく魔法でかわいくなれたのに、『かわいい』を受け取れない私って、おかしいよね」


「おかしくない」


ルカがきっぱりと言った。


「ひより、あなたは誰かに『かわいい』って言われるために変わったの?」


ひよりは顔を上げた。ルカの瞳がまっすぐこちらを見ている。


「違うでしょう? 誰かの理想になりたいんじゃない。私が"私の憧れ"になりたい。そう思って、魔法を使い始めたんじゃない?」


その言葉に、ひよりははっとした。


そうだ。最初から、誰かのためじゃなかった。自分が自分を好きになるために、魔法を使い始めたんだ。


「でも……」ひよりは小さく言った。「『かわいい』って言われると、評価されてる気がして。合格か不合格か、試されてる気がして」


「わかる」アリサが深く頷いた。「『かわいい』が呪いの言葉になってる」


ルカは窓辺に移動し、夕日を見つめながら言った。


「『かわいい』って言葉、もう怖くない。そう思えるようになるまで、時間がかかってもいい」


そして振り返る。


「大事なのは、他人の『かわいい』じゃなくて、自分の『かわいい』を見つけること」


ミオが提案した。「今日は新しい魔法じゃなくて、言葉の練習をしてみない?」


「言葉の練習?」


「そう。鏡の前で、自分に『かわいい』って言ってみる練習」


ひよりは震えた。それは魔法より難しいことのように思えた。


でも、部員たちが見守る中、ひよりは鏡の前に立った。


映っているのは、ピンクのヘアピンをつけた自分。昨日の勇気の証。


「私は……」


言葉が詰まる。でも、ルカが後ろからそっと肩に手を置いてくれた。


「私は……ちょっと……」


深呼吸。


「私は、ちょっとかわいい……かも」


小さな声だった。震えていた。でも確かに、自分の口から出た言葉だった。


「上出来!」ミオが拍手した。「自分で言えたんだから、すごいことだよ」


アリサも微笑む。「他人の評価なんて関係ない。自分が自分を認められたら、それが最強の魔法」


その夜、ひよりは日記に書いた。


『「かわいい」って言葉が怖い。でも、いつか普通に受け取れるようになりたい。「ありがとう」って笑顔で言えるようになりたい』


翌日、山田くんと廊下ですれ違った。


「昨日はごめん」と山田くんが謝ってきた。


ひよりは小さく首を振った。「ううん、私こそごめん。まだ……その言葉に慣れてなくて」


「そっか。じゃあ、慣れるまで待つよ」


山田くんはそう言って笑った。からかいでも同情でもない、普通の笑顔だった。


ひよりも小さく笑い返した。


「『かわいい』って言葉、まだ怖い。でも、いつか怖くなくなる」


部室に向かいながら、ひよりは思った。


他人の『かわいい』に振り回されない。私の『かわいい』は、私が決める。


それが今日学んだ、魔法よりも大切なことだった。


ルカが部室で待っていた。「どう? 少し楽になった?」


「うん。まだ怖いけど、でも前よりは」


「それでいい」ルカは優しく微笑んだ。「ゆっくりでいい。あなたのペースで」


夕日が部室を橙色に染めていく。ひよりは思った。


「かわいい」を受け取れるようになるのも、きっと魔法の一部なんだ、と。


そしていつか、心から「ありがとう」と言える日が来ることを信じて。

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